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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu198.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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国内市場では自由な競争市場が出来ているとしても、世界には、まだまだ
自由市場は出来ていない。世界自由市場というのは、実はまだ無いのだ。
2009年8月27日 木曜日
◆『国民のための経済原論 (U) アメリカ併合編』 著者 :小室直樹
http://www.interq.or.jp/sun/atsun/komuro/data/1993004.html
この本は、『国民のための経済原論U』である。なんとしてでも、国際経済がわかりたい。この緊急要請に応えるために書かれた。主人公は比較優位説、さらにこの理論を護持するヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理。及び、この定理のその後の発展。
いっこうに減らない貿易黒字。とくに、対米貿易黒字。おかげでアメリカはカンカン。アメリカの対外赤字は積もりに積もる。長びく不況に七転八倒している日本は、貿易黒字でかろうじて息がつながっている。日本はアメリカの対日政策に、その背後にある双子の赤字(貿易赤字、財政赤字)に、すすんでは三つ子の赤字(それに加え得るに対外借金)に一喜一憂せざるを得ない。
この状況は、アメリカに対してだけではない。ロシア、アジア、ヨーロッバに対しても。欧米は、寄ってたかって日本に膨大なロシア援助を押しつけそうである。いったいぜんたい、その経済的効果はいかほどなのか、日本人は知らない。
このことからも明らかなように、いまほど日本人にとって、国際経済学の知識が渇望されている秋はない。むしろ、必要不可欠ではないか円高は、あなたの家計を直撃しようとしている。輸出で辛くも生命をつないできた企業は、円高に直撃されて息も絶えだえ。
首切りをもっともっとやらなけれぱ。辛くもつながっているあたたの首も、いつか切られるかもしれない。円高は首切り浅右衛門より恐ろしい。就職ができないかもしれない。できた就職も、取り消されるかもしれない。
円はどこまで上がるんだ。円高利潤の還元はどこいった。あるいは、反転して円安になるのか。あなたが日本人のうちの誰であっても、国際経済の知識がないことには、二進も三進もゆかない。そういう時代になってきた。
そんな時代にエコノミストのいうことは信用できるのか。政府は。いいえ、誰も信用できません。とくに信用がないのが政府、なかでもいちぱん信用できないのが宮沢喜一。でも、人格が信用できないといっているんじゃありません。この人、まじめで真撃で愛国者。ただ、経済がまったくわからないのが玉に瑕。いや瓦に暇。
いまは昔、第一次円高騒動のときのお話。秋に入るや、円はキリキリキリって、一気に捧上げ状態になった。日本中、大騒ぎになった。こんなに円が上がったんじゃ日本経済は破減だと、エコノミストも役人もマスコミも、たいがいこう思った。
円高なんかちっとも怖くない。日本経済が強い証拠だ。こう嘯いて動じなかった人は畏き辺りと。政治家では田中角栄。エコノミストとしては長谷川慶太郎。
そのとき、宮沢喜一、経済企画庁長官であった。つまり日本経済の舵取り。この宮沢舵取り氏、円高で日本経済はもうダメだと、絶望のあまり自殺しそうになったとか。本当か噂か知らないけど、こんな噂が流れるだけ、宮沢長官の苦悶の状、知れるではないか。この人、世の評判とちがって、経済音痴。円高ということの経済的意味が、少しもわかっちゃいないんだから。
舵取りが、急死したら、日本丸はどうなると思う。明治三十七年八月十日の黄海海戦のとき、舵取りに急死されたためにグルグル回りしかできなくなった、ロシア旗艦リトヴィサンのような目にあうかもしれないって気はしなかったの。
円高なんて心配する必要はないのが、経済の論理というものだ
それにしても、宮沢長官はじめ、官庁エコノミストのお粗末ときたら、目を覆うものがある。その後の日本経済はどうなった。右の人びとの予想を裏切って、角栄のいうとおり、より大きく、より逞しく高度成長していったのでありました。日本国民のためには、めでたし、めでたし。が、ちっともめでたくないのが、日本の経済学者、エコノミスト。予想が外れて、無能を天下さらこに晒した。でも、これらの人びと、ちっとも懲りなかった。同じ誤りを何回でも繰り返す。しずのおだまきじゃあるまいのに。
円高がくるたびに、サァたいへんだ。.これで日本経済はおしまいだ、ど騒ぎまくる。何回、同じ騒ぎを繰り返したら気が済むんでしょうねえ。これらの懲りない面々。
