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戦争による問題解決(=生産設備の強制的廃棄に依る供給削減)を回避したいなら、
需要拡大(=マネー発行量増加)政策しかないだろう。
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禁断のマネー増発、挑む価値あり
GDPマイナス12%はこれで克服する 竹中 正治
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090216/186179/?P=1&ST=manage
2008年10〜12月期の日本の実質GDP(国内総生産)はマイナス12.7%(前期比年率)に落ち込んだ。日本は、世界の主要国と同様、金融緩和と財政支出による景気刺激策に取り組み始めている。しかし、金融、財政政策ともに日本ではその効果について楽観的な声は聞こえてこない。
それはそうだろう。量的金融緩和によるマネー市場のゼロ金利状態は2006年にようやく解除されたが、金利は0.5%に上がっただけだ。それを再びゼロ金利近傍に戻しても景気が救われるとは誰も思っていない。財政支出の拡大で景気対策をするしかないが、既に1990年代の度重なる景気対策の結果、GDP(国内総生産)比率で見て日本の政府長期債務残高は先進諸国中最大だ。そこにまた輪をかけて政府債務を積み上げるのかと思うと気が重い。
そこで登場してきたのが「政府券(政府紙幣)」発行による財政政策だ。日銀券と異なる政府券は政府が直接に発行する紙幣であり、償還期日も利息の支払いもない。
皆がマネーを蓄え、消費を減らせば不況になる
元財務官僚で現在東洋大学教授の高橋洋一氏は「現下のGDP需給ギャップに相当すると考えられる25兆円の政府券を1枚発行し、これを日銀で日銀券と交換させる。それで得た日銀券25兆円を政府が国民に給付すれば、デフレ期待は解消し、同時に有効需要を増加させることができる」と説く。
償還期日のない永久国債をゼロクーポンで発行して景気対策に使うのも、政府券の発行と原理的に同じである。既に政府紙幣と無利子国債の発行を検討する議員連盟の設立準備会が開かれたという。
しかし「資産の裏づけもない政府紙幣を増発すれば、インフレになるだけで経済は実質的に拡大しない」「円という通貨の信認が崩壊する」など、政府、日銀、財政学者、金融学者の意見はほとんど皆、否定的である。さて読者諸兄はどう思うか。この問題を考えてみよう。
そもそも不況とはなぜ起こるのだろうか。
ポール・クルーグマン氏は著書『Peddling Prosperity: Economic Sense and Nonsense in the Age of Diminished Expectations』(1995年刊、邦題は『経済政策を売り歩く人々──エコノミストのセンスとナンセンス』、日本経済新聞社刊)の中で、スウィニー夫妻による“ベビーシッター協同組合の危機”という論考を紹介して、すべての不況に共通する本質と、それに対する金融・財政政策の有効性を軽妙に語っている。ご存じの方もいるだろうが、まずそれを紹介しよう。
「ベビーシッター協同組合の危機」が意味すること
夫婦共稼ぎ世帯が多く、アフターファイブの社交生活がカップルでの参加を前提にできている米国では、幼い子供を抱える若い夫婦にとって外出にベビーシッター・サービスは欠かせない。こうしたニーズを持つワシントン地区の夫婦たちがベビーシッター・サービスを相互に提供し合う「ベビーシッター協同組合」を作った。
協同組合はベビーシッター・サービスを受けることができるクーポン券を一定枚数発行し、会員に配る。会員は他の会員にサービスを提供するとクーポン券を受け取り、自分がサービスを利用する時はクーポン券を払う。
ところがしばらくすると組合は問題に直面した。流通するクーポン券が不足するようになったのだ。その原因はクルーグマン氏の著書では明示的には書かれていないが、例えば会員が多くなれば不足が起こるだろう。その結果、クーポン券の蓄えを増やそうと外出を控え、サービスを提供しようとする会員が増えた。
しかし、皆がそのように行動したのでクーポン券を払う人(=サービスを利用する人)はますます減り、意図に反して外出を控えざるを得ない会員がますます増えてしまった。
組合はいろいろな対策を試行錯誤した揚げ句、結局最も単純な方策で問題を解決することができた。
クーポン券を増刷して会員に配布したのだ。
配布を受けた会員は十分なクーポン券の蓄えができたので、安心してクーポン券を使用するようになり、サービスの相互利用は再び活発になった。
さて、この逸話の含意はもうお分かりだろう。クーポン券とは「マネー」のことである。「特別目的の地域マネー」とも言える。会員の多くがクーポン券(=マネー)の貯えを増やし、サービスの利用(=消費)を減らした結果、組合は不況に陥ったのだ。そしてその解決策とはマネーの供給量を増やすことだった。日本人は「辛抱我慢」を尊重する価値観が強いから、不況という困難も「辛抱我慢」で克服しようとする。しかしマクロ経済的には「辛抱我慢」は不況の深刻化をもたらすだけだ。
現実の経済でマネーの流通量を増やすには?
