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まあ、自分が恥をかくだけだから構わないと言えば構わないが
【まず「知ること」から始めたい】
http://white.ap.teacup.com/jrkarate/487.html
というブログがあり、そこでは「考察者Kの大馬鹿ぶり」というような記事もあるわけだが、まあ、Kは大馬鹿なので、その点はどうでも良い。
このブログ、ブログの画面からも、初っ端のブログの立ち上げ時の頃に行っても、管理人さんのハンドルネームらしきものが見当たらないようだが、阿修羅の訪問者ではあるのだろう。
まあ、「スタイルは管理人の勝手であり、リスクを回避するためにハンドルネーム等を明記せず、全く文責を負おうと思わない」のだって、その人の考え方である。
まあ、良く読んでみれば、分かるのかもしれないがハンドルネームを詮索してみてもシャイもない。
問題は、このブログ、「自分の気に入らない記事を載せている新聞の不買運動を煽っていることことだ」
これ言論封殺である。
前のスレッドでも少し触れたが、前大戦において、左派といわれた人は「反戦」を唱えた。
「アカ」とのレッテルを貼られ、周囲から孤立し、投獄されても頑張ったのである。
「少数派の意見を大切にしよう」という言葉を言う人がいる。
これ、正確には正しくはないとKは思っている。
正確には「少数派の意見も無視せずにキチンと考えよう」だろうと思う。
多分、少数派の意見が正しいという確率は高くはない。
多くは意地を張った意固地な頑固者がテコでも動かんとしているようなことの方が比率としては高いのだろうと思う。
問題は、その主張が感情論に根ざしているものか、理論に裏打ちされたものかが重要なのだろう。
人間は感情の動物であり、「自分の見たいと思うものだけを真実と考える」という側面を持つ生き物である。
ヒットラーのドイツ第三帝国への挑戦も、日本の大東亜共産圏の夢も、基本的には国民が感情論に走った結果としての無謀な悪行だったのである。
一部の人は、それを「感情ではなく知性で判断し、いさめた」のだろう。
別に社会主義者だったからではない。当時は「反戦主義者は全て、思想主義者のアカとレッテルを貼られただけ」のことである。
極端に言えば、当時は「自分の頭で正当に考えた正論」を主張すれば、アカと言われて少数派に追いやられ、投獄しまいには獄中死させられるようなことにもなっただけである。
つまり、少数派が正しいのではなく「少数派であっても、自分の頭で論理考証によって正しい判断をすること」が正しいのだろうとKは思う。
感情論によって「思考停止状況の人が他人の意見を鵜呑みにするような状況」は、少数ならカルトであろうし、多数なら国家全体主義的な危険な流れとなる。
「まずは知ることから始めたい」との理念を掲げながら、自分の聞きたくない言動には感情論的な拒否反応を示し、言論封殺的な不買運動を扇動するという姿勢は、多分今の多くの日本人の平均的な姿勢でもあるのではないか?
一歩立ち止まって考えてみた方が良い。
無論、Kもそうしなければならない。