問違った見とおしを立てても、牢屋に入れられない、まして、死刑にはされないからか。日本は罪刑法定主義の国でよかったですねえ。「経済予測ヲ誤リタル者ハ死刑若クハ三年以上ノ懲役二処ス」なんて刑法のどこにもありませんからねえ。関連法令のどこにもありません。ま、それもあるけれど、経済学者、エコノミスト諸君が懲りない真の理由は、経済学を知らないから。
円高は、日本が強いから起こる。円高で日本経済が潰滅するっていうんだったら、潰減の前に日本経済は、以前より、より弱くたるでしょう。となれぱ、輸出は減り、輸入は増える。日本の国際諸収支は、黒字方向から、グッと赤字方向へと引き寄せられる。
その結果、円安になる。このように、円高は円安を内包する。だから、円高を心配する必要はない。これ、経済の論理。
,そんなこといったって、それは日本全体の話でしょう。一消費者たる私は、一企業である私は、どうすれぱいいのですか。こういう質問、当然、出てくるでしょうね。筆者が答えてあげよう。国際経済学を学びなさい。
では、国際経済がわかるための秘訣は、国際経済学を理解するために突破する関門は。これも、よく質問される。
第一に、比較優位説を理解することである。さらにその後ろ楯になっているヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理及び、この定理から発展した諸理論を理解することである。
第二に、国際収支表が、完全に読めるようになることである。といってしまえぱ、簡単なようであるが、どういたしまして。これができる経済学者、エコノミスト、まず、いない。そこで本書では、まず、比較優位説の講義からはじめよう。(P8〜P12)
アイアコッカは、何故、いても立ってもいられないのか。いつでもいつでもなんでそんなにいきり立っのか。その理由は。日本が先進国。アメリカは後進国に成り果ててしまったからである。そんなことまでいい募る根拠が絶対優位説。日本はアメリカヘ自動車などの工業製品を輸出してくる。そうするとアメリカは日本へ原料を輸出する。
これ、アメリカが後進国、目本が先進国であることの何よりの証拠。アイアコッカの脳裏にあるのは、古典的な先進国、後進国模型であった。だからこんなことをいう。しかも、この骨がらみの絶対優位説信奉者に対して、日本人はなんら有効な反論をできない。
このように、絶対優位説もべつに棄てたものではなく、効用はもつ。でもこの説、リカード大先生に教えてもらわなくっても誰にでもスソナリわかる。俗耳に入りやすく、常識的なのである。こんな説しか生産できないというのであれぱ、経済学の効用っていってみたところで、それ、あんまり大きたものではない。
印東太郎教授は、「科学の効用は、常識ではいえないことをどれだけいえるかにある」といった。経済学だってそうだ。絶対優位説のような常識に毛の生えた程度のことしかいえないようであれぱ。なにもリカード大先生に教えてもらう必要なんか、これっぽっちもありはしない。
日本は、工業生産物一単位をつくるためには、某国よりも少ない労働日をようし、原料一単位をつくるためには某国より多い労働日を要する。こういうことであれぱ、結論は知れたことでしょう。日本は工業生産に特化し、某国は原料生産に特化する。これ以外に考え方がない。
リカード大先生に教えてもらわなくても、サムエルソン大先生に敷衍してもらわなくても。まして筆者がこと改まって本書を書かなくても……。ところがリカードは、はるかにそれ以上のことを発見し、サムエルソンは、そのまたはるかに以上のことを発見した。筆者は、さらにそれ以上のことを読者に語ろうと思う。
比較優位説。これから語ることは常識に反する。よくよく吟味しながら読まれよ。
「うんと」と「ちょっと」のちがいが、比較擾位説の理解の急所
比較優位説がリカードによって唱えられた当時、イギリス経済は極盛期。イギリスの生産力は、高かった。どの分野においても。他方、ポルトガルはすっかり衰退して昔日の悌はない。生産力もすっかり低くなってしまっていた。これまたどの分野においても。
イギリスもポルトガルも、衣料もつくれぱワインもつくる。衣料をつくるのにもワインをつく
るのにもイギリスの生産力は高く、ポルトガルの生産カは低い。
となると、イギリス人はこう考えるだろう。イギリスの生産力は、衣料においてもワインにおいてもポルトガルより高いんだ。衣料もワインもイギリスでつくっちまったほうがいいだろう。ポルトガルの出る幕なんか、ありはしないのだ、と。
この考え方は誤りだ、とリカードは喝破した。リカードは論ずる。、たしかに、イギリスの生産力はポルトガルの生産力よりも高い。衣料生産においてもワイン生産においても間違いなく。が、高いとはいっても、その高さの度合いがちがう。衣料生産においては「うんと」高い。ワイン生産においては「ちょっと」高い。
