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(回答先: (個)人のアイデンティティは所属する共同体の「それ」を通じてのみ発露される。 投稿者 仁王像 日時 2009 年 11 月 29 日 08:11:06)
「”民族のアンデンティティ”なるものが私は胡散臭いと思う」「そもそも日本人とか日本民族とかの実態って何ですか?」
これに対する筆者の応えが表題になっている。「民族精神」や「日本人である」ということは、帰属する共同体のなかで生活し学び成長する過程(「ふるさと体験」)において体得するもので、理屈で理解するものