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(回答先: 半年間で学生約60人を試験したが、「中学レベルの数学が出来ない学生が多く不採用が続いた。スーツはりっぱだが頭は空っぽ。 投稿者 TORA 日時 2010 年 1 月 09 日 12:48:56)
http://araiweb.elcom.nitech.ac.jp/~ichimura/anti-yutori.html
・少数科目受験による学力低下
まず大学受験の問題から議論を始めたい。大学受験が教育に関する最重要な問題であるというわけではないが、いわば最初のボタンの掛け違いがそこにはあって、教育に係わる様々な議論に結果的に影響を与えてしまっているように思える。
「受験地獄」という言葉に現れているように大学受験のため高校生、浪人生は過重な勉強を強いられている、という漠然とした認識を持っている人は多い。文部省もそのような認識に立って「受験地獄」の解消を積極的にすすめた。97年に出された中央教育審議会の答申では次のようにうたわれている。
「学校生活におけるゆとりを確保するためには、学力試験における受験教科・科目数をできるだけ少なくしていくべきである」
同様の方針は97年以前からも打ち出されており、90年代後半は受験科目減少が進んだ。国立大学のセンター入試もアラカルト方式という名前の選択制が導入され、5教科を受験させる大学が減った。
同時に、受験勉強は実際には役に立たない事柄の丸暗記にすぎず、大学入試問題は受験テクニックを試すだけの悪問ばかりだという見方も根強くある。このことも、入試科目削減の流れを加速したと言えるだろう。
受験生は本当に「地獄」を体験しているのか、また入試問題は本当に悪問ばかりなのか、という問題はとりあえず置くことにする。ここではまず、受験科目削減がもたらした結果について考えたい。
結果とは、もちろん学力低下である。日本の学生の学力が低下しているかどうかには色々な議論がある。特に小中学生の学力については、国際比較でランキングが下がった、下がっていないとたびたび話題になっている。しかしここで指摘したいのは、そのような微妙な(?)学力変化ではなく、もっと単純で明白な事実である。すなわち、大学生の、受験からはずれた科目の能力ははっきり低下したのだ。
このことをもっとも明白に示したのが慶応大戸瀬教授と京都大西村教授の調査だった。戸瀬氏らは大学生の数学の学力を調査し、入試で数学を受験しなかった者は受験した者にくらべ平均点が大幅に低いことを示した。受験しなかった者の平均的な学力は、中学生1、2年のレベルであり、小学生レベルの問題を誤答する率も高かった。戸瀬氏らの著書のタイトル「分数ができない大学生」は大学生の学力低下を如実にあらわすフレーズとしてよく使われた。
入試にない科目の能力が低いのは当然である。またそのレベルが高校レベルではなく、中学1、2年レベルに落ちるのも必然である。なぜなら、現在の高校のカリキュラムは選択の自由度が大きく、入試科目にない科目の授業はほとんど履修しなくてよいからだ。高校で履修しない科目の能力は中学卒業時がピークであり、高校在学中は中学で学んだことを忘れていくだけである。結果的に、大学生になるころには中学1年レベルにまで低下する。
少数科目入試による学力低下は大学教育を変えていかざるを得ない。両氏の著書「大学生の学力を診断する」には次のような事例が紹介されている。慶応大学経済学部では数学を受験させる従来に入試に加え、数学を入試科目に含まない入試(B入試)が90年頃に始まった。そのB入試で入ってきた学生には高校数学程度の内容の数学概論を必修として課したが、それでも基礎学力の不足から微積分や線形代数という大学の数学を教えることは不可能だという意見が強くなり、数学はすべて必修からはずされた。マクロ経済や統計学も、B入試の学生には”数学を使わずに”教えるようになったという。
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・なぜ受験科目が減ったか
それにしても、教育に悪影響を及ぼすことが明らかである少数科目入試を、なぜ国立大学を含め多くの大学が採用したのだろうか。もちろん大学・学科によっては、たとえば数学だけできれば他の能力はいらない、という教育をしているところもあるだろうし、そこで数学だけの入試をするのはまったく問題がない。しかし実際は、慶応大経済学部の例のように、大学での学習に必要であり教員たちも必要だと考えている教科が入試科目から消されてきた。
もちろんそれは文部省の指導の結果だ。中教審の答申などの形で少数科目入試が奨励され、大学はそれに従った。ただ、審議会の答申は個々の大学の入試に対して直接に強制力を持つわけではないし、文部省は各大学の入試科目について具体的に指示を出すわけではない。大学は答申など無視して入試科目を減らさないでいることも可能だった。そうしなかったのは、大学は予算獲得のため文部省の機嫌を常にうかがう必要がある(と考えている)ためだ。文部省の方針に逆らえば、学科の新設も、定員の増加も、追加の予算措置が必要な申請は認められないだろう。だから、文部省の主張が間違っていても従わなければいけない。こうして教養教育はすべての大学で解体され、入試科目はすべての大学で減少した。中には抵抗を試みた大学もあったろうが、他の大学が少数科目化するなかで自分だけしなければ、受験生から敬遠され競争率が下がる恐れがある。
これまで文部省は気紛れで方針を変えてきた。そして大学はその気紛れに絶えず振り回されてきた。すべての国立大学が一致団結して文部省の方針にNoと言えば、そう簡単に文部省の思い通りに大学が変わってしまうことはなかっただろう。しかしどの大学にも、教育者としての自分の理念に従うより文部省の言うことに従おうとする教員がいて、もしかしたらそういうタイプの教員が大学運営で中心的な役割を果たしてきたのだ。
(文部省は現在は文部科学省だが、以下では面倒なのですべて文部省という名称で通す)