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【ビジネスメディア誠】 なぜ『週刊現代』と『週刊ポスト』の部数は凋落したのか?
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投稿者 passenger 日時 2009 年 4 月 10 日 02:38:34: eZ/Nw96TErl1Y
 

【ビジネスメディア誠】 なぜ『週刊現代』と『週刊ポスト』の部数は凋落したのか?
 
 
 

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http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0903/25/news012.html
http://news.livedoor.com/article/detail/4077583/

なぜ『週刊現代』と『週刊ポスト』の部数は凋落したのか?


    2009年03月25日07時00分
    提供:Business Media 誠


出版&新聞ビジネスの明日を考える:週刊誌の中の週刊誌、というよりも雑誌の中の雑誌、日本を代表する総合週刊誌の部数減が著しい。

 日本雑誌協会のマガジンデータによると、4大誌『週刊文春』『週刊新潮』『週刊ポスト』『週刊現代』の2008年4月〜6月と10月〜12月の印刷証明付発行部数は、次の通りである。

総合週刊誌の部数(日本雑誌協会調べ)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
雑誌名  ┃2008年10月〜12月部数(万部)┃2008年4月〜6月部数(万部)┃増減
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
週刊文春 ┃   76.2             ┃   76.6            ┃−0.4
週刊新潮 ┃   68.1             ┃   71.9            ┃−3.8   
週刊ポスト ┃   47.1             ┃   51.9            ┃−4.8
週刊現代 ┃   42.4             ┃   49.4            ┃−7.0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


 週刊誌の発行部数は、スキャンダラスな事件の有無などにも左右されるから、即断はできないものの、4大誌ともに部数を減らしており、部数の少ない方から売れなくなってきている傾向が見て取れる。

 『週刊文春』の微減はともかく、『週刊現代』は7万部減、『週刊ポスト』も4万8000部減というのはかなりショックな数字である。両誌ともにかつて100万部を軽く超え、ライバルとしてしのぎを削ってきただけに非常に寂しい。

 1990年代、『週刊現代』編集長として黄金時代を築くだけでなく、『フライデー』編集長、講談社第一編集局長、インターネットマガジン『Web現代』創刊編集長、市民参加型メディア『オーマイニュース日本版』編集長さらに代表取締役社長を歴任した、元木昌彦氏自身のブログ「元木昌彦のマスコミ業界回遊日誌」(http://ameblo.jp/motokimasahiko/)の2009年2月17日付エントリで、危機感を訴えている。

 「雑誌は読者とともに年をとっていく。団塊世代とともに成長してきた週刊誌は、団塊世代が引退すると同時に、勢いが衰えてきたのだ。いまは、ナンバーワンの文春まで、部数が落ちてきているという。『サンデー毎日』が実売5万部、『アサヒ芸能』が15万部になったと聞く。『週刊現代』も20万部を切っている。

 総合週刊誌というジャンルは寿命を終えようとしているのかもしれない。しかし、だからといって、休刊すればいいものではない」

 『週刊現代』の実売が20万部に満たないのならば、返品率は半分近くにもなるのだろうか。


●男性サラリーマンの総合週刊誌離れが直撃

 元木氏に雑誌の現状などを聞くため、早稲田にある事務所を訪ねた。「最も危険な編集者」と噂される人だけにとても恐い人を想像していたが、会ってみると内に信念を秘めた穏やかな人といった印象だ。『週刊現代』や『フライデー』の編集長をしていたころの元木氏を知らないので、当時に比べて今、人間が円くなったのかは筆者では判断がつかない。

 「『週刊文春』は、女性に強く女性の読者が半分ですから、目減りしないと言えます。『週刊新潮』は、昔は40歳を過ぎたら読む雑誌でした。今は50歳、60歳を過ぎたらと年齢層がさらに上がっているでしょうが、昔から高年齢層に強かった。それに対して『週刊現代』、『週刊ポスト』は男性サラリーマンを読者の中心として部数を伸ばしてきましたから、直撃を受けています」

 『週刊文春』が女性、『週刊新潮』が高齢者に強い雑誌であるというのは感覚的にも納得できる。病院に行けばこの両誌を置いているところも多く『週刊現代』、『週刊ポスト』はあまり見かけない。統計的に調べたわけではないが、病院の定期購読だけでもかなり差がつくだろう。