この「うんと」と「ちょっと」のちがいこそ、比較優位説の理解の急所。函谷関だ。天下第一関だ。マルクスなら「ここがロードス島だ、踊ってみろ」というところ。
ニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見したるがごとく、リカードはこの「うんと」と「ちょっと」とのちがいに瞠目して比較優位の理論を発見した。
同じ高いにしても、「うんと」高いほうを比較優位(この場合は衣料)といい、「ちょっと」高いほうを比較劣位(この場合はワイン)という。ちなみに、これはイギリス側から見たときの話。
ポルトガルのほうから見れぱ、衣料生産においても、ワイン生産においても生産力はイギリスよりも低い。が、低いとはいってもその低さの度合いがちがう。衣料生産においては「うんと」低い。ワイン生産においては「ちょっと」低い。したがって、ポルトガルでは衣料は比較劣位。ワインが比較優位。ぶどう「ポルトガルの葡萄酒」といえぱ、劣ってはいるのだげれども、その劣りかたが「わりと少ない」というわけだ。
なお、「うんと」と「ちょっと」のちがいという表現は、誤解を招く恐れがたきにしもあらず、あくまでも印象を鮮明にするためにこの表現を用いた。誤解の余地を少なくするためには、「比較的に多く」「比較的に少なく」たどの表現を用いるといいかもしれない。まわりくどい印象を与えるかもしれないけど。
比較擾位説は国際分業の理論である
話を元に戻す。これからが第二の関門。最大の関門。そこには地獄の入口のように額が掲げられてある。「ここで、すべての危倶が死ななげれぱならない」(ダンテ、神曲『資本論』に引用)なんていったら半畳が入る(ヤジが飛ぶ)だろう。座布団が飛んでくるかもしれない。「あまり恰好つけなさんな。この本は『国民のための経済原論』なんだから」って。
いや、他意はありません。日本の大学における経済原論の授業のときには、たいがいの学生が寝てしまうように、いちぱん大切なところで読者に寝られると困るので。まず、ドキっとさせでおかないといけたいと思っただけの話。
さて、第二の関門。比較優位(比較劣位)があれぱ、貿易は起きる。これが比較優位説の最大の収穫の一つ。星辰と共に永遠なる経済学の金字塔。絶対優位があれぱ、貿易は起こる。これは誰でもわかる。が、絶対優位がなくても、比較優位があれば、貿易は起こるのである。
これこそ、リカード大先生の教えであり、サムエルソン大先生の教えである。なお、以後、とくに断わらなげれぱ、「比較優位」といえぱそれは「比較劣位」をも含み、「絡対優位」といえぱ「絶対劣位」をも含むものとする。
そして第三の関門。これまた、第二の関門のごとく大切な定理である。このとき、双方の国は利益を受ける。比較優位によって貿易が起きたとする。これを貿易後と呼ぶことにする。まだ、貿易が起きでいないときを貿易前と呼ぶことにする。
右の命題(文章)を換言すれぱ、双方の国はいずれも貿易後は貿易前よりもよくなる。ここでまた、用語の使い方について。「よくなる」とは数学的に厳密にいうと、「より悪くなることはない」という意味である。「悪くなることはない」とは、数学的にいうと実は「まったく等しい場合」も含む。したがって、今後は「よりよくなる」とは、貿易前と「同じ」という場合も含むことにする。
第一「第三の関門をイギリスとポルトガルの話で説明すれば、両国間で衣料とワインの比較優位と比較劣位がかくのごとくなった場合、イギリスは衣料だげを生産し、ワインの生産をやめる。ポルトガルはワインだけを生産し、衣料の生産をやめる。そしてイギリスは衣料をポルトガルヘ輸出してポルトガルのワインを輸入する。反対にポルトガルはワインを輸出してイギリスの衣料を輸入する。これが、両国にとってベストである。
しかも、イギリスとポルトガルの双方ともが、衣料の生産もワインの生産もする場合に比べて、両国ともよりよくなっているということを、比較優位説は証明したわげだ。これは、リカードが挙げた歴史上、有名な例。
さらに第四の関門。比較優位説は、国際分業の理論になる。双方の国のいずれも、自国が比較優位である財だけを生産するように特化し、他財はすぺて輸入する。これが双方の国にとってベストであることを比較優位説は教える。が、比較優位説はただに国際分業の理論であるのみならず、また国内分業の理論でもある。
分業は、何故行なわれるか。その結果どうなる。分業論は社会科学の最大テーマの一つだ。よく知られた分業論としては、デュルケムの連帯説がある。その他の分業論としては、マルクスの疎外説がある。マクス・ヴェーバー、大塚久雄の分業論は、やはり疎外説の一種ではあるが、マルクス説とは異なる。これらの諸説にっいては、別に論ずる。
サムエルソンは、比較優位説が国内分業論でもあることに気づいた