この逸話は単純化されているが、現実の経済をよく反映したモデルである。当初は軽度の景気後退でも、家計や企業の多くが貯蓄に走り、消費や投資を減らせば、不況が自己実現的に到来する。現実の経済・金融不況の契機は様々であるが、マネーの流通を増やすことで緩和、脱出できる。
では今日の経済・金融の仕組みを前提に、どうしたらマネーは増えるのだろうか。
まず金融政策である。金利水準が高い場合は、金利を下げれば借入コストが低下し、借金して消費や投資をする活動が増える。つまりファイナンスの回復・増加によって流通するマネーは増え、普通の景気後退は回復に向かう。しかし今日の日本では、日銀が金利をゼロ近傍にまで下げ、金融機関同士のマネー市場にジャブジャブにマネーを供給しても、なかなかファイナンスが増加しない。それにはいくつかの理由がある。
1つは、銀行の貸し出しを含む資産規模は自己資本との比率で規制されていることだ。これは安全経営のためのルールであるが、この結果、銀行が保有している企業株式の含み損や貸し倒れ損失の増加で自己資本が減少すると貸し出しを増やせない。
また、市場参加者の多くが債務過剰でそれを減らしたいと考えている場合には、金利を下げても借入を増やす人は限られ、金融政策の有効性は低下してしまう。米国では住宅価格が上昇していたブーム期には、増加した住宅価値を担保にローンを借りて消費する行動が家計に広がった。しかし、住宅価格が下落に転じている現在、金利が下がっても返済に追われ、借入を増やすどころではない。
さらには、デフレになってしまうともっと厄介なことになる。名目金利はマイナスにはできないので、実質金利(=名目金利−インフレ率)がデフレ率の分だけ上昇し(デフレとはインフレ率がマイナスになることだ)、金融緩和効果が効かなくなる。金融政策が有効であるためには軽度のインフレが必要なのだ。
インフレターゲット論者は、日銀が国債を大量に民間から買い上げることで、マネーの流通量を増やし、デフレを回避できると主張した。しかし考えてみよう。単純化して民間経済があなた1人であり、あなた(民間)はマネー50兆円と国債50兆円を持っているとしよう。この場合、日銀があなた(民間)を相手に国債を25兆円買って同額のマネーを提供すると、あなたの資産構成はマネー75兆円、国債25兆円に変わる。この結果、あなたは消費を増やすだろうか。
あなたの蓄えの総額は変わっていないので、消費を増やすことはないだろう。つまり民間の有効需要が増えることにはつながらない。マネーの比率が増え、不況時に生じる流動性の枯渇(=マネーへの渇望)を癒やす効果があるだけだ。
財政赤字への国民の危惧が財政政策の効き目を弱める
そこで、金融緩和で足りない時は財政政策が発動される。政府が国債を発行すれば、民間のマネーは国債との交換で政府に吸い上げられ、それが政府によって支出されるので確かに有効需要は増加する。しかし、マネーは国債の発行で民間から吸い上げられ、政府支出によってまた民間に戻るだけなので、民間に流通するマネーは増えない。
従って、今回のように大不況になりそうな時は、財政支出の増加と中央銀行による民間からの国債の買い取りを併用する金融・財政政策が発動される。そうすれば財政支出による有効需要の増加と金融政策による国債の買い取り=マネーの供給が合わさった景気刺激効果が生まれる。ここまでは標準的な景気対策として今日容認されている。
しかし、これでも効果が限られる場合がある。膨張する政府債務(償還期限付き国債)はいつか償還されなければならない。その償還原資は将来の増税か、さもなければ将来の政府支出を削減する(公的年金や医療費の給付金を減らす)しかない。そうした心配がいっそう私たち国民を貯蓄増加、消費削減へと駆り立てるならば、政府支出の増加は効果が削減あるいは相殺されてしまう。これは財政赤字に関する「リカードの中立命題」として知られていることだ。
実際の民間の経済主体の行動が「中立命題」通りであるかは議論が分かれる。しかし、日本は1990年からの10年間、実質GDP成長率は1%台前半の低成長にとどまり、政府の長期債務残高は度重なる景気対策で340兆円増えた。一方、同じ10年間に家計の金融資産は1000兆円から1400兆円に400兆円も増えた。政府債務の増加は家計の貯蓄増加とほぼ見合ってしまっている。これはもしかしたら日本では部分的にせよ中立命題が成り立っているのかもしれない。
封印された秘策、マネー増発
どうして現実の政府(含む日銀)はベビーシッター協同組合のようにマネーと有効需要を簡単に増やすことができないのか。実は今日の先進諸国でも近代まではそうしたマネー増発が野放図に繰り返され、インフレの悪弊がはびこったので、通貨増発政策は封印されたのだ。マネー(ここでは不兌換紙幣)増発は、それを増発するのが政府であれ、君主であれ、発行者による民間からの富の収奪でもある。これを通貨発行益と呼ぶ。
