http://www.asyura2.com/09/holocaust6/msg/167.html
Tweet |
*
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1581049263&owner_id=6445842
第二次世界大戦前から大戦中にかけての時期に、ドイツがユダヤ人に対する差別的な政策を採った事は、明白な事実です。そして、特に、ドイツがアメリカとの戦争に突入した後、ユダヤ人を収容所に収容する政策を採った事も、まぎれもない事実です。
私は、当時のドイツがそうした政策を採った事実をもちろん疑ふものではありません。又、その結果、多くのユダヤ人が、悲惨な運命を辿った事を疑ふ者ではもちろんありません。
しかし、そうした当時のユダヤ人の運命に関する事柄の内で、以下の二点については、疑問を持たずに居られません。
その二点とは、
1)ドイツは、ユダヤ人を「絶滅」しようとした。
2)1)の目的で、ドイツは、多くのユダヤ人をガス室で殺害した。
の二点です。
他にも、検証されるべき点は有りますが、この二つの命題を中核とする「歴史」に、検証の余地は無いのでしょうか?
今から15年前、私は、月刊誌『マルコポーロ』に、この事を論じた記事を寄稿しました。
(関連するサイト)
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6
その記事の冒頭を引用します。
-----------------------------------------------------------------
獣をいけにえとして捧げ、火で焼くというユダヤ教の儀式を「ホロコースト」と言った。これが転じて、「ナチスのユダヤ人虐殺」を意味するようになったのは、ナチスドイツがアウシュヴィッツなどの強制収容所にガス室を作り、毒ガスを使って計画的に虐殺、さらにそれを焼いた――という恐ろしい話とイメージが重なったからだ。ところが、このホロコーストが作り話だったという説が、今、欧米で野火のように広がりはじめている。戦後五十年近くもの間、語られてきたこの「毒ガス虐殺」が作り話だといわれて、驚かない人はいないだろう。私自身、この話を六年前に英文で読んだ時には、驚天動地の思いをしたものである。私は一医師にすぎないが、ふとした機会に、この論争を知り、欧米での各種の文献を読み漁るようになった。そして、今では次のような確信に達している。
--まず、日本の新聞やテレビが言っていることは全部忘れてほしい。それから『シンドラーのリスト』も一旦忘れてほしい。--
「ホロコースト」は、作り話だった。アウシュヴィッツにも他のどの収容所にも処刑用ガス室などは存在しなかった。現在、ポーランドのアウシュヴィッツ収容所跡で公開されている「ガス室」なるものは、戦後ポーランドの共産主義政権か、または同国を支配し続けたソ連が捏造した物である。アウシュヴィッツでもどこでも、第二次大戦中のドイツ占領地域で、「ガス室」による「ユダヤ人大量虐殺」などは一度も行なわれていなかったのだ。こう断言する理由は後述するが、その前に二つのことを言っておきたい。まず、第一に私は、第二次世界大戦中にドイツが採ったユダヤ人政策を弁護するつもりは全くないということである。たとえ「ガス室による大量虐殺」が行なわれていなかったとしても、ドイツが罪のないユダヤ人を苦しめたことは明白な歴史的事実である。私はその事実を否定する者ではないことをここで明白にしておく。第二は、近年、アメリカやヨーロッパで、「ホロコースト」の内容に疑問を抱人々が急速に増えつつあるのに、日本の新聞、テレビが、そのことを報道せず、結果的にはそのことを日本人の目から隠しているという事実である。最近は、論争を断片的に伝える報道もでてきたが、そうした報道は、「ホロコースト」に疑問を投げかける者は皆「ネオナチ」か「極右」であるかのような「解説」を加えている。事実は全く違う。「ホロコースト」に疑問を投げかける人々の中には政治的には明白に反ナチスの立場を取る知識人やユダヤ人さえ多数含まれているのだ。例えば、プリンストン大学のアーノ・メーヤー教授は子供の頃ナチスの迫害を受けアメリカにわたったユダヤ人の一人で、日本でも有名なきわめて権威ある歴史家である。彼は「ガス室」の存在そのものまでは否定しない「穏健な」論者だが、それでもユダヤ人の大多数は「ガス室」で殺されたのではないという「驚くべき」主張をしている。