比較優位説は国際分業論のみならず、国内における分業論としても威力を発揮する。その理論的切れ味たるや、絶対優位説の比ではない。サムエルソンはこのことに気づいている。が、このことに気づいた社会学者はまだいない。少なくとも寡聞にして知らない。比較優位説は社会学においても絶大な威力を発揮し、豊かな成果を生む。
そこで次にサムエルソンによる、社会学におげる経済学の効用の一例を紹介しよう。
ある町でいちぱん有能な弁護士(女性)が、同時にいちぱん有能たタイピストでもあるとする。ここで、サムエルソンは借問する。この女性は弁護士として生きるのが得か、タイピストとして生きるのがいいか。はたまた弁護士をしながら、タイプも自分で打つのがいいか。結論をいうと、この女弁護士は、タイピストを雇うべきである。彼女は弁護士の仕事だげをして、タイピストは別に雇った場合に、いちぱん収入が多くなるのだ。
彼女は法律の仕事もタイブの仕事も一般人よりすぐれている。両方の仕事において絶対優位である。だから弁護士をしながら、自分でタイプも打つのが能率がよさそうだ。タイピストに給料を払うのは、バカげていそうである。
しかし、比較優位として考えれぱどうか。彼女は上手とはいっても、タイプの仕事は比較優位をもたない。タイプの仕事をするために、大事な時間を比較優位が非常に大きい法律の仕事から割くべきではない。法律の仕事に特化して、タイプの仕事はタイピストにまかせるべきである。
タイピストの立場からこの問題を考えるとこうなる。タイピストは女弁護士よりも両方の仕事において劣る。しかし、女弁護士と比べてタイピストの相対的劣位はタイブの仕事においてより小さい。相対的にいえぱ、タイピストはタイブの仕事に比較優位をもっている。
どうです。分業を説明するのに見事な切れ味でしょう。絶対優位説が錠か鈍刀だとすると、比較優位説は正宗か村正か。絶対優位説だと、ある人がすべての能力においてすぐれ、他の人はすべての能力において劣るとき、分業を説明できなくなってしまう。だから、アダム・スミスは熟練の契機を導入しているではありませんか。(P20〜P27)
時代遅れになりつつあった帝国主義
それではなんで、帝国主義諸国は、植民地獲得のためにトチ狂ったのか。心も身もないほどに、狂い争ったのか。その理由は、ヘクシャー・オリーンサムエルソンの定理を知らなかったからである。もし、この大定理を知っていたならば。帝国主義ものうしと、必ずや先進諸国は気づいていた事だろう。どうせ、利潤率は同じになってしまうんだ。どの国だって。
良寛的表現を用いるならぱ、移民、投資、ものうしということになる。となると、帝国主義もものうし、ということにならざるを得ない。どこに資本輸出をする必要があろう。どこに植民地を求めて外因と戦争をする必要があろう。レーニンの『帝国主義論』はあがったり。
事実、冷静に歴史を眺めるたらぱ、掘り下げて歴史を考えるならぱ、帝国主義は実は幻想であったようである。
実のところ、帝国主義は、実は引き合わないものになりつつあった。それが何より証拠には、十九世紀中葉のころまでは、イギリスの国力は全世界を圧していた。ところが、その後、しだいに後発先進国が追いつき、追い越すところとなった。イギリスの工業生産は、まずアメリカに抜かれ、次いでドイツに追い抜かれた。二十世紀に入ると、英独仏の経済力は大ざっぱにいうと、ほぽ拮抗。
これ、帝国主義的に考えれぱ、まことに不可解なことではないか。帝国主義のチャソピオソとナソバーツーが、植民地らしい植民地を持たない帝国主義後発国たるドイツと経済力がほとんどちがわないとは。
植民地が無用の長物と化していた、その何よりの証拠ではないのか。このことは、大日本帝国の植民地を想起しただけでも、思い半ぱにすぎよう。朝鮮経営は赤字であった。台湾経営も赤字であったが、砂糖が辛くもこれを補うことがあった。南洋経営も、鳥糞がなけれぱ赤字であった。
帝国主義は、しだいに時代遅れになりつつあった。
この時代の大激変の背後に、ヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理が働いていたのである。高い利潤率を求めての植民地経営であったが、肝心要の利潤率が、貿易をするだけで先進国、後進国同じになってしまったのでは、軍艦を送ったり、大量虐殺をするコストの分だげ損。英仏はババ抜きのババを握んだのである。
(私のコメント)
日本は失われた20年を強いられていますが、その原因は何なのだろうか? 小室直樹氏の「経済原論アメリカ併合編」を読むと、自由貿易によって日本が一番利益を得ているはずなのですが、そうなっていない。その理由を考えているのですが、コメントは明日また書きます。
日本人が片時も忘れては次らないことは、日本は自由貿易によって利益
を得る国であり、しかも「世界最大の利益」を得る国になってしまった。
2009年8月28日 金曜日
◆『国民のための経済原論 (U) アメリカ併合編』 著者 :小室直樹
http://www.interq.or.jp/sun/atsun/komuro/data/1993004.html
