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金光翔「新潮社・早川清『週刊新潮』前編集長・佐藤優氏への訴訟提起にあたって」
※注:以下は、2009年6月16日午前に、司法記者クラブ事務局にFAXで送った通知文である。なお、司法記者クラブ事務局によれば、同日、クラブ加盟各社に配信したとのことである。※
2009年6月16日
司法記者クラブ御中
金光翔
新潮社・早川清『週刊新潮』前編集長・佐藤優氏への訴訟提起にあたって
私、金光翔(株式会社岩波書店社員(『世界』編集部を経て、現在は校正部に在籍)、首都圏労働組合組合員)は、6月12日、東京地方裁判所民事部に、株式会社新潮社(代表取締役:佐藤隆信)、早川清氏(『週刊新潮』前編集長)、佐藤優氏(外務省職員)を被告とする、600万円の損害賠償・謝罪広告等の請求を目的とした訴状を、提出いたしました。本件訴訟は、代理人を立てない本人訴訟です。
これは、『週刊新潮』2007年12月6日号に掲載された「「佐藤優」批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」」とのタイトルの記事において、私の名誉を毀損する虚偽の記述が掲載されたこと、また、私が発表した論文「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号(2007年11月10日発行)掲載)に関して、佐藤優氏(以下、佐藤氏)による、「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません」などという、著者である私の名誉を毀損する発言が掲載されたことに関して、名誉回復措置と損害賠償を求めたものです。
本件については、『週刊新潮』同号発売直後から、私は、私の所属する労働組合のブログ「首都圏労働組合特設ブログ」で、同記事の記述の虚偽の部分を指摘し、また、同ブログおよび個人ブログ「私にも話させて」で、私の上記論文が、佐藤氏が言うような「滅茶苦茶な内容」ではないことを指摘してきました。
また、本年3月27日には、申入書を内容証明郵便で『週刊新潮』編集長(当時)の早川清氏に送り、同記事における私に関する虚偽の記述、プライバシーの侵害の記述を指摘し、そうした記述に関する認識等に関する質問を行うなど、いたずらに争うことなく穏便に解決すべく考え、善処を求めてきました。
ところが、『週刊新潮』は、質問に対して一切回答しないどころか、4月14日の私の電話(早川氏は私からの電話に一切出ませんでした)に対して、『週刊新潮』編集部員は、『週刊新潮』としては、前記の申入書の諸質問について、回答するに値しないと認識しており、回答する気はない旨を述べました。
また、佐藤氏は、私の上記論文のどこに佐藤氏が「言ってもいないこと」をさも佐藤氏の主張のように書いた箇所があるのか等、『週刊新潮』同記事での私の論文への誹謗中傷の根拠を、これまで公的には一切明らかにしていません。
私は、佐藤氏に対しても、いたずらに争うことなく穏便に解決すべく考え、、『週刊新潮』同記事での私の論文への誹謗中傷の根拠等を問うた公開質問状(私が管理するブログ「資料庫」に2月26日に掲載しました)を送るなど、善処を求めてきました。
同公開質問状については、2月26日付の内容証明郵便で、早川編集長(当時)宛てに送り、佐藤氏に渡すよう依頼しました。ところが、4月11日の私との電話における『週刊新潮』編集部員の回答によれば、3月14日もしくはその翌日に、同記事を執筆した記者が、同公開質問状(ただし、『週刊新潮』側が、私が内容証明郵便で送った公開質問状を紛失したため、「資料庫」に掲載されている同一内容のそれをプリントアウトしたもの。この辺の経緯は、「私にも話させて」2009年3月17日付記事参照)を、佐藤氏に送りたい旨を佐藤氏に連絡したところ、佐藤氏は受け取りを拒絶したとのことです。そして、今日に至るまで、佐藤氏は公開質問状への回答を私に送って来ていません。
こうした、『週刊新潮』および佐藤氏の姿勢は、全く誠意も欠いたものとしか考えられず、やむなく本訴に及んだ次第です。
以上の経緯から明らかなように、私は、いたずらに訴訟を好む者ではありません。しかし、本訴訟は、特に以下の2点に関しても、現在の出版・ジャーナリズム界に問題を提起するものとなると考えます。