このことは一九八九年六月十五日号のニューズウィーク日本版でも取り上げられている。また、同じくユダヤ系アメリカ人のもっと若い世代に属するデイヴィッド・コウルというビデオ作家がいる。彼は、ユダヤ人であるにもかかわらず、「ガス室によるユダヤ人虐殺」は作り話だと、はっきり主張しているのである。「ネオナチ」の中にも「ホロコースト幻説」を取り上げる人間はいるだろうが、ユダヤ人の中にも「ホロコースト」はなかったと主張する人間が現われていることは注目 に値する。とにかく、まず、日本の新聞やテレビが言っていることは全部忘れてほしい。それから、『シンドラーのリスト』も一旦忘れて頂きたい。映画は、歴史ではないのだから。そこで皆さんにまず、何が真実であったのかを先に言ってしまおう。欧米の幾多の研究を一口に要約し結論を述べ、証拠はあとから示そう。そうした方が、皆さんにとって後の話が理解しやすくなると思うからである。
ナチスがその政策においてユダヤ人に不当な差別を加え、様々な圧迫を加えたことは紛れもない事実である。そして、アメリカとの戦争に突入した後、ドイツ本国及びドイツの支配 下に置かれたヨーロッパ諸国ではユダヤ人に対する圧迫が強まり、ユダヤ人を強制収容所に収容する政策が全ヨーロッパ的規模で開始された。この点について、従来の説明は大筋で 正しい。
しかし、ヒトラー及びナチスの指導部は、収用したユダヤ人達の「絶滅」を計画したことなど一度もなかった。ナチス指導部が計画したことは、強制収容所に収容したユダヤ人達を戦 後、ソ連領内などの「東方地域」に強制移住させることであった。彼らはこのユダヤ人強制移住計画をユダヤ人問題の「最終的解決(Endlo"ung)」と名付け、東部戦線でソ連を打倒 した後、実行するつもりでいた。
ナチスドイツが、アウシュヴィッツなど、ポーランド領内に建設した強制収容所は、戦後ドイツがソ連を打倒、占領した後に実行する「最終的解決」のためのユダヤ人強制移住計画の 準備施設であった。すなわち、ナチスドイツは、アウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内の収容所に収容したユダヤ人達を戦争中は労働力として利用し、戦後、ドイツがソ 連に勝利した暁には、ソ連領内ほかの「東方地域」に強制移住させる計画であった。従って、この計画とは両立し得ない「ユダヤ人絶滅」などをドイツ政府が計画、実行したこと は、一度もなかった。
ところが、ソ連戦線でドイツが敗退した結果、「ユダヤ人強制移住計画」は頓挫する。そして、戦争末期の混乱の結果、ユダヤ人達がいた収容所の衛生状態が悪化し、チフス等の疾病 の爆発的発生が起きた。その結果、多くの罪のないユダヤ人達が収容所内で死亡した。
戦後、それらの収容所で病死したユダヤ人らの死体を撮影した連合軍は、そうした病死者達の死体を「ガス室」の犠牲者であるかのように発表した。
読者の多くは、こんな話をすぐには信じられないに違いない。当然である。すぐに信じられる方がどうかしている。私も最初は信じることが出来なかった。読者と同様、私も物心ついてから、あの恐ろしい「アウシュヴィッツのガス室」についてくりかえし教えられ、聞かされてきた者の一人であって、あるきっかけから真実を知るまでは、「ガス室による大量虐殺」を疑ったことなど、ただの一度もなかったのである。しかし、ある機会から「ホロコースト」について実は論争が存在することを知った私は、この論争に関する文献を買いまくり、読みまくった後、「ホロコースト」が作り話であるという確信に至ったのである。「ホロコースト」に疑問を投じる人々は、自分達のことを「ホロコースト・リビジョニスト(Holocaust revisionist)」、すなわち「ホロコースト見直し論者」と呼んでいる。筆者は、一医師であり歴史学を専攻したわけでは全くないが、六年前(一九八九年)に、ふとした機会に彼らの存在と研究を知り、その後、複数の大学教授に手紙などを書いて意見を求めてみた。その結果、有名な国立大学教授を含めた日本の学者たちがそれらホロコースト・リビジョニストたちの主張を全く論破出来ないことを知り、日本のアカデミズムのあり方に疑問を抱かずにはいられなくなったのである。また、英字紙マイニチ・デイリー・ニュースの投書欄で一九九三年五月に大論争をやったことがあるが、その時もリビジョニズムの正しさを確信する経験をしている。 気の早い読者は、「ホロコースト・リビジョニスト」達は、「ネオナチ」かそれに似た人間だと思うかもしれない。