イギリスに自由貿易を押しつけられた国ぐにの哀れな末路
さて、ここまで比較優位説、その後ろ楯たるヘクシャー・オリーン・サムエルソンの定理、さらに国際収支表の読み方まで講義をしてきた。どうです。しっかり身につきましたか。とっくりこと腑に落ちましたか。
これさえ理解すれぱ、読者諸君も立派な国際エコノミスト。その肩書を名刺に刷れるほど。では、いよいよ、これらの理論を総動員して、国際経済の読み方に入っていきましょう。タームもはや、いちいち用語の説明はしませんぞ。
比較優位説は、社会的機能という点から論ずると、イギリス帝国主義のイデオロギーであった。論理的に間然するところがない(文句のつげようがない)というのは、最大の説得力。リカードによって唱えられた比較優位説は、論理的に完全である。当時の人びとは、そう思った。
自由貿易がいちぱんいいんだ。双方とも利益を得るんだから。関税などの障壁をもうげて自由貿易を阻害する奴は愚の骨頂。許すべからざる無知蒙昧の徒。国賊、じゃなかった経済賊だ。双方の国から貿易による利益を奪い去るんだから。こういってイギリスは外国に自由貿易を押し付けていった。
気の毒なのは、この論理に説得されて自由貿易に踏み切った国ぐに。当時、世界に冠たるイギリスエ業との競争に負けて、みるみる没落していった。資本主義の勃こうだ輿期に工業を失った国の末路は哀れである。何しろ、たちまちイギリスの経済的植民地に堕せざるを得ない。
植民地も自国もひっくるめて、帝国ごとイギリスの植民地にされてしまったという、哀れな元世界帝国もあるほど。ちなみに、これ、ポルトガルのストーリー。比較優位説は、つい最近までのマルクシズムのごとく、経済的破壊力を発揮したのであった。
アイルランドは、いくたび工業化を試みてもムダであった。生まれたぱかりのアイルランド工業は、イギリスの最先端工業との競争に敗れて、揺藍の中で圧死した。
十九世紀の中ごろ、アイルランドの労働者がどんな生活をしていたか。彼らのほとんどは小作農であった(地主、雇い主はイギリス人)。
時は大英帝国の極盛期。イギリスの富は世界を圧しているというのに、アイルランド人の圧倒的多数は、ジャガィモを主食としていた。北の方は、少しはましで、ときたまオートミールが口に入ることもあった。が、南の方のアイルランド人のほとんどは、ジャガイモだけで生活していた。新鮮な肉なんか、一生食べたことのない人が多かった。
それだげではない。アイルランド労働者の多数は、貨幣賃金なんかもらってはいなかった。彼らは入札小作人制度と呼ぱれる制度で生活していた。彼らが地主のために働いて受け取る報酬は、すみっこのほうの小さな土地の切れっぱし。彼らはここにジャガイモを植えて、もっぱらジャガイモで生活する。彼らの労働で生産された小麦は、イギリス人の地主や資本家が持ち去る。アイルランド労働者の口に入るなんていうことは滅多にないのであった。
イギリス工業との競争に敗れて自国の工業が潰滅すると、ざっとこんなありさま。石器時代の、氷河時代のというのでなしに、十九世紀の中ごろの話です。ポルトガル帝国といい、アイルランドといい、ほんの一、二の例。比較優位説の呪い、か。
比較優位説の教えに忠実に、自由貿易に踏み切れぱ。イギリスも自国も双方ともに、よりよくなるはずであった。そのはずなのに阿鼻叫喚の地獄へ落ちた。そのような例が頻発した。双方ともによりよくなるはずなのに、よりよくなるのはイギリスぱかりなり。
これはどうもおかしいぞ。人びとは感づきはじめた。しかし、リカードの比較優位説に理論的誤りを発見することはできなかった。英国古典派の権威は圧倒的であった。
アメリカが、比較優位を無視して驚異の成長を遂げたのはなぜか
他方、比較優位説の呪いを受げなかった国ぐにもあった。比較優位説なんかくそくらえ、とぱかり自由貿易どころか、関税障壁をますます高くして、イギリス工業製品を排斥した国である。アメリカは、その最大の好例。
ナポレオン戦争がはじまると、当時、世界最大の海軍国イギリスは、アメリカ船の強制徴用を行なった。あれやこれやで、アメリカは一八一二年六月、イギリスに宣戦。米英戦争のはじまり。戦争はアメリカ軍に不利であった。
首都ワシソトンも一時、イギリス軍に占領された。一八一四年八月二十四日、イギリス兵がアメリカ兵の抵抗を押し切ってホワイトハウスに侵入。マディソン大統領夫妻は身をもって逃れたが、夕食はイギリス兵に食べられてしまった。ホワイトハウス、議事堂、官街(役所)は、ことごとくイギリス兵に焼き払われた。
一八一四年十二月のガン条約まで、アメリカ軍は大勝をあげることはできなかった。しかしこの戦争、アメリガにとって経済的な効果は大きかった。アメリカ経済が独立してゆく契機となったからである。(『世界の歴史』中央公論杜「十一 新大陸と太平洋」中屋健一)