 『週刊文春』、『週刊新潮』の方が女性にも読まれて読者層が広く、暇つぶしとして手に取る機会が多い。それが比較的部数減が少なくて済んでいる要因なのだろう。

 「1990年代初頭のバブルが弾けたころ、サラリーマンの年功序列、終身雇用が壊れて、『週刊現代』と『週刊ポスト』がやってきた『色、カネ、出世』路線が厳しくなってきたということですね。色というのは、風俗を含めての遊び。これがエイズ問題で一気にしぼんでしまった。カネは給料以外のお金を稼ぐ、株も含めてのサイドビジネス。この株がバブルで弾けてしまった。出世は年功序列、終身雇用が揺らいだために約束されなくなった。出世第一主義がバブル崩壊とともに崩れたわけです」


●サラリーマンに対する共感があったから売れた

 実際に、『週刊現代』の販売部数は1990年代初頭に低迷し、実売50万部を切るまでに落ち込んでいた。

 元木氏は、苦しんでいた『週刊現代』の救世主として、写真週刊誌の雄『フライデー』編集長から異動。『週刊現代』編集長に就任し、見事立て直して、4大誌トップの座を一時『週刊ポスト』から奪回してみせた。

 「いろんな試みがあったけど、サラリーマンが非常につらい時期だったので、特に中年のサラリーマンを応援しようと、健康不安、生活不安を含めて特集しました。あとはちょうどヘアヌードですね。そういうので『週刊現代』が『週刊ポスト』とともに、もう1度ナンバーワン雑誌になっていくのです」

 元木氏の言葉の端々から感じるのは、毎日満員の通勤電車や道路の長い交通渋滞に耐えて働き、明日が今日よりも良くなると信じて家族を支える、サラリーマンたちに対する共感と愛だ。そこにブレがなかったからこそ、元木氏の声は読者に届いたのではないか。

 しかし、その後の経済低迷により、若い人たちが出世に魅力を感じなくなったことで、『週刊現代』と『週刊ポスト』が部数を落としていく。『週刊文春』と『週刊新潮』はサロン雑誌的な側面もあって、サラリーマンだけでなく、もう少しターゲットが広いから、あまり影響を受けなかったが、今やこちらも落ちてきている。

 「総合週刊誌自体が存亡の危機です」と、元木氏は力を込めた。

 元木氏より帰り際に渡された氏の近著『新版 編集者の学校』(講談社+α文庫)の第三章より抜き出してみよう。

 「私は常々、『ものいわぬ新聞』『ものいえぬテレビ』といっている。テレビは電波法などでがんじがらめになっていて、いいたいことをいえないのはいわずもがなだが、新聞も、自称1000万部とか800万部といっているために、最大公約数のものしか載せられない。その上、記者クラブに頼りきっているから、役所の発表したものが全体の記事の六割以上にもなってしまうのだ。

 その点、記者クラブへも入れず、人数も少ない出版社系週刊誌は、そのための有効な武器としてスキャンダルを使うのだ。新聞、テレビは、事件が起きて警察が動き出すまでは、ほとんど書かないか書けない。雑誌は、事件化する前の『疑惑』段階から、動き出すことができ、追及することができる」

 しかし、同書にも書かれているとおり、名誉毀損の高額化、個人情報保護法などの雑誌規制が強まったことで、環境が厳しくなっているのも事実だ。だが、元木氏は「記者クラブにいて黒塗りのハイヤーで取材」するメディアだけではジャーナリズムは健全ではなく、「野良犬のように現場をほっつき歩き、何かをほじくり出して」くる雑誌ジャーナリズムが、これからますます重要になると、総合週刊誌を叱咤(しった)激励するのである。


●野良犬のような雑誌ジャーナリズムだったが

 確かに雑誌がなかったら、元木氏が同書で指摘しているように「『田中角栄の金脈問題』も、『創価学会の言論弾圧』も、『桶川ストーカー殺人事件での警察の怠慢』も、山崎拓元幹事長があんなにスケベなことも、多くの人が知ることはなかった」だろう。『週刊現代』が執拗に追っている、大相撲の八百長問題もである。