実際、「ネオナチ」の中にも「ホロコースト」の虚構を強調するグループはいる。だが、「ホロコースト・リビジョニスト」の中には、明らかに反ナチスの立場を取る個人やユダヤ人も多数含まれているのであって、「ホロコースト・リビジョニスト」を「ネオナチ」や「反ユダヤ」などという枠でくくることは余りに事実と懸け離れている。その反証として最も明らかなものは、最初の「ホロコースト・リビジョニスト」とも呼べる歴史家が、フランスのポール・ラッシニエ(Paul Rassinier)という大学教授で、彼が、戦争中、フランスのレジスタンス運動に参加して、戦後、そのレジスタンス活動の故にフランス政府から勲章まで授与された人物だったという事実ではないだろうか? このラッシニエという学者は、元は地理学者で、左翼思想の持ち主だったため、反ナチスのレジスタンス運動に参加したのであるが、そのレジスタンス活動の故に、ナチス占領下のフランスでゲシュタポに捕らえられ、強制収容所に入れられたという人物なのである。
--西岡昌紀「戦後世界史最大のタブー。ナチ『ガス室』はなかった」(『マルコポーロ』1995年2月号)より--
-----------------------------------------------------------------
ラッシニエが、正しくは大学教授ではなく教員であった事など、この記事には、細部の誤りが多々有りました。特に、サイクロンBの物性などについて間違った事を書いた事などは、当時の私の不勉強の結果です。
ですが、ドイツがユダヤ人を差別、迫害した事は明白な事実であったにせよ、
1.ドイツはユダヤ人を「絶滅」しようとした。
2.その手段として、ドイツは、ガス室でユダヤ人を殺した。
とする主張に何ら証拠が存在せず、それどころか、この二つの主張とは両立しない事実が存在する事は事実であり、故に、私は、この二つの主張を信じる事が出来無い事は、今も全く変はりありません。
その理由は、例えばこれらの諸事実が、この二つの主張と矛盾するからです。
1.戦後、連合軍がドイツで押収した膨大なドイツ政府文書の中に、ヒトラーもしくは他のドイツ政府指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定・命令した文書は、今日に至るまで発見されていない。それどころか、この文書群の中には、アウシュヴィッツなどに収容したユダヤ人を戦後、ロシアに移住させる計画があったことが読み取れるものがある。これは、アウシュヴィッツ等の収容所が建設された目的が「ユダヤ人絶滅」ではなく、ソ連を打倒した後に、ユダヤ人をロシアに強制移住させるための準備であったことを意味しており、「最終的解決」と言ふ用語も、戦後の強制移住計画を指していたことが読み取れる。強制移住計画を人道的にどう判断するかとは別に、ドイツが目指して居た事は、ユダヤ人の「絶滅」ではなかった事をこれらの文書は示して居る。
2.又、当時のドイツ政府が、「ユダヤ人絶滅」計画のための予算を全く計上して居なかったことが判明して居る。
3.ドイツは確かにユダヤ人を差別、迫害したが、その状況の下においても、ユダヤ人を虐待したドイツ人を非常にしばしば処罰して居る。
4.アウシュヴィッツとマイダネクでは青酸ガスを用いたガス室が使用されたとされている。青酸ガスを用いたガス室は、アメリカ合衆国で、実際に死刑の一手段として使用されてきた歴史がある。ところが、その米国の経験では、青酸ガスを用いたガス室は、あらゆる処刑法の中で最も高価な処刑法であり、大量殺人には最も向かない処刑法である。このような方法を「民族絶滅」の手段として選んだとする主張は、余りにも不合理である。
5.又、そのが、青酸ガスの発生法として、米国ではポット法と呼ばれる希塩酸もしくは希硫酸とシアン化カリウムを反応させる方法が採られて居るが、アウシュヴィッツやマイダネクでは、パルプなどに青酸ガスを吸着させたツィクロンBを投入する方法が採られたとされて居る。しかし、ツィクロンBからの青酸ガス遊離は時間がかかり、処刑時間は余りにも長時間に及ぶ。更に、ガス室の換気にも長時間が必要となり、あまりにも非効率な処刑法となる。このような方法を大量殺人の手段に選んだとする主張は、4と同様、余りにも不合理である。
