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もっと厚く、もっと苦々しい文章を(鷲田 清一)
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投稿者 ダイナモ 日時 2009 年 2 月 21 日 20:48:09: mY9T/8MdR98ug
 

http://allatanys.jp/B001/UGC020005320090129COK00219.html

 報道の意味がすっかり変わってしまった。事件や出来事は、現代ではテレビやインターネットのニュース配信が刻々それを知らせてくれる。

 新聞はその点、速報性において劣る。新聞というメディアにひとびとが求めるのはだから速報性ではなく、それらの事件や出来事への向きあい方、いいかえるとそれらに対してどのようなスタンスをとったらよいのかという解釈や批評であろう。

 そんなことは読者のみならず記者自身がとうのむかしに気づいている。だから事件の奥行きを感じさせようと、どの新聞もずいぶん前から、対立する立場の論者を紙面で闘わせる「対論」やら「耕論」に大きくスペースをとってきた。だからまた皮肉なことに、いずれの新聞も似たような論調になるのを避けられなくなった。

 わたしは、新聞の個性というものは、これからはますます、そこに登場する「識者」ではなく、個々の「記者」の力量にかかってくるようになるとおもう。

BSE問題めぐるスリリングな議論の応酬

 科学技術コミュニケーションを専門にしている同僚が、BSE問題で世間が騒がしいときに、専門をまったく異にする大学院生を集めて、「米国産の牛肉を輸入再開するためにはどのような条件をつければよいか」というテーマでディスカッションをした。

 かれの話では、まず医学系の院生が、BSEについての疫学的な解釈をとくとくと披露した。それに対して経済学を専攻している院生が、問題はそんな単純なことではなく、米国との貿易摩擦をはじめとする外交の視点を挿入しないと解決できないと批判した。

 するとこんどは、文化人類学の院生が、まるでそれまでの議論を冷笑するようにしてこう言い放ったという。きみたちの議論はあまりにもスケールが小さすぎる、この問題は動物の飼育をはじめた牧畜文明の人類史的意味を考えるところから論じないと近視眼的で上滑りな議論になる、と。

 議論の盲点を衝く、こうした解釈の応酬はスリリングだったろう。議論を開くこうした眼、それを「識者」ではなく「記者」が提示できるかどうか、そこに新聞社の実力がかかっているようにおもう。

 それを感じたのは、小室哲哉逮捕のときだった。多くの新聞が、小室の陥った窮状を伝えたり、音楽の著作権をめぐる問題点を指摘したりしているなかで、朝日新聞の西正之記者の論評(2008年11月8日朝刊)は光っていた。

 小室サウンドの「売れる定式」の分析からはじまって、小室自身がその定式に「飽きて」しまい日本での仕事に身が入らなくなったこと、そして「外」をつよく意識したサウンド創造の冒険が海外での事業の失敗によって手足を縛られたこと……というふうに、小室サウンドの変容という視点から事件を論じたその記事は、視線の厚みにおいて抜きんでていた。

 こうした視線の厚みとともに新聞の実力をあらわすのは、記者の共犯性の自覚、つまりは<痛み>とでも言うべきものである。

メディア自身の情報改竄・偽装、なぜ起きる

 これもずいぶん前の記事になるが、映画監督の是枝裕和がテレビ報道についてこう書いていた(読売新聞2008年7月9日朝刊)。「テレビが犯罪を報じる目的の一つは、その犯罪を生んだ背景を考え、その原因を個人の“心の闇”に帰すのではなく、私たちと地続きなものととらえ、社会を考える材料とするためだろう。被疑者に対し、司法に先立って社会的制裁を加えるためではもちろんないはずだ。司法が基本的には罪を個人の責任として考えるのに対して、ジャーナリズムは社会に、より責任を見いだしていこうとする」、と。

 いろいろな不正を暴きたてるメディア自身が、これまで情報改竄や偽装をくりかえしてきた。だからそうした不正に対し、正義の代弁者のようにとくとくと犯人捜しやつるし上げをするメディアは、それよりもそういう偽装がみずからのそれを含めなぜくりかえし起こるのか、その構造的原因をこそ究明すべきだということなのだろう。

 引用が重なって恐縮であるが、ひとりの記者(読売新聞・丸山謙一記者)の述懐としてどうしても引いておきたい文章がある(高橋シズエ・河原理子『<犯罪被害者>が報道を変える』より)。

 <最初の赴任地で中学生同士の校内暴力事件があり一人が死亡した。病院で関係者が悲嘆に暮れる場面に報道陣は自分一人だけ。校長先生の話を聞いた旨の報告を社に入れると、写真は撮ったか、と問われ、とても撮れそうにない情況であることを報告するものの、「バカ、おまえプロだろ!という言葉を浴びせられる。新人記者である自分は験されているような気になり、覚悟を決めてシャッターを押した。先生たちから刺すような視線が向けられるなか自分は一礼して立ち去るしかなかった。これは新聞記者としてハードルを一つ超えた話とも言いうる。しかし、常識を一歩踏み外したことも間違いない。そんな経験をしながらだんだん均されていく。翌年には漁船の転覆事故で救助された船長が甲板員を失って男泣きする姿をためらうことなくカメラに納めるようになっていた。心の中で自分はプロだからとつぶやきながら。ある種、オウム真理教の信者が一線を越えていった経過に似ている。>

記者の「痛み」も記事に奥行き与える

 このような苦渋のなかで、「この問題はむずかしい」「問題の根は深い」といった言葉で終わる記事があっていいはずだ。

 そうした苦々しさの確認こそが記事に奥行きと信頼を与えるということを忘れるべきではない。ひとびとのニーズに応えるだけでなく、何がほんとうのニーズであるかを自問する文章をこそ、わたしは読みたい。

 

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