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転向と謝罪の学者 クルーグマンに翻弄された日本の経済論壇
2009.5.19週刊エコノミスト
中谷巌氏の「懺悔の書」が話題だが、世界的にはクルーグマン氏の度重なる「転向」と「謝罪が有名だ。そのクルーグマン氏によって、ここ10年、日本の経済論壇は翻弄されてきた。
東谷暁(ジャーナリスト)
アメリカの人気経済学者ポール・クルーグマン米プリンストン大教授が「日本に謝罪した」とのニュースが伝えられ、ブログなどを賑わせている。少し前には、米連邦準備制度理事会[FRB]アラン・グリーンスパン前議長が「私は過ちを犯した」と発言したと報道されて話題になったことがあった。しかし、クルーグマン氏のこの種の謝罪は以前に何度もあったし、グリーンスパン氏は自分の金融政策が間違っていたと言ったわけではない。彼らは自分たちの仕事を根本的に否定したのではないから、謝罪や過ちにいちいち興奮しているほうがおかしいのだ。
クルーグマンの『謝罪」とは
私は『エコノミストは信用できるか』(文春新書)を書いたこともあって、経済学者や経済評論家を叩く「経済評論家評論家」が商売だと思われているが、実は、そうではない。たまたま経済物のリポートを書く際に、経済学者や経済評論家の言説がどれほど信頼できるものか調べてみたところ、とてもではないが、そのまま信じるわけにはいかないと気がついただけなのだ。そしてまた、本稿の結論を先に言ってしまうことになるが、そもそも経済学者や経済評論家が未来を正確に予測するとか、完璧な経済政策を提示できると思うほうが期待のしすぎなのである。
世界がこれ以上の経済下落を回避し、不況から立ち直ろうとしている今、この種の錯誤や過剰期待こそ回避すべきだろう。ここでは昨年のノーベル経済学賞を受賞し、ますます世界中から注目の集まる、前出のクルーグマン氏を中心に考えてみることにしたい。日本の経済学者も経済評論家も、賛成するにせよ反対するにせよ、1997年以降の日本経済論壇は彼の言説に翻弄されてきたからである。
まず、クルーグマン氏が口にした「謝罪」とは何だったのだろうか、報道によれば、90年代の不況が始まった時「日本は対応が遅く、根本的な解決を避けていると、西欧の識者は批判してきたが、似たような境遇に直面すると、私たちも同じ政策をとっている」と述べて、「上昇する米失案率を見ると、失われた10年を経験した日本より悪化している」(4月14日付き)日付「YOMIURI ONLINE」と指摘。したがって、日本の当局を繰り返し批判してきた自分たちは「日本に謝らなければならない」というわけである。
しかし、そもそもクルーグマンという経済学者は、予測をすべて的中させてきた超能力者や神様ではない。それどころか、派手に予測する分だけ、派手に予測を外してきたというのが、否定できない現実なのである。
グローバリズム擁護から「良心の呵責の表明」へ
まず、92年にヨーロッパ通貨制度が危機に陥った時「ヨーロッパ通貨制度は崩壊して自由変動相場制に移行する」と予言したが、ヨーロッパ通貨制度はむしろ強化され、99年には通貨統一に至っている。また、92年にアメリカの景気後退は終わったという説は「言葉のまやかし」と批判したが、直後からアメリカ経済は回復していった。
さらに、町年から98年にかけてのアジア通貨危機の際、国際通貨基金[IMF〕の誤った救済策に批判が高まった時「嫌われることがIMFの仕事」などと述べてIMFを支持したが、米経済学者ジェフリー・サックス氏やジョセフ・スティグリッツ氏らが激しくIMFを批判し、その実態が明らかになると、急にIMFの方針は「大きな間違い」だと言うようになった。
それだけではない。肝心の理論においても次々と「転向」してきたことで知られる。80年代に、少壮経済学者として注目されたのは、冴えなくなっていたアメリカ経済の救済策として「戦略的通商論」を打ち出したからだった。この理論においては、ヨーロッパのエアバスや日本のエレクトロニクス産業のように、政府が援助することで競争力をつける場合があることを指摘し、この戦略的通商路線が、第1期クリントン政権の経済政策に大きく反映することになった。
ところが、90年代になって日本やドイツの経済が低迷すると、戦略的通商論は政策的にあまり意味がなくなってしまう。それを見越したかのように、94年ごろからクルーグマン氏は「リカードに戻れ」と言い出す。つまり、それまでと180度異なる自由貿易論を強く支持し、比較擾位説による世界分業を唱え、さらには、経済グローバリズムを擁護するよう
になってしまうのだ。