経済史家のたかには、この戦争を「第二次独立戦争」と呼ぶ人がいるほど。これ、いったいどういうことか。この戦争がはじまる前まで、イギリス産業の生産力は高く、アメリカの幼稚産業の生産力は比較にもなんにもなりっこないほど低かった。だから、アメリカ経済がイギリスから独立するなんて、あるいは、夢のまた夢であるかもしれなかった。
ところがどうだ。一八一二年からはじまった米英戦争の結果、米英間の貿易は杜絶した。こうなるとどうか。アメリカの幼稚産業はメキメキと成長し、その結果、アメリカ経済はマァなんとか自立できるところまできたのであった。
これを、もう少し正確にいうと。アメリカ産業は、自由貿易をしている間はイギリス産業と競争できるまでには育っていなかった。しかし、関税障壁を高くすること、つまり保護関税を設けることによっ.て、なんとかイギリスに拮抗できるような産業が、いくつか育ってきたのであった。とくに、それが顕著だったのが木綿工業。
アメリカの木綿工業は米英戦争を機に急速な発育をとげてきたが、まだストレートにイギリスと対抗できるほどまでには育ってはいなかった。ところが保護関税の登場で、なんとかイギリスの木綿工業に対抗し得るほどまでに育ったのである。(中屋、同右)
米英戦争は、経済的意味においては、アメリカの大勝利であった。これによって、アメリカ経済の基礎はすえられた。そしてさらに、南北戦争によって、アメリカ経済の基礎は確乎不動のものとなる。とはいえ、これはもう少し後の話。
ここまでのストーリーで大切なことは、自由貿易ではなく保護貿易をしたほうが、国家は発展する。うまくゆく。このことである。これ、リカード大先生が唱えた比較擾位説とまったく正反対。
幼稚産業は、関税障壁を設げるなどして保護すれぱ、スクスクと発育するかもしれないが・自由貿易によって、幼稚産業が潰減させられれぱ、これはもうどうしようもない。アイルランドのごとく、ポルトガルのごとく。(P142〜P147)
アメリカが幼児体験への退行を開始するとき、日本は崩壊する
しかし、しかし。さらに特筆すべき大問題は、さらにその先に潜んでいた。日本経済、いや、日本そのものが拠って立つ基盤。それは自由貿易しかない。あり得ない。これである。日本こそ、収穫逓増の利益を、最大限に受げている。
日本人が片時も忘れてはならないことは、日本は自由貿易によって利益を得る国であり、しかも「世界最大の利益」を得る国になってしまったということである。現在日本の繁栄は、白由貿易という前提においてのみ可能であり、自由貿易が否定された刹那に、きん花一朝の夢と化す。
いま、日本にとって必要なのは、十九世紀、大英帝国がとったのと同じ行動。つまり自由貿易で自国だげが利益を被りつつも、これを決して認めず、外国を説得すること。自由貿易を押しつげることである。
このことの重要性。宮沢とかいうオッサン、日本の無能経済学者、グータラエコノミ又ト。いったいぜんたい気づいているのか。否、断じて否である。
自由貿易は、あたかも自然現象のごときものだと思い込んでしまっている。そうに決まってる。しかも、より致命的なのは、この日本にとって生命線である自由貿易が、アメリカの決意、ただそれだげによって維持されているという事実である。
もし、アメリカがその決意を変更すれぱ、一夜にして日本という国は崩れ去る。無能教授、グータラエコノミストが好んで口にするフレーズに、日本は石油を止められたら生きていけない国だ、というのがある。なんたる無知、なんたる無能。
筆者だったらこういう(ただし、外国人の前では決していわない。英語でも書かない)。日本殺すにゃ油はいらぬ、自由貿易やめれぽいい。
ところで、アメリカが自由貿易を続けているのは、それがアメリカのためにいちぱんよいと信じているからである。その根拠は、一にかかって比較優位説にある。
ところが、この比較優位説、無条件で成立するものではなかった。大量生産の利点(前述した、収穫逓増)を享受する国が存在する場合、自由貿易はぞの国だげを利して、他国の利益を徹底的に害するのである。
その国とは、まさに日本ではないか。ここに日米最終決戦の致命的キーポイントがある。
日本の存在そのものが、日本の存立条件である自由貿易を壊しつつあるのだ。日本が繁栄すれぱするほどその矛盾は拡大され、アメリカの立場を脅かす。そのときアメリカはどうする。
保護貿易という幼児体験、出生の秘密がアメリカにあったことはすでに述ぺた。アメリカがもし、自由貿易のチャンピオンから滑り落ちそうになったら…。そのときこそ、アメリカは出生の秘密をかなぐり捨てて、幼児体験への退行を開始するかもしれない。(P193〜P195)
(私のコメント)
選挙もいよいよあさってになりましたが、農業政策は「株式日記」でも何度も書いてきましたが、民主党の日米FTA締結のマニフェストについて書いているブログが少ない。見回してみても「株式日記」で紹介した国際派時事コラムと極東ブログぐらいだ。民主党の政策責任者はいったい誰なのだろうか?