マネー増発の封印の具体的な仕方として、政府は通貨の発行を組織上独立した中央銀行に託し、政府の国債発行を中央銀行が引き受けることを禁止した。この結果、政府が国債を発行する場合には必ず民間に売却される。つまり財政赤字の増加に見合った分だけマネーは国債の売却代金として民間から政府に吸い上げられる。従って通貨の増発は起こらない。
かくしてマネー増発の封印が今日では金融・財政政策の金科玉条となっている。これに従う限り、「政府紙幣の増発なんて無責任な奇策」だということになる。
しかし、ここはよく考えてみよう。通貨増発がインフレの悪弊をもたらすのは、実体経済の需要と供給能力にほとんどギャップがないか、あるいは需要超過の場合であるはずだ。ところが今日私たちが陥っているデフレ不況は、供給能力が需要を上回る状態である。供給能力は十二分にあるのに、貨幣の裏づけのある需要が不足している。
こうした状況に限定してマネーを増発するならば、デフレ期待は軽度のインフレ期待に転換し、マネーの増発が生み出す有効需要の増加が経済を成長軌道に戻すと考えるのは、決して突飛な発想ではない。増発による通貨発行益を全部国民に対する給付金として配布してしまえば、政府による収奪の問題も生じない。
日本の不況は外因性、内需拡大で脱出できる
少し補足すると、マネーの流通量が変化しても、労賃を含むすべての価格がマネー流通量の変化に応じて直ちに変化するならば、実質で計った実体経済活動は影響を受けない。しかし、現実の経済では価格は上がる場合も下がる場合も、ある程度の硬直性がある。その結果、マネーの縮小は供給能力に対する需要の縮小、すなわち経済活動の縮小をもたらす。こうして不況になると遅れて価格全般が下落し、デフレとなる。
すべての価格が下落して調整が終わると、どこかで経済は均衡を取り戻して回復が始まるのだが、それまでは実質経済活動の縮小に長く苦しむことになる。反対に供給能力超過状況の下ではマネーを増発して有効需要を増やしても、直ちにはすべての価格が上昇するということはない。その結果、実質の有効需要が増加して経済活動は増加する。それが目立ったインフレに転じるのは実体経済の需給ギャップがおおむね解消されてからだ。従って、その時には金融政策も財政政策も引き締めに転ずれば、インフレの害は十分コントロールできるはずだ。
もちろん、多少なりともインフレに転ずれば、インフレとはマネーの減価であるからマネー保有者(民間)がコストを負うことになる。つまり、政府紙幣発行の政策コストはゼロではない。しかしデフレに陥るよりも軽度のインフレが望ましいことで経済学者、エコノミストの意見はほぼ一致している。
この点で代表的なインフレターゲット論者である慶応義塾大学教授の深尾光洋氏が、政府紙幣発行によって政府は将来返済しなくてよい追加歳入を手にできるが、その代わり国民にはインフレタックス(コスト)が生じるので問題があると否定的なコメントをしているのは奇妙だ(2月10日付日本経済新聞、経済教室)。デフレの害を強調し、軽度のインフレ率を目標に金融政策を行えと最も強調していた同氏が、多少でもインフレになるからダメだというのでは理屈に合わない。
念のために言い添えておくと、私はマネーさえ増えれば、どんな不況も回避できると言っているのではない。家計にしろ、企業にしろ、多くの経済主体が過剰な債務を抱えている場合は、債務の過剰感が調整されるまで自律的な回復は期待薄である。それは日本経済も90年代から2000年代初頭にかけて経験したことだ。米国の家計は今そうした過剰債務状態の調整局面に入ったところなので、本格回復までには時間がかかる。
もっとも、どの程度の債務なら適正なのか、国、時代によって異なるので、絶対的な議論はできない。ただし少なくとも日本については、そうした過剰債務の削減を1990年代以降ずいぶんとやったので、家計も企業も債務過剰の状態にはない。今回の不況は日本にとっては外因性なのだ。従って内需を拡大できれば、脱出できる。
悲観論に流されず、政策実験に挑戦すべき時
もちろん、マネー増発という封印された「禁じ手」を使うのはリスクも伴う。封印を破ればデフレ期待はインフレ期待に転換するだろうが、それがどの程度かは予測し難い。長期国債の金利は上昇し、円相場は円安に振れるだろうが、それがどの程度かも予測し難い。
だったら、一気に20兆〜30兆円もやらずに、5兆〜10兆円程度で小出しにやってみることだ。また将来の財政規律を損なうことにならないように、「禁じ手」の発動条件を厳しく制約するルールも必要だろう。そのうえで、やはりやってみる価値のある政策だと思う。
インフレもデフレもしょせん、人間の営みの結果なら、管理も操作もできるはずだ。悲観論に無為に流されるのはもうやめて、世界経済をリードする政策実験に挑戦してみる時ではなかろうか。