6.トレブリンカ、ソビブール、ベウジェーツ、ヘウムノの4収容所で は、「ディーゼル・エンジンによって一酸化炭素を発生するガス室」が存在したとされて居る。しかし、ディーゼル・エンジンは一酸化炭素をほとんど排出しないことが特徴であり、この話も、科学的に余りに不合理である。(ディーゼル・エンジンも、不完全燃焼させれば一酸化炭素をある程度排出するが、ガソリン・エンジンを使えば、はるかに多くの一酸化炭素が得られるのに、わざわざディーゼル・エンジンを選択する理由は何も無い。)
4.アウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で「処刑用ガス室」として公開されてきた複数の部屋の壁などを化学分析した結果、対照(コントロール)として採取された殺虫用ガス室にからは戦後40年以上を経た1988年においても高濃度のシアン化合物が検出されたのに対し、肝心の「処刑用ガス室」からはほとんどシアン化合物が検出されなかった(『リューシュター・レポート』)。この分析結果は、その後リューシュター・レポートに批判的な立場から同様の化学分析を追試したポーランドの法医学グループの報告によっても裏付けられているが、この分析結果は戦後の通説と矛盾して居る。(ポーランドのグループは分析の解釈においてリューシュター・レポートを批判して居る)
5.ソ連軍がアウシュヴィッツで押収した膨大なドイツ側文書の中に、処刑用ガス室の設計図は、結局発見されていない(焼却炉の図面は多数発見されて居る)。そして戦後、ポーランド当局がアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)で処刑用ガス室として公開してきた複数の部屋 は、設計図上は病死者などの死体を安置する死体安置室(Leichenkeller)として設計されて居たことが、図面から読み取れる。この事は、これらの設計図を検証したフランスのガス室肯定側研究者プレサック自身が認めて居る。プレサックは、設計段階と建設後に使用目的が変更されたと言ふ解釈を述べて居るが、これは、プレサックの想像に過ぎず、その様な変更が有った事を示す証拠は無い。
6.ガス室で殺された死体を病理学者もしくは法医学者が、解剖と化学分析によって証明した医学論文・報告は存在しない。一酸化炭素による死体を発見したと主張したソ連の文書があるが、ソ連のこの文書には医学的記載がない。また、カティンの森事件で、ソ連が虚偽の法医学報告をして居たことを考えると、医学的記述が無いこの文書には信用性が無い。また、アウシュヴィッツについては、そうした死体の解剖記録自体をソ連は提出して居ない。
7.戦後語られてきたガス室の目撃証言には、相互の矛盾や内容の変遷が多い。収容所に収容されたユダヤ人やレジスタンスの中には、ガス室の存在に否定的な証言をした生存者が多数存在し、また自身の証言を後に撤回した証人も居たが、彼等の発言は完全に無視され続けた。
8.言はれているような大量殺人が実行された場合、それらの死体を焼却するには長時間の火葬が必要となる。それだけの焼却炉はアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)にもマイダネクにも無い。
9.1944年に米軍の偵察機が撮影したアウシュヴィッツ(ビルケナウを含む)の航空写真を見ると死体焼却の煙も石炭の山も見られない。
10.戦後、「ホロコースト」の内容は二転三転して居る。例えば、戦後間もない時期にはダッハウ、ブーヒェンヴァルト、ベルゲン・ベルゼンなどの収容所にも処刑用ガス室が存在し、それらのガス室でユダヤ人などが処刑されたと言われて居た。ところが今日、これらの収容所ではガス室による処刑は行われて居なかったと話が変はって居る(!)。それでは、戦後間もない時期に語られていたこれらの収容所での「ガス室処刑」に関する「目撃証言」は一体何だったのか。
11.アウシュヴィッツの第一死体焼却棟の1945年の写真を見ると、現在そこにある煙突が当時存在していなかったことが見てとれる。つまり、この煙突は戦後建てられたものである。このように、現地の「物証」は戦後変更されて居る。又、ポーランドのアウシュヴィッツ博物館は、戦後長い間、第一アウシュヴィッツの処刑用ガス室とされる第一死体焼却棟を当時のまま(original)の物と主張していた。しかし、さまざまな不合理を指摘されると、戦後再建されたものであったことを認め、説明を変更して居る。
12.同様に、マイダネク収容所では、展示・公開されている「処刑用ガス室」が、ある時期から隣りの部屋に(!)変はって居る。
13.連合国は、戦後の戦犯裁判に際して多くのドイツ人に拷問を加て自白を得ており、こうした戦後のドイツ人の自白には信憑性が無い。