 時には高額なカネを取材相手に払ってまで入手する、それらセンセーショナルな「独占スクープ」には、別に我々が知らなくてもどうでもいいことも多々あったが、暴くべき社会悪も確かにあったのである。ただ、元木氏の熱いジャーナリスト魂が、雑誌作りの現場に届いているかというと、疑問に思う面もある。

 「出版社に入社するというのは、昔は企業として認知されていなかったので、格落ちの会社に入った気持ちはありました。今は銀行を受けて、商社を受けて、電通や博報堂を受けて、出版社も受けて、内定をもらったところに入る傾向が強いです。優良企業の1つになって人材が変わってきました。東大を出ていなくても試験ができなくても、面白い人材を採れればいいが、なかなかそうはいかない」

 誰もが知るように、総合週刊誌を出している大手出版社社員は人もうらやむ高給をもらっている。上場企業でも社員の平均年収が300万円ほどのところもある中で、今の大手出版社の社員は立派なエリートとも言えるだろう。

 リストラされて次の仕事も見つからない人や、派遣を点々とするフリーターの気持ちを分かれというほうが無理かもしれない。いつのまにか、出版社社員は野良犬から黒塗りのハイヤーの世界にどんどん近づいていってしまったのか。

 「若い編集者たちは人に会いたがらない、取材の面倒なプランを出さない。本当に大事な生の情報は、好奇心を持って人に多く会わないと得られないのだから、ずっとPCばかり見ていてもダメです。何度も原稿を見直して校正している編集者もいますが、時間を区切るために締め切りがある。校正で忙しいは、本質的に忙しいのではないです。新聞や雑誌、インターネットの『2ちゃんねる』まで読んでいては、時間がないのは分からないでもないが、生の情報ではない。企画を立てるには人に会わないと!」

「2ちゃんねる」の書き込みはほぼ、メディアの素人による、今までなら読者の立場の人たちが書き込んでいるものだ。内容に責任を負う必要がない以上、信憑性(しんぴょうせい)は低い。元木氏のいう「読者と同じ目線でものを見て、企画を立て、取材する。いつまでもアマチュアのプロ」である雑誌編集者・記者とは根本的に異なる。

「マニアックでいい、オタクでいいから好きなことを徹底的に追ってほしい。そういう個性ある人が少なくなった」と元木氏は目を伏せた。例えば元木氏は趣味の競馬を通じて作家の山口瞳さんと知り合い、また落語を通じて立川談志さんと知り合った。ともに、『週刊現代』に連載を頼むことになってヒット企画となったとのことである。


●何でもありだが、実は何もない雑誌!?

 『プレジデント』の最高発行部数時の編集長であった、清丸惠三郎氏は現在フリーの出版プロデューサーとして歴思書院を主宰しているが、出版にかかわる人々を多角的に取材した『出版動乱――ルポルタージュ・本をつくる人々』(東洋経済新報社)という本の著者でもある。

 その第1章に『週刊ポスト』VS. 『週刊現代』という記述があり、編集部の編集長、副編集長のコンビが両誌ともに、硬派の政治・経済を得意にする編集者と、軟派な芸能や遊びに関する分野を得意にする編集者の組み合わせで成り立っていること。フリー記者の扱いが『週刊ポスト』では班や編集者個人が発注するのに対して、『週刊現代』が契約制であることなど、共通点と相違点が記されていて興味深い。

 当時の『週刊ポスト』の坂本隆編集長、『週刊現代』の鈴木哲編集長ともに、マネジメント手法は、下からの企画を柔軟に受け入れる「ボトムアップ型」であったそうだ。『週刊現代』と『週刊ポスト』が似ているのは、1959年に『週刊現代』が創刊した10年後の1969年、当時の『週刊現代』編集長が講談社から小学館に移籍して創刊したからである。

 そして最終章で清丸氏は次のように、警鐘を鳴らしている。「特に雑誌に関して指摘されているのが『男性誌・総合誌・月刊誌』の不振である(中略)。

 要するにこの層(40〜50歳代)はバブル崩壊後の実質賃金切り下げ、雇用不安に直撃されており、一方でPCができなければ即窓際との脅迫観念からそちらに投資せざるを得ない(中略)。

