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(回答先: 巨額財政出動、株価動かず 麻生内閣、1万円割り歴史的安値圏 投稿者 gikou89 日時 2009 年 7 月 22 日 12:29:39)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090721-00000003-voice-pol
◇ドルやユーロを圧倒する変動幅◇
ドル、ユーロ、円。これら主要3通貨のうちで、もっとも強い通貨はどれだろうか。現在のところ、答えは「円」ということになる。政策金利は米欧よりも低い年0.1%となっており、人口減少・少子高齢化の進行ゆえに国内需要の力が趨勢として弱く、しかも財政事情は米欧よりもはるかに悪い。これらは円安要因である。だが市場では、とくに昨年秋の「リーマン・ショック」以降、円高圧力が急速に強まり、対ドルで今年1月21日に87.10円まで記録した。
この大幅な円高の理由として、「信用バブル崩壊で金融システムが負った傷の深さが米欧よりも相対的に浅いから『逃避通貨』として買われたのだ」という説明がなされることも少なくない。しかし、日本でも金融市場が機能不全を起こして企業金融が逼迫し、日銀がCPや社債の買い入れ、企業金融支援特別オペといった異例の措置をとっていることから見て、上記のような説明は当てはまりにくい。
筆者の見るところ、円高が急激に進んだ本当の原因は、株価の急落を背景とする機関投資家の保有資産の含み損拡大とリスクテイク能力の低下、クレジットクランチ(信用収縮)によるヘッジファンドの資金繰り難などを背景に、過去数年に蓄積されていた円売りポジションの解消が一気に加速したことである。
ここで、主要三通貨の過去20年ほどの騰落(強弱)を確認するため、これら通貨の実効為替レート(さまざまな国の通貨に対する為替レートを当該国との貿易ウェイトで加重平均して算出される合成指数)の動きを見ておこう。イングランド銀行(BOE)が公表している実効為替レート(1990年平均=100)の、月中平均値を用いることにする。
グラフを一見しておそらく誰でも気づくのは、円の変動幅が非常に大きいことだろう。上下の値幅は70ポイントを超えており、ドルやユーロを圧倒している。
ドルの実効レートの値幅は、100をはさんでおおよそ上下20ポイントの範囲内。ユーロ(99年ユーロ誕生よりも前のデータは通貨統合参加国の為替相場をもとにした試算値)に至っては、80〜100の範囲内に、だいたい収まっている。
米国には、貿易面では弱めのドルが望ましい一方、海外資本を自国に引き付けておくためには「強いドル」政策という「看板」を掲げることで、ドル先安観が広がることは回避しておく必要がつねにある、というジレンマがある。このため、あまりに一方向に偏ったドル相場の形成はなされにくいという「台所事情」があるといえよう。
オバマ政権で財務長官に就任したガイトナー氏は1月22日にさっそく、「強いドルは米国の国益のなかにある」と表明していた。政権党が代わっても、ドルに関して財務長官がいっていることは、まったく同じである。
また、ユーロについては、1999年の発足以降しばらくは下落が続いたものの、「強いマルク」を志向した反インフレ色の強いドイツ連邦銀行(ブンデスバンク)の伝統を欧州中央銀行(ECB)が受け継いでおり、金融政策運営で利下げ方向には慎重な姿勢をとりがちだという事情もあって、下落余地が限られている面がありそうだ。一方で、そうしたECBの硬直的な姿勢が及ぼすデメリットや、加盟国の足並みの乱れが常態化していることなどから、ユーロ高方向の動きについても限界があることを、市場は、とくに今回の金融危機への対処をウォッチしたうえで、十分に意識している。
ドル/円相場が、円の最高値である79.75円を記録した1995年4月前後の「超円高」局面で、BOE発表の円の実効レートが記録したピークは、その4月の170.97。そこから先は、シーソーのような上下動が演じられた。
アジア通貨危機が発生するとともに、日本が金融システム不安の渦中にあった98年8月、円の実効レートは107.41まで下落。次は急速に円高が進行して、日銀が速水優総裁(当時)の下でゼロ金利政策を解除した直後の2000年9月には、158.82まで上昇した。
問題は、その後の円相場の動向である。政府の反対を押し切って強引に行なわれたゼロ金利政策解除の失敗が誰の目にも明らかになるなかで、日銀は01年3月に、「裏口からのゼロ金利政策復帰」と揶揄された、量的緩和政策を導入。06年3月に同政策を解除し、同年7月にゼロ金利政策も解除するまで5年以上ものあいだ、翌日物金利がゼロ%という超低金利状況が続いた。その間に、内外金利差に着目したさまざまな形態の円売りポジションが、世界中で膨張することになったものと理解することができる(たとえば生保など本邦機関投資家による為替面の利益を狙った外債投資や、個人投資家による外貨建て債券や外債投信の購入、外為証拠金取引、ヘッジファンドによる円キャリー取引、欧州の一部でブームになったと伝えられる円建て住宅ローンなど)。