日米FTAについて賛成か反対かと言われても、問題が重大問題すぎて誰も答えられないだろう。小沢一郎がなぜ農家への戸別所得補償制度を言い始めたのか? 民主党でも農林族議員がいますが、よく政策が刷り合わされていないようだ。日米FTAがあるから小沢一郎は戸別所得補償制度を言い始めたのでしょうが、民主党の農林族議員は聞いていなかったらしい。
族議員というのはその分野のことしか知らないから視野が非常に狭い。日本の農業を減反政策を維持したままでは良い訳がない。日米FTAとは農産物の自由化を意味するから農林族議員は条件反射的に反応する。民主党の農業政策がどうなっているのかマニフェストを見ても何も分からない。スローガンすらふらふらしているから内容が固められない。
WTOの体制は今やガタガタになり有名無実化している。中国はWTOに参加しても中国はWTOを守るつもりはない。コピー商品が溢れかえって世界にばら撒いている。人民元も為替介入で固定されたままであり、アメリカもそれを黙認している。自由貿易体制は危機に瀕しているのに、日本は自由貿易体制が当たり前のものだと思い込んでいる。
小室直樹氏の「経済原論U」では、国際経済のことが分かりやすく書かれていますが、この本は1993年に書かれて出版されたものであり、本屋に行っても売られていないしネット書店でも無い。古本屋で見付けるしかなく、出版社も再出版するつもりは無いようだ。本の題名が「アメリカ併合」となっているから圧力がかかっているのだろう。
経済原論を論じた本なので内容的には今読んでも十分に読める本であり、経済常識的にこれくらいの事は知っておかないと、国際経済の事は手も足も出せなくなる。だからネットでも日米FTAの事に触れたブログが少ないのだろう。リカードの比較優位説などと聞いてもチンプンカンプンの人は小室直樹氏の「経済原論U」を読んで欲しいのですが、本屋には無い。
財務省や日銀などのキャリア官僚なども東大ではマルクス経済を学んでいて、資本主義経済を知らないようだ。だからレーニンの「帝国主義論」がまかり通ってしまった。戦前においてももはや植民地獲得が無意味なものになっていたのですが、戦前のエリート達は満州や中国へと植民地獲得に突っ走ってしまった。
それよりも自由貿易体制を主張すべきであったのであり、リカードの比較優位説に例えるならば、日本は工業製品を輸出するイギリスであり、アメリカは農産物を輸出するポルトガルに例えられるだろう。その後イギリスとポルトガルはどうなったか? ポルトガルは自由貿易を信じたが為にイギリスの工業力に圧倒されてしまった。アイルランドもイギリスの工業力に圧倒されて経済植民地になってしまった。
このようにリカードの比較優位説に基づく自由貿易体制は帝国のプロパガンダであり、論理的に完璧でありポルトガルやアイルランドはそれに反論が出来なかった。それに対して反論ではなく武力で立ち向かったのがアメリカであり、イギリスとの戦争を繰り返しながら独立を勝ち取り、ついにはイギリスを上回る大帝国となってしまった。つまりアメリカは別の保護貿易の経済理論を持っていた。
アメリカの歴史教科書では南北戦争は奴隷解放めぐっての戦争と教えられているらしいが、イギリスとの貿易摩擦が引き起こしたものだ。北部では綿織物産業が育ちつつあったが南部では綿花をイギリスに輸出していた。そしてイギリスの綿織物がアメリカに輸出されていたが北部はそれに反対した。南北戦争は南部の自由貿易と北部の保護貿易との戦争であり、北部が勝利してイギリスの綿織物が入らなくなり国産の綿織物が育った。
だからアメリカは本来保護貿易立国であり、自由貿易を主張し始めたのはイギリスから世界覇権を引き継いでからだ。自由貿易とは帝国主義の理論でありアメリカが帝国である間は自由貿易を守るだろう。しかしアメリカはリーマンショック以降、金融も大打撃を負って自動車などの生産も大打撃を負った。だからいつアメリカが保護貿易を主張し始めるかわからない。