しかも、多くの分野にセグメントされた専門雑誌が次々と登場しており、総合誌は帯に短したすきに長し、極論すると『何でもありだが、実は何もない雑誌』だと決め付けられつつある(中略)。

 問題は、『総合誌、男性誌』不振が、ここにきて月刊誌にとどまらず週刊誌にまで波及しつつあることである。第1章で『週刊ポスト』と『週刊現代』を取り上げたが、両誌ともにその後の1年で急激な部数減に見舞われている」

 つまり、総合誌の凋落(ちょうらく)はまず月刊誌に表われ、2000年ころより週刊誌に波及し、まず『週刊現代』と『週刊ポスト』の部数が減りはじめた。そこには清丸氏が指摘するように、インターネットの普及で、月刊誌のみならず週刊誌までもが、情報誌として足が遅いと思われてきた。さらに『アエラ』や『サライ』のような作りは大判ながらハンディでスマート、記事的には軽く、短く、そしてデザイン的には垢抜けていてビジュアルという雑誌の相次ぐ創刊、読者の移行といった背景があるだろう。


●中高年サラリーマンはまだ週刊誌を求めている

 さらに清丸氏に電話インタビューを試みたところ、当時と今で違ってきた点があると語り始めた。

 「『週刊現代』、『週刊ポスト』に関しては、読者のコアになっている団塊世代のサラリーマンが退職して、通勤しなくなったのが大きいです。それに駅のキヨスクがなくなって、どんどんコンビニに転換しています。同じことは夕刊紙やスポーツ新聞にも言えることだけど、コンビニで買うには、ガラスドアの中に入って、レジに持って行かなくてはならないから、買うための二重の障壁があります」

 キヨスク側の論理としては、週刊誌、夕刊紙、スポーツ新聞が売れないからコンビニに衣替えするという理屈であり、鶏が先か卵が先かの話らしい。それに、駅前書店がどんどんつぶれて、クルマで乗り付ける郊外型書店に替わっているのも、手軽に買う機会損失になっているだろう。暇つぶしに目にするチャンスがなくなってきているのだ。

 「不況によるサラリーマンの抱えている問題は、編集者が考えるよりもっと深刻で、お金を払って買う行動に結びついていません。部数減とともに広告も減って経営を圧迫しています。『週刊文春』と『週刊新潮』は、日本人はこうでなくちゃいけないというアジテーションがうまく、『あいつは馬鹿だ』と権力者、有名人を攻撃してうっぷん晴らしにいい記事になっています。記事のつくりも、『週刊現代』、『週刊ポスト』に比べれば全般にていねいです。それにヘアヌードの後遺症も大きい」

 元木氏はヘアヌードという言葉の生みの親でもあるが、『週刊現代』、『週刊ポスト』の両誌が、次は誰が脱ぐのか、ライバル心むき出しで競い合った何年かで、両誌はすっかり中を開けると赤面するような雑誌というイメージを一般消費者に定着させてしまった。

 今ではヘアヌードが飽きられてグラビアも大人しくなったが、女性誌がどぎつい性的描写によって自滅していった同じ道を歩んでいるのかもしれない。

 「結局、ヘアヌードに替わるようなコンテンツを今まで生み出せなかったのではないか」と、元木氏は語った。『週刊文春』、『週刊新潮』はヘアヌードに手を染めなかったのが良かった。しかし、この米国のサブプライムローン問題に端を発した世界同時不況の影響で、『週刊文春』と『週刊新潮』までもが部数を落とし始めたのが、今の状況のようだ。

 総合週刊誌の部数減を食い止めるにはどうしたらいいのか。筆者のような浅学非才では解決策など思い浮かびようもないが、まだ実売が20万部前後以上もあるのだから、総合週刊誌は捨てたものではない。いまどき新創刊して、3万部の雑誌を作るのも大変なのである。それに、中高年サラリーマンも消えてなくなったわけではないのだ。

 編集者は高給をもらっていれば、リスクも取りたくないだろうが、そもそも秀才なのだから、もうほんの少しでも一般サラリーマンと交流してみれば、彼らが抱えている問題が鮮明になってくるのではないかと、無責任にも思ってみたりする。

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