等々。他にも戦後語られて来た「ホロコースト」の内容に疑問を抱かせる事実は、幾つも有ります。
私は、イランの政治体制には共感しませんが、「ホロコースト」は検証されるべきだとするイラン指導部の主張には全く同感です。
2010年9月12日(日)
西岡昌紀(内科医)
参考サイト
(田中宇『ホロコーストをめぐる戦い』)
↓
http://www.tanakanews.com/f1220holocaust.htm
(西岡昌紀『アウシュウィッツ『ガス室』の真実/本当の悲劇は何だったのか』(日新報道・1997年))のサイト
↓
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%80%8C%E3%82%AC%E3%82%B9%E5%AE%A4%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E2%80%95%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%A5%BF%E5%B2%A1-%E6%98%8C%E7%B4%80/dp/4817403934/
(同書全文ミクシイ上公開)
↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1407971&page=1&id=38803058
(木村愛二著『アウシュヴィッツの争点』(リベルタ出版・1995年
全文)
↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/aus.html
(ロジェ・ガロディ著 木村愛二訳『アウシュヴィッツの争点』(れんが書房新社・全文)
↓
http://www.jca.apc.org/~altmedka/nise.html
(歴史見直し研究所(アメリカ)のHP)
↓
http://www.ihr.org
-----------------------------------------------------------------
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1335139&media_id=2
<ホロコースト>また否定発言 イランで宗教指導者
(毎日新聞 - 09月08日 11:13)
【テヘラン鵜塚健】イランで最高位の宗教指導者の一人、シラージ師は、第二次世界大戦中のホロコースト(ユダヤ人虐殺)について「迷信に過ぎない。シオニスト(ユダヤ民族主義者)たちが、世界中の人々が受け入れるべきだと主張しているだけだ」と語った。「ホロコーストは作られた神話」としたアフマディネジャド大統領の以前の発言を追認した形だ。
イラン国営通信などによると、シラージ師は「ホロコーストの事実は不明確だ。本当かどうか調査しようとした研究者らは、彼ら(イスラエル)に拘束された」と語った。
イスラエルでは8月末、宗教指導者の一人が、パレスチナ人は「地球上から消えるべきだ」と発言し、物議を醸した。シラージ師がこれに反発した可能性もある。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
/ ̄ ̄  ̄ ̄\
│木村愛二・西岡昌紀を殺せ!!!
\__ __/
∨
Λ_Λ ドルルルルルルルルル!!!!! ∧_∧∩
( `∀´)___。 \从/ _ _ _ ⊂(゜д゜*) | _
ミ( つ【〔ロ=:(∈(二(@ > ‐― ‐ ― _ - ̄ )_ ̄/ ‐―
人 ヽノ B ̄゛ /W'ヽ  ̄ / /  ̄
(__(__) B 、、、 ,,, ∪∪~
http://ebi.2ch.net/sisou/kako/983/983803803.html より
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
- おめでたいホロコースト・リビジョニスト 中川隆 2010/9/13 20:51:45
(1)
- アホ? 中川隆 2010/9/15 20:53:36
(0)
- アホ? 中川隆 2010/9/15 20:53:36
(0)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > ホロコースト6掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。