一つ目は、佐藤氏と『週刊新潮』の関係です。本件訴訟においては、この関係の究明が、一つの焦点になると思われますが、 『週刊新潮』同記事を書いた記者は、佐藤氏と大変親しく、毎日のようにやりとりしているらしいと、『週刊新潮』編集部員は私に明言しました。
『実話ナックルズRARE』第1号(2008年10月売)、『中央ジャーナル』203号(2008年11月25日発行)は、『週刊新潮』同記事は、佐藤氏が『週刊新潮』の懇意の記者に書かせたものだと報じています。
これまで、私に関する記事も含め、佐藤氏の怒りを買ったと思われる書き手について、『週刊新潮』が中傷記事を書くというケースが、3つも続いています。大鹿靖明氏(『AERA』編集部員)と原田武夫氏(原田武夫国際戦略情報研究所代表)のケースです。
大鹿氏の場合、同氏が執筆した記事「佐藤優という『罠』」(『AERA』 2007年4月23日号掲載)について、佐藤氏は代理人弁護士を通じて抗議し、『週刊金曜日』2007年5月11日号には、佐藤氏による「大鹿靖明『AERA』記者への公開質問状」が掲載されています。そして、公開質問状の掲載とほぼ同時期の発売である『週刊新潮』2007年5月17日号では、 「朝日『アエラ』スター記者が『佐藤優』に全面降伏」とのタイトルの記事が掲載されています。この記事は、大鹿氏が佐藤氏に謝罪したこと、匿名の第三者による「記者としてこれからやっていけるのか」などの大鹿氏批判、佐藤氏による大鹿氏批判などが取り上げており、大鹿氏の社会的評価を低下させるものです。
原田氏の場合、自身のブログで佐藤氏を批判する記事を書き、佐藤氏批判の内容を含む本(『北朝鮮vs.アメリカ』ちくま新書、2008年1月8日発売)を刊行することを予告していましたが、本の刊行直前、『週刊新潮』2008年1月3日・10日号に、「天皇のお言葉」の秘密を暴露してしまった「元外務官僚」」なるタイトルの、大々的な中傷記事を書かれています(この「元外務官僚」とは、原田氏であることが、同記事では実名で示されています)。
仮に佐藤氏が、自身への批判者に対して、懇意の『週刊新潮』記者と結託して同誌に中傷記事を書かせたのだとすれば、これは、「見せしめ」であり、自身への批判を萎縮させるための行為であると言わざるを得ず、「言論の自由」への挑戦であると言えます。
こうした推測は、以下のように、佐藤氏が自身の主張への批判を萎縮させる効果を持つ発言をしていることからも、根拠があるものであると考えます。
佐藤氏は、各誌・単行本で、ガザ侵攻等のイスラエルの軍事行動を擁護する発言を繰り返しており、国際法違反すら容認しています(『国家の謀略』小学館、2007年12月、275〜276頁)。
その一方で、佐藤氏は、
「アラブの原理主義やパレスチナの極端な人たちの中から、「佐藤は日本におけるイスラエルの代弁者だ」ということで、「始末してしまったほうがいい」と言ってくる人たちが出てくるかもしれない。それはそれでかまわない。それを覚悟で贔屓しているわけです。しかしそれと同じように、アラブを贔屓筋にしている人たちは、イスラエルにやられても文句は言えないですよという話です。たとえばアルカイダ、ハマス、ヒズボラのテロリストを支援するような運動をやった場合、これはイスラエルにとって国家存亡の問題ですから、その人は消されても文句は言えない。それくらいの覚悟が求められる贔屓筋の話だと思います。」(『インテリジェンス 武器なき戦争』(幻冬舎、2006年11月)、168頁)
「日本の論壇では、中東問題について、親パレスチナ、親イランの言説が大手を振るって歩いている。筆者は、数少ない、イスラエルの立場を理解しようとつとめる論客に数え入れられているようだ。講演会の質疑応答でも、(あまり数は多くないが)思考が硬直し、自らが日本人であることを忘れ、ハマスやヒズボラの代理人であるかの如き人を相手にすることがある。」(「なぜ私はイスラエルが好きなのか 上」『みるとす』2009年4月号)
などと語っており、イスラエルの軍事行動を批判する人物を、「ハマスやヒズボラの代理人であるかの如き人」とした上で、そのような人物はイスラエルに「消されても文句は言えない」と主張しています。また、佐藤氏は、自身がモサド元長官をはじめとして、イスラエルの多数の要人と懇意であることを多くの媒体で表明しており、イスラエルで「インテリジェンス」を勉強した、そのことは自分の本や論文を読めば誰にでもわかるとの旨の発言を行っています(佐藤優「『AERA』、『諸君!』、左右両翼からの佐藤優批判について」『月刊日本』2007年6月号)。
