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(回答先: もっと厚く、もっと苦々しい文章を(鷲田 清一) 投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 2 月 21 日 20:48:09)
>プロだから
というのもありですが、「心はアマチュア腕はプロ」という名言もあります。(開高健氏の釣り師としての言葉ですが。)
さしづめ、下のカーター氏は「心はアマチュア」だったのでしょう。全身全霊プロよりもこちらの方が好ましい場合もあるに違いないです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC
ケビン・カーター(英語: Kevin Carter、1960年9月13日 - 1994年7月27日)は、南アフリカ共和国の報道写真家。
1994年、ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っている『ハゲワシと少女』という写真でピューリッツァー賞を受賞。写真はスーダンの飢餓を訴えたものだったが、1993年3月26日付のニューヨーク・タイムズに掲載されると同紙には絶賛と共に多くの批判が寄せられた。そのほとんどは「なぜ少女を助けなかったのか」というものであり、やがてタイム誌などを中心に「報道か人命か」というメディアの姿勢を問う論争に発展した。
授賞式から約1ヶ月後、カーターはヨハネスブルグ郊外に停めた車の中に排気ガスを引きこみ自殺。彼はマンドラクス[1]を常用する薬物依存症であっただけでなく、20代の頃に躁鬱病を患っており二度も自殺未遂を起こすなど精神的に不安定な側面があった。また、死の数年前から衝撃的な写真を撮ることと、そうした写真ばかりが喜ばれることに疑問を抱いていた。
ハゲワシと少女
1983年から続く内戦と干ばつのためにスーダンでは子供たちを中心に深刻な飢餓がおこっていた。しかし、スーダン政府は取材を締め出し国外に伝わらないようにしていた。そんな中カーターは、内戦の状況を伝えようとスーダンに潜入した。
カーターが訪れた国連などの食料配給センタ−があるアヨドという村では、飢えや伝染病で一日に10人から15人の子供たちが死んでゆく有様だった。やりきれなさから、その村から離れようとして村を出たところで、ハゲワシがうずくまった少女を狙うという場面に遭遇したのである。
カーターは写真をとった後、ハゲワシを追い払い、木陰まで行ってタバコをふかし、しばらく泣き続けたと手記に記している。
この写真が、ニューヨーク・タイムズ紙に1993年3月26日付けで掲載されると強い批判がニューヨーク・タイムズ紙に寄せられた。大部分が写真を撮る以前に少女を助けるべきではないかという人道上からのものであった。
この写真は「報道か人命か」という問題として、その後何度かメディアで取り上げられることになった。
なお、日本では中学校の英語教科書『NEW CROWN』(2006,2008年度版)がこの写真を取り上げている。
現場にいたカーターの友人でありフォトジャーナリストのジョアオ・シルバの証言などから、写真の構図は母親が食糧を手に入れようと子どもを地面に置いた短い時間にできたものであったこと、少女の近くには母親がいてハゲワシによる危険に晒されていたわけではなかったことが明らかになっている。もしそばに母親がいなければ、カーターが少女を助けていた可能性は十分に考えられる。
* Photographer Haunted by Horror of His Work (英語)
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