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どの著作、あるいは記事だったかは、忘れましたが、小室直樹が、経済に憧憬の深い人を評して語っていた。
彼は、経済活動を、誰よりも理解している。しかし、資本主義を理解しているとまでは言えない。彼は、”資本主義の精神”が分かっていないから。
”神から預かったお金を、神の栄光のために増やす”
古代そして中世、”お金儲け”は卑しいとされてきた。お金儲けにより、繰り返し、悲劇を見てきたから、卑しいこと、扱いにくいことと考えられてきた。
お金儲けを、どう御すか、これが資本主義への転換を可能にするかどうかだった。
個人の蓄財を、目的とするのではなく、”神の栄光”のために資本を増やす、これが、お金儲けを御す、考え方になった。資本の蓄積は、成功の上に成功を収めた。
そして、時代は変わった。
資本主義の精神を必要としなくなってしまった。なぜなら、資本は有り余っているから。農地も、生産設備も、余ってしまっている。
個人においても、1年や2年、車も、服も、家具も、食器も、テレビもパソコンも、買わなくたって、別に困らない。余りに余ってしまっている。
資本主義の精神を必要としない時代となってしまった。
結果、資本主義は、決して作動しない。