以上のように、佐藤氏は、自身のイスラエルとの関係の深さをことさらに顕示した上で、イスラエル批判者はイスラエルに殺害されても文句は言えないなどと、「言論の自由」を原理的に否定する主張を行っており、こうした佐藤氏の振る舞いおよび発言が、佐藤氏のイスラエル擁護の諸発言を批判することを萎縮させる効果を持つことは明らかです。
また、佐藤氏は、オリックスの宮内義彦会長の発言に対しても、「北海道の右翼が情けないですよね。街宣車で会社の回りをグルグル回るというようなことをして、怖いと思わせなければ、こういう発言はやめないですよね。「発言は自由である。しかし、それには責任がともなう。これが民主主義だ」って」などと、言論に対して暴力をちらつかせて威圧させて黙らせることを積極的に肯定しています(山口二郎編著『政治を語る言葉』七つ森書館、2008年7月、242頁)。これも、「言論の自由」の原理的な否定であることは明らかです。
このところ、小林よしのり氏が、自身の佐藤氏への批判に対して佐藤氏が『SAPIO』編集部に圧力をかけていたこと等に関連して、佐藤氏を「言論封殺魔」と名づけ、批判しています。佐藤氏は、こうした小林氏の批判に対し、小林氏が指摘するように、開き直りと言える態度をとっています。このように、佐藤氏が「言論の自由」へ挑戦しようとしていることが、一般的にも注目されつつある中、本件の訴訟で一つの焦点となると思われる、佐藤氏と『週刊新潮』の関係を明らかにすることは、現在の出版・ジャーナリズム界への重要な問題提起となると考えます。
二つ目は、佐藤氏と岩波書店の関係および、『週刊新潮』本件記事と岩波書店の関係です。本件訴訟においては、岩波書店上層部、社員等の出廷が予想されます。
岩波書店は、『週刊新潮』本件記事の私の人事異動に関する、私の名誉を毀損する記述内容が、虚偽であることを認識しているはずであるにもかかわらず、『週刊新潮』に抗議はしないことを記事掲載直後から私に明言し、また、この記事が出たことにより蒙ったとする岩波書店の被害をも私の責任であるとしています。その上で、私を「厳重注意」の対象にし、各部署ごとに役員臨席で全社規模で「臨時部会」を開催し、私に「厳重注意」を下したことを周知徹底させています。「厳重注意」よりも重い処分が下された事例は、私もこれまで岩波書店で何度か見てきましたが、このように、「臨時部会」まで開かれ、しかも各部署ごとに役員臨席という事例はありません。私に対する「嫌がらせ」だと、私は理解しています。
また、現在の佐藤氏と岩波書店の関係は、『世界』誌上で佐藤氏と大田昌秀氏(元沖縄県知事)の連載対談「沖縄は未来をどう生きるか」が掲載されていたり、また、本年4月には岩波現代文庫の一冊として佐藤氏の『獄中記』が刊行されていたりするなど、友好的なものです。ところが、これは、『週刊新潮』本件記事から考えると、極めて奇妙な事態なのです。
佐藤氏は、『週刊新潮』同記事において、「『IMPACTION』のみならず、岩波にも責任があります。社外秘の文書がこんなに簡単に漏れてしまう所とは安心して仕事が出来ない。今後の対応によっては、訴訟に出ることも辞しません」と発言しています。
ここでの「社外秘の文書」とは、私が上記論文で引用した、「岩波書店労働組合壁新聞」を指します。この引用を指して社外秘の文書が漏れたとはとても言えないこと(そもそも労働組合の文書です)は、訴状でも明らかにしています。
そして、私は、『週刊新潮』本件記事掲載直後から、「岩波書店労働組合壁新聞」を従来どおり必要があれば発表する文章に於いて引用することがある旨を、「首都圏労働組合特設ブログ」で表明しています。岩波書店は私のこの見解を認識していますが、岩波書店は、「岩波書店労働組合壁新聞」を廃止させる等の措置を何らとっていません。すなわち、「訴訟に出ることも辞しません」とまで岩波書店に激怒しておきながら、『週刊新潮』本件記事掲載後から、「社外秘の文書」に関して、事態は何も変わっていないにもかかわらず、佐藤氏は岩波書店との友好関係を回復しているのです。
佐藤氏も岩波書店も、この明白に奇妙な状況について、一切発言していません。『週刊新潮』本件記事掲載直後に、私は、今後は佐藤氏のような「岩波書店の著者」を批判する内容等を含む文章を発表しないよう誓うことを岩波書店から迫られ(私は拒否しています)、「厳重注意」を受けましたが、仮にこうした岩波書店の要求を私が呑んでいれば、こうした奇妙な状況は生じなかったことになりますから、佐藤氏(と岩波書店)としては、私が簡単に折れるものと考えていたのかもしれません。