もちろん物語はこれで終わりではなかった。自由貿易論もグローバリズムも理想像とは異なり、次第に地域格差や国内格差を生み出していることが明らかになると、この人物に再び「回心」の時が訪れる。まず、2007年に書かれた小論『貿易と不平等についての見直し』の中で「豊かな国の所得分配において貿易の影響はほとんどないという主張は、もはや信頼してよいものではなくなった」と言い出した。さらに、08年2月、米シンクタンクのブルッキングス研究所で発表した論文『貿易と賃金についての再考』のプレゼンテーションは、「この論文は私の良心の呵責の表明です」で始まっていた。
クルーグマン氏は自由貿易とグローバリズムを擁護するようになって以降、貿易は富裕国における賃金格差にそれほど大きな影響を与えないと主張してきた。ところが、このクルーグマン論文に基づいた米ハーバード大のローレンス・カッツ教授の推計では、貧困国との貿易によって、アメリカ国内の熟練労働者と非熟練労働者の賃金格差は、79年から現在までで約15%も拡大したことになってきてしまうのである。どこかの国にも「懺悔の書」を刊行してグローバリズムを枇判した経済学者がいたが、そんなことはすでに、クルーグマン氏によって、10ヵ月も前に敢行されていたのだ。
さすがに、白由貿易論支持の英経済誌『エコノミスト』08年4月17日号が、クルーグマンの「変節」に異議を申し立てている。記事のタイトルは「クルーグマンの謎(conundrum)」。
クルーグマン氏の議論は十分なデータに基づいていないので、信用できないというわけである。
インフレターゲット論における混乱
こうなると、クルーグマン氏が日本に推奨したインフレターゲット論も気になってくる。日本が長期不況に喘いでいた98年に、日本は「流動
性の罠」(名目金利が最低限まで低下し、通常の金融政策が効力を失った状態)にはまったから、大規模な金融緩和を断行するとともに日銀総裁が「日本はこれからインフレを起こします」と宣言するしか不況脱出の手立てはないと論じて、それが日本の多くの経済学者を魅了したことは記憶に新しい。最近では「埋蔵金男」と呼ばれた人物が、その本家本元のベン・バナンキ氏(現FRB議長)やクルーグマン氏に直接師事したことを根拠として、同じ議論を繰り返したことを覚えておられる読者も多いだろう。
もちろん、クルーグマン氏はこの点についても、『中央公論』09年3月号のインタビューで次のように語っている。
「私は、今の米国は当時の日本と似た問題に直面していると思うが、十分に高いインフレ目標を掲げたうえで、それを達成できると、国民に信じてもらうのは難しい。……仮に景気後退が数年間続けば、より高いインフレ目標について、議論をしやすくなるかもしれない。しかし、今の段階では、インフレ目標を採用することについて、米国内の意見が一致しているとは思えない」
クルーグマン氏はこのインタビューで、日本にインフレターゲット策を勧めたのは、日本がすでに財政出動をしても不況から脱出できない状況にあったからだと弁解し、さらに『ボイス』08年5月号では、4%のインフレ率を宣言するインフレターゲット策を再び日本に推奨している。しかし、今のアメリカ国内で説得力を持たない金融政策が、どうして日本で説得力を持つと言えるのだろうか。
そもそも、クルーグマン氏が日本に売り込んだインフレターゲット論は、日本銀行がかなりの金融緩和をしていても、なお不況から脱出できなかったことを前提としていた。97年の段階では、クルーグマン氏は単に「もっとお金を印刷すれば不況から脱却できる」とだけ誇じていた(『ニューズウィーク日本版』97年1月29日号)。
ところが、翌年に自分のブログに発表した「日本がはまった罠」では、日銀がかなりの金融緩和をしていることを知って、日銀総裁がインフレを宣言する、不況脱出策としてのインフレターゲット論を主張するようなったのである。
この点は、インフレターゲット論を自分の説のように語る日本の論者ですら忘れていることが多いが、単なる金融緩和によるインフレ策は、クルーグマン氏が主張したインフレターゲット論ではない。学習院大経済学部の岩田紀久男教授などが繍密な検討によって指摘したように、ただのインフレ策では金利も上昇してしまうので不況脱出策としてはあまり意味がない。本来の目的は、日本国民の心の中にある「これからインフレが起こるんだ」という「インフレ期待率」を上昇させることによって、「実質期待金利」を低下させるこ
となのである。
実にエレガントで危ういものがあり、だからこそ、同じくインフレターゲット誇を展開した慶応大商学部の深尾光洋教授が、期待に直接訴えかけるよりも、「スタンプ紙幣」を発行して物理的に通貨の価値を下落させていけば、インフレターゲット論の目的がずっと達成しやすいと主張するに至ったのである。
そこでクルーグマン氏の現在の主張に戻ると、やはり、おかしな議論を口にしていることになるだろう。国民の期待という心理に依存しているのなら、中央銀行総裁の「これからインフレを起こします」という主張に、国民がどれほど反応するかという点に、この政策の成否はかかっていることになる。国民の反応は、その時の経済的落ち込みが大きければ大きいほど小さくなる可能性が高く、また、その時の中央銀行総裁に対する信頼が強ければ強いほど強くなる可能性が高い。
