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smacさん 初めまして 私の拙い文章にコメントをいただきまして光栄です。
http://www.asyura2.com/09/idletalk35/msg/638.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2009 年 2 月 22 日 15:43:04: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: 現代の奴隷制度下では「全体(と称されるもの)」と「個」が対立しています 投稿者 smac 日時 2009 年 2 月 22 日 06:03:39)

>現代の奴隷制度下では「全体(と称されるもの)」と「個」が対立しています

そうですね。実際には私的に所有されているに過ぎないものを全体として看做す事が強制されていると思います。
天皇制という私的なものを公的なものとして看做す事を強制するのと同じです。
日銀も私的なものですが公的機関のように振舞っています。

> 「全体(社会)」は、個々人がそれを「自身の利益に必要不可欠な共同体」である>と認識した時、初めて意味を持ちます。

そうですね。今の日本人が日本国家を果たしてどこまで自らの利益に合致したものとして捉えているか疑問ですね。もし利害の一致を見ているのならば支持率が1割を切った麻生政権の存続を許すハズもないと思います。しかし、比較的穏やかです。政治離れが言われて久しいですがこの政治離れは1945年の敗戦のショックからのものなのかも知れません。「お上などいい加減なものだ。」と。だから何があっても「誰が政治をやっても同じ」という感覚に捉えられている気がします。実際にこの国を動かしているのは政治家ではなく官僚やその上にいる人々なんだと。アメリカもその1つです。

> しかし、現代の日本では、その認識がありませんので、「全体(社会)」は存在し>ないのです。

統合的全体が喪失しているのかも知れませんね。

> もしそこで、誰かが「全体(社会)の利益に貢献せよ」と言う時、それは少数の「支配者の利益」を意味します。

現時点ではそうですね。

> 労働とは、元来、自らの必要に応じて成される仕事のことですが、現代の社会では
「社会貢献」と言う美名に隠された、支配者への奉仕に過ぎません。そしてそれは「苦役」であり「自己犠牲」の意味を持つのです。

そうなってしまっていますね。

> これは正に「現代の奴隷制度」とでも言うべきものです。

はい。疎外された労働の強制ですね。

> 前時代の奴隷制度は、鞭と鎖で奴隷に「労働」を強制しましたが、現代ではその道>具が「金」に変化しているだけのことです。

はい。金を得る為に働いているのだと。労働の成果は労働者自身にとっては切り離されたものですね。金を得た時点で労働の成果は経営者の所有物であり労働者からは切り離されます。

> 全体と個の二項対立という図式は、上記のように「全体(?)が個に労働を強制す>る」ことを「当然」と看做す発想から生まれます。

そうですね。全体は個人を支配するものだという捉え方ですね。個人を幸福にするような全体というものは想定されません。個人は過ちを犯すものであり管理しなければならない対象ですね。

> 自分の家が汚れてきたら、家人は誰に強制されるまでもなく掃除をしますよね。
> また、掃除を担当する家人が主人に賃金を要求するなんてこともありません。
> 普段の掃除は妻に頼りっぱなしだった夫でも、年末の大掃除には進んで手伝いをす>るでしょう。

> 家事や育児は「重労働」ですが、それは主婦の「義務」じゃありません。
> 奥さんが家事を怠けて、家が汚れても、他の家人が我慢できる程度なら、汚れっぱ>なしにしておいたところで、何ら問題じゃないのです。
> 我慢できないなら、その人が掃除をすれば良いだけのことです。

> 上は家庭の話ですが、これを社会全体に置き換えても同じことです。
> 社会を維持するために必要な労働は、その構成員が自ら定め、自ら従事し、誰か>>(弱者)に負担が集中しないよう、調整すべきものなのです。

はい。そのような不平等を無くした全体を構築したいと思います。

> 上スレで話題になっている「3K職場」などと言うものは、健全な人間関係が作る>社会であれば存在し得ないものです。
> もちろん、必要な労働の中には、「汚い」仕事や「きつい」「危険な」仕事も存在>しますが、それらを専門的に扱わなければならない人間が必要というわけじゃありま>せん。
> 誰もが嫌がる仕事を誰かに押し付けようとするから、負担が集中してしまうので>>す。

そういう事ですね。3Kな仕事というものは概ね専門的な知識は必要無いものばかりですね。だから誰でもできる。という事は社会にとって必要だから誰にでもできる仕事なので公平に皆がその仕事をするべきですね。掃除当番のようなものです。原発の定期点検などは確実に被曝する仕事なので原発推進派の人間が交代で現場作業をやって欲しいと思います。私はまっぴらですが。ダメですかね。こんな態度は。

> 逆に言うなら、金さえあれば自分が嫌な仕事から解放される…とする発想が、そも>そもの間違いだということですね。

はい。

> 「汚い」仕事は、なるべく衛生を保つ工夫で、「危険な」仕事はなるべく安全を保>つ工夫で、「きつい」仕事はなるべく分散する工夫で解消、緩和しなければなりませ>ん。