一社員の論文に関して、「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容です。言論を超えた私個人への攻撃であり、絶対に許せません」などと言っておきながら、その「私が言ってもいないことを、さも私の主張のように書」いた箇所はどこかすら公的に明らかにしておらず、『週刊新潮』本件記事に協力した人物の新刊を岩波書店が刊行し、岩波書店発行の雑誌に登場させることは、一社員への佐藤氏の攻撃を容認することであり、社員の人権を蔑ろにするものです。
岩波書店のように、これまでの刊行物等から、「平和」、「人権」、「学術」といったイメージを持つ出版社が、佐藤氏の新刊を刊行し、発行物で登場させることは、佐藤氏の主張を社会的に受け入れやすくさせます。岩波書店は自社のこうしたイメージを、積極的にブランドとして活用しようとしていますから、私が上記論文等で指摘しているような、排外主義的主張や国権主義的主張を数多くの媒体で展開している佐藤氏を使うことの社会的責任をどう認識しているのか、公的に明らかにすべきです。前記のような、佐藤氏の「言論の自由」への挑戦と言うべき諸発言については、特にそうでしょう。ところが、岩波書店は、そうした釈明を今日まで一切行っていないどころか、『世界』編集部在籍時に、佐藤氏を使い続ける編集方針を理由として異動を申請し、「<佐藤優現象>批判」という論文を私的な立場で(岩波書店社員であると公表せずに)発表した私に対して、「嫌がらせ」ととらざるを得ない行為を行っています。
この「嫌がらせ」に関しては、私が少数組合を結成していたことにも起因している可能性があると思いますので、この件について若干付記しておきます。
私は、岩波書店労働組合(2009年4月時点の組合員数は160名)の私への不当な対応に失望し、社外の友人らとともに、2007年4月、「首都圏労働組合」を結成し、ユニオンショップの御用組合である岩波書店労働組合(一例を挙げると、『週刊新潮』同記事掲載号発売時点、岩波書店の役員8名中、4名が同組合の委員長・副委員長経験者でした)から脱退しました。岩波書店内での首都圏労働組合員は、結成時も現在も私一人です。
岩波書店労働組合は、私の脱退を認めず、私に対してさまざまな嫌がらせを行ってきていますが、そのうちの一つとして、岩波書店労働組合が、他にとりうる手段があるにもかかわらず、勤務時間中に職場にわざわざおしかけて、脱退は認められないから組合費を払えなどと要求していることが挙げられます。会社には労働法上、職場環境配慮義務があることから、私は岩波書店に事態の是正を依頼しましたが、岩波書店はこれを拒否しました。
私は東京都労働相談情報センター(東京都産業労働局の出先機関)に相談したところ、同センターは岩波書店と私の間で「あっせん」を行うことを岩波書店に提案しましたが、岩波書店はこの「あっせん」すら拒否しました。すなわち、岩波書店は、御用組合が私に嫌がらせをしていることを容認し、事態の打開のための行政機関の仲介の提案すら拒否しているのです(この件の詳細は、「首都圏労働組合特設ブログ」2007年12月13日付記事参照)。私の岩波書店への事態是正の依頼とその拒否や、同センターの「あっせん」の提案とその拒否といった出来事は、『週刊新潮』同記事掲載号発売日の直前である、2007年10から11月にかけてのことです。この件も、岩波書店の『週刊新潮』同記事への対応を考える上で、一つの材料となりうると考えます。
岩波書店は、現在、慢性的な経営不振と、2008年度における売上高の急激な低下により、経営者が「非常事態」宣言を発している状況ですが、こうした背景の下での岩波書店の上記のような姿勢は、船場吉兆や赤福など、少し前にジャーナリズムを賑わせた、老舗企業の不祥事と同質の性格を持つものだと考えます。本件訴訟の過程を通じ、佐藤氏と岩波書店の関係および、『週刊新潮』本件記事と岩波書店の関係に社会的注目が集まることは、出版・ジャーナリズム界にとって、大変有意義であると考えます。
本件について、公正な立場から、社会的視点に立った適切な報道をしていただけますよう、お願いいたします。
(連絡先:金光翔(キム・ガンサン) gskim2000@gmail.com (※注:携帯番号))
以上
2009.06.16 18:30
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