現在、アメリカの経済状況と、バーナンキFRB議長への信頼を勘案した時、「十分に高いインフレ目標を掲げたうえで、それを達成できると、国民に信じてもらうのは難しい」のであれば、アメリカより国内総生産(GDP)の落ち込みが激しい今の日本の経済状況において、就任時のドタバタや前任者の不祥事によって国民の信頼が薄い総裁を戴く日銀が打ち出すインフレ宣言に、十分な効き目があると考えるのは、論理的にかなり難点があるだろう。
早くからその才能が注目され、最も優秀な40歳以下の経済学者に贈られるジョン・ベイツ・クラーク賞を獲得し、ついに昨年、念願のノーベル経済学貰を受賞したクルーグマン氏ですら、今回のアメリカの圧倒的な経済危機に直面し、頭の中が千々に乱れてしまっているようである。
不当だった日本批判
そもそも、冒頭の「謝罪」にしても、私には「今さら」という気がしてならない。というのは、「日本の当局は何をするにも遅くて無能であり、アメリカの当局は何をするにも速くて有能だという議論は正しくない」という指摘は、最近のクルーグマン氏の「謝罪」や「回心」を待たなくても、すでにアメリカにおいてなされていたからだ。
日本の当局への批判は、バブルが崩壊した時すぐに金利を下げなかったことに集中している。しかし、モルガン・スタンレーの主席エコノミストだったスティーブン・ローチ氏は、IT(情報技術)バブル崩壊の際に最も悲観的な予測をした論者といわれるが、彼は03年7月の論文で次のように指摘している。
「多くの人が信じているように、厳しい金融引き締めが日本のバブル後に起こったデフレの運命を決定づけたと判断することはできない--。興味深いことに、アメリカの株価バブルの崩壊後に対するFRBの最初の対応は、日銀の対応とほとんど違いはなかった。FRBは、OO年3月の株式市場暴落後10ヵ月にわたって名目フェデラル・ファンド金利(日本のコール・マネー金利と同じ銀行問の貸借金利、FRBが政策金利として使っている〕を6・5%の水準に維持していた。その聞に、消費者物価指数でみたインフレ率は3・5%近傍で安定していた。そのことは、バブル崩壊後の初期の段階では短期の実質金利はほとんど変化がなかったことを意味している」(『超大国の破綻』中央公論新社)
もちろん、グリーンスパン前FRB議長は、01年1月からは急激に金利を下げていつたが、これを危機脱出の方策だったから仕方がなかったと見るのか、それとも、遅すぎただけでなく新しいバブル(住宅バブル)を生み出す元凶となったと見るのかは見解の分かれるところだ。しかし、いったん始めた金利引き下げが延々と続けられたことを思えば、後者が
正しいとするのが妥当だろう。ちなみにこの点は、クルーグマン氏も近著『世界大不況からの脱出=早川書房)に収めた「グリーンスパンのバブル」の章で批判している。
私はクルーグマンという経済学者は嘘つきだとか、ましてや無能だと言いたいのではない。それどころか、クルーグマン氏はそれまでの自説を翻す時の鮮やかさにおいて、きわめて有能な経済学者だと言えるだろう。冒頭に述べたことと関運するが、本稿で控えめに指摘しておきたいのは、まさにクルーグマン氏が述べているように、アメリカ当局は有能だが日本の当局は無能だとか、アメリカの経済学者は正しく日本の経済学者は間違っているという議論は、ほとんど何の根拠もなかったということだ。それはクルーグマン氏が主張してきた理論でも同じことだろう。
クルーグマン氏自身が言う。「自分たちは何をなすべきかを分かっていると思い込んでいた。日本の『失なわれた10年』の二の舞は避けられると思っていたのだ。ところが、今、私たちが目にしているのは、それがなかなか容易ではないという事実だ」(前出『中央公論』09年3月号)
ほんの数カ月前まで、こう語っているクルーグマン氏が日本のために推奨したインフレターゲット論に異議を唱えようものなら、まるで経済や緩済学について何も分かっていない者であるかのように、侮蔑的な言辞によって論難する風潮が存在した。私は最初から経済学者でもエコノミストでもないので、経済学については「素人」と呼ばれ、自分の本を「悪書」と書かれても、面白がっていればよかつた。しかし、誠実に議論を積み重ね、独自の分析によってインフレターゲット論とは異なる結論に達した経済学者を、汚い言葉で当てこすり、軽蔑してみせるのが「主流」の経済学者だというのだから呆れはてた。
本来なら、日本の90年代の長期不況は、日本の経済学者にとって新しい発見を行い新しい理論を打ち立てるチャンスだったかもしれない。しかし、今やアメリカの経済学者たちが、巨額の財政出動を肯定し、自分たちの現実に正面から取り組んでいる。日本の新進経済学者たちがすべきは、日本経済の現実を直視して、より妥当な経済政策を提示することだったが、実際に行ったのはどこかに絶対の「正解」があるとの前提で、ある説を海外から輸入し、それを信じ込んだだけだった。