また、デフレスパイラルの阻止という政策目的を念頭に、財務省は03年1月から04年3月までのあいだ、溝口善兵衛財務官(現島根県知事)の指揮の下、総額で35兆円を超える巨額の円売りドル買い介入を実施。為替需給の面から、円高方向の動きを強引に阻止することを試みた。円の実効レートをみると、02年から05年ごろまで、ボックス圏で安定的に推移したのち、06年から07年前半に至るまで、円安が緩やかに進行したことがわかる。円安が続くことを前提に資金を投じた内外投資家や、円安ならば為替差益が得られる日本の輸出企業にとって、じつに居心地のよい状況が長く続いたわけである。
◇為替相場を論議する空しさ◇
筆者の見るところ、日本企業の経常利益の伸び率は04年度にピークをつけたのち、鈍化する流れに入りつつあった。景気拡大の「エネルギー源」である企業収益が伸びなくなっていくということは、景気拡大の終了が近づくということと同義である。ところが、為替の円安、および米国の住宅バブル・過剰消費を背景とする世界景気拡大によって、05年度以降の輸出企業の利益が底上げされたことで、日本の景気拡大局面はいわば「延命」して、戦後最長の69カ月間に及ぶことになったのである。
振り返ってみると、そこに過信が生まれる素地があった。為替相場の動きが追い風を提供しつづけた裏側では、将来の円高急進行に向けたエネルギーが蓄積していた。米国で住宅バブルが崩壊し、そこから連鎖的にクレジットバブルが崩壊、信用収縮が米国を中心に加速するなかで、株安と連動するかたちで円高が加速し、09年1月に、円の実効レートは161.42に達した。その後、円は下落に転じている。
人口動態を主因に内需の基調が弱いがゆえの日本経済の外需依存。輸出の数量面では海外経済動向に、価格面では為替相場に振り回されつづける姿は、もはや宿命的な様相を帯びつつある。日本経済は今般の危機が一巡したのちも、外需依存の不安定さを内在した動きを繰り返していかざるをえないだろう。
このような中長期悲観の日本経済シナリオを抱いている筆者としては、為替相場のありようとして「強い円」と「弱い円」のどちらがよいのかという論議に対し、どこか空しさを覚えてしまう。
変動相場制をとりつづけるという前提でいえば、為替相場というのは本来、人為的に「強くする」あるいは「弱くする」ものではない。したがって、円が「強い」か「弱い」かは、市場が自由な取引を経て決めることであり、あくまでも「結果」である。
ロバート・ルービン以降の歴代の米財務長官は、すでに述べたように「強いドル」政策を掲げているが、それはけっしてドル買い介入によって人為的に「強いドル」を実現していこうということではない。為替政策を司る米財務省としては、市場による自律的な相場形成というプロセスおよびその結果を尊重することを当然の前提としつつ、国内への安定的な資本流入を確保しやすい「強いドル」が望ましいと考えているのだ、という意思表示にすぎない。
では、日本の場合、為替政策を所管している財務省の幹部(財務大臣や財務官)が突如、「強い円」が望ましい、という認識表明をすることに、何らかの政策的な意義があるだろうか。
日本は、09年1月のように単月で赤字を記録することもあるが、基本的にはなお経常黒字国であり、経常赤字国である米国とは国際収支の状況が異なっている。自国が発行する国債の消化を円滑に進めていくうえで海外のマネーに頼る必要性も、いまのところはまだ乏しい。
また、御手洗冨士夫・日本経団連会長が09年1月13日の記者会見で発した「円高というより円独歩高になっている。日本経済にとってよくない。(円高が)長く続くようなら各国に呼び掛けて為替介入をしてもらいたい」というコメントが示すように、日本の経済界では、円高が急進行する場面では円売り介入待望論が高まりやすい。実際、短期的な日本経済への影響としては、円高は景気・物価の両面でネガティブであることは論を俟たない。
このように考えると、「強い円」政策の公式アナウンスメントには、少なくともいまのところ、前向きな意味は乏しいといえるだろう。
一方で、円売り介入を積極的に実施して人為的に円安方向に為替相場を動かすべきで、「弱い円」が望ましい、といった主張もある。だが、人為的な為替相場形成が後日、どのような結果を招くのかについては、すでに円の実効為替レートの推移を基に説明した。
「円をどうするか」ではなく、「日本の国内需要をどう上向かせるか」こそが、正しい問題設定である。