はい。

> 誰かを「やらざるを得ない状況」に追い込んで、強制的、集中的にやらせようと言>うのは「奴隷制度」の発想です。

はい。正に奴隷労働ですね。BIを実施したらやむを得ず奴隷労働をする人がいなくなるので困る。だからBIはできないと主張するのは自分は奴隷労働を拒否した上で貧乏人に奴隷労働をさせようという奴隷制度賛成の立場ですね。自覚は無いでしょうが。

> 「BIを導入したら、社会に必要な苦役に従事する者が居なくなり、社会を維持で>きない」と言う人が居ますが、これは貧困をテコにして、弱者に負担を集中させる>>「奴隷制度」の肯定から導かれる理論でしょう。

正にその通りですね。

> 社会を維持するために、常に一定数の経済的弱者を奴隷状態に置く必要があるな>ら、その社会はもはや「全体」とは定義されません。

はい。少なくとも「全ての構成員を幸福にする全体」ではありませんね。

> 社会に必要な苦役は、なるべく「苦役」にならないよう工夫し、不必要な苦役を排>除した上で、金の有る無しにかかわらず、能力に応じて分担すべきです。
> そして、その分担を決める方法は民主的でなければなりません。

> この「民主的決定」というのが、一番大切で、なおかつ一番困難な部分です
> なぜならそれは、個と対立しない全体を、いかに構築するか…という問題だからで>す。

そうです。それが私が一番主張したい内容なのです。個と対立しない全体構築こそが私の目標です。

> 現代人は「エゴ」と「社会性」のバランスが崩れています。

はい。

> これは、市場原理主義が個人と個人に於ける「横」の関係を断ち切り、個人と経済>システムという「縦」の関係に、人々の生活を、あらかた委ねてしまったからでしょ>う。

> 社会性を必要としない社会で、社会性を喪失した人々に対し、「社会の利益に貢献>せよ」というのは無理な話です。

はい。社会をよりよくしようと呼び掛けても最初から社会なるものと疎遠であれば「何を綺麗事を言っているんだ。世の中、金が全てだよ。」となってしまうでしょうね。その人にとっては社会とは市場でしかないのですね。

> そこで政治に必要なことは「公共道徳の押し付け」ではなく、まずは喪失した社会>性の回復であるべきだと思うのです。

同感ですね。

> 具体的に急務であるのは、やはり「貧困、生活苦の救済」でしょう。

はい。

> 「救済は自助努力を喪失させ、自立を阻害する」という意見もありますが、これも>個人と経済システムという「縦」の関係だけに目を奪われた短絡です。
> 「横」の関係を回復するためには、まず「世間の風は冷たく厳しいもの。そして、>そうあるのが自然」という殺伐感を解消し、「旅は道連れ、世は情け」を実感できる>ようにしなければなりません。

はい。互助的な精神ですね。

> しかし、現状でそれを個々人が実践すれば、情けをかけた人が損をするだけに終わ>るでしょう。

はい。

> そこで、政治の出番なのです。

はい。いい個人を増やすのではなくいいシステムを作る事ですね。

> 今の時代、「優しい社会を構築する」という全体のコンセンサスは、まず得られま>せん。
> 支配層が「厳しく冷たい社会」で、奴隷労働の恩恵を享受している限り、救済政策>には強力な抵抗が予測されるでしょう。

はい。

> 私は、そうした抵抗を振り切り、多少乱暴かつ独善的であったとしても、まずは政>治に「奴隷解放」をさせなければならないと思うのです。

同意します。

> ただ、「奴隷解放」は現行の経済秩序を破壊しますので、一時的な混乱を招くこと>は避けられません。

はい。

> 要は、その先のビジョンをどう描くか…です。
> 市場原理主義に毒され、「優しい社会は堕落した社会への転落」だと危惧する人々>に対して、いかにバラ色で夢のある未来を提示できるか?…これに尽きるでしょう。

はい。

> ワヤクチャさんがおっしゃるように、本来、全体(社会)と個(人)は対立関係じ>ゃありません。

はい。

> しかし、生活が経済システムに隷属する「縦」関係オンリーの現代では、「全体」>を隠れ蓑にした支配・被支配の関係が成立します。

はい。

> これは現代の「奴隷制度」であり、その状況のまま「奴隷と主人は対立しない」と>言えば、奴隷制度の肯定になってしまいます。

なるほど。私の論は全体と個の対立を固定的に捉えてしまう事に対する批判だったのですね。現状の「全体なるもの(実際には私的なもの)」は個人とは対立しています。

> 私は、まず「全体」を「現状では存在しない幻想」だと捉えた上で、個と対立しな>い、本来あるべき「全体」を、一から構築する必要があると思っています。

はい。

> ちょっと、あちこち脱線しましたが、「全体(社会)と個(人)の関係」は、根源>的で深いテーマです。

そうですね。

> まだまだ、語りきれないのですが、今回はこのあたりで筆を置くことにします。
> ご意見、ご感想、反論等、ございましたら、どしどしお寄せください。

いやあ。私が主張したい事を分かり易く展開していただけたと感謝しております。
貴方の事を詮索はしないようにしたいとは思いますがあっしらさんと同様に尊敬します。
ありがとうございました。お師匠はん。
 

 

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