だから日米FTAで先手を打つ必要がある。しかし日米FTAで障害になるのが農産物交渉ですが、日本の自民も民主もいずれもが保護貿易派だ。日本の農業を守る為に自由貿易を棄てるべきなのだろうか? しかし減反政策をいくら続けても日本の米は安くはならない。むしろ農業は全面開放して専業農家には戸別所得補償をして農業の大規模化を図るべきだ。
日本の農業の8割は兼業農家であり、兼業農家の農業所得は15%に過ぎない。つまり日本の農家は土地持ちサラリーマンであり、農地は税金逃れの手段になっている。農地であれば固定資産税も安く相続税も安くなるからだ。このような土地持ちサラリーマンを保護しても意味はないのであり、大規模専業農家を保護育成すべきなのだ。民主党政権はこのような思い切った政策が出来るだろうか?
小室直樹氏が「経済原論U」で述べているように、日本は自由貿易の恩恵を世界で一番受けている国家だ。もし日本の自動車が輸出できないようになったらどうなるか考えている日本人がいるのだろうか? アメリカがGMやクライスラーが倒産して、自国の自動車産業を再建する為に自動車に高い関税をかけたらどうなるか? 日本の政治家は総合的な判断を迫られるだろう。アメリカの歴史を見れば保護主義に回帰する可能性が十分にある。
日本が農業を開放したら日本の農業は壊滅するだろうか? 米などの生産には大量の水を必要としている。アメリカやオーストラリアなどには広大な農地があるが水が無い。オーストラリアなどは慢性的な旱魃で小麦も輸出できないほどになってしまった。アメリカの地下水を汲み上げていますが近い将来涸れるだろう。それに対して日本は農地は狭いが水は豊富だ。耕作を大規模化して品種を改良すれば国際競争に勝てる可能性が十分にある。
日本にとって自由貿易がプラスかマイナスかを考えれば圧倒的にプラスでしょう。日本が円高で苦しめるのも自由貿易のおかげですが、世界が保護貿易に走れば日本は工業製品の輸出が出来なくなり円安で苦しむ事になります。石油や食糧はどこから輸入するのでしょうか? 外貨が無ければ輸入できないし、輸出国が輸出を停止したら日本人は餓死するしかない。兼業農家は自分だけの米を作って倉庫に隠してしまうでしょう。都会の人は買出し列車で闇米を買わなければならなくなるでしょう。(笑)
アメリカはかつての世界帝国であったイギリスやスペインと戦争して世界覇権をもぎ取った。その裏にはアメリカの経済力が拡大したからですが、現代では武力による戦争によるよりも資本の戦争が行なわれている。マネーが実弾なのであり、マネーを生み出すのが経済力であり、物量よりも技術力が経済戦争の勝敗の分かれ目だ。自由貿易の世界では比較優位の技術競争力のある国が勝つ。
広大な植民地を持つイギリスが、植民地を持たないドイツに追いつかれたのは技術力でドイツに負けたからであり、アメリカがドイツに勝ったのは技術力でありメッサーシュミットよりもP51ムスタングの方が優秀だったからだ。ドイツはB29のような戦略爆撃機を作る能力が無かった。イギリスはドイツに勝つために人材も技術もアメリカに売り渡してしまった。
アメリカが世界帝国になれたのもヨーロッパから優秀な技術者を奪いとるように連れてきたからですが、ヨーロッパや日本が戦災から復興すると圧倒的な技術優位は無くなりアメリカの覇権にも影が生じ始めた。アメリカの自動車産業の没落は軍需産業の没落を予言するのもでありアメリカは軍事優位も失うだろう。
太平洋戦争は米英戦争のようなものであり、アメリカはイギリスに大勝利は出来なかったが経済的に大勝利した。日本も戦争には負けたが経済で大勝利して技術力でアメリカを圧倒しつつあるのであり、日米FTAでアメリカは日本の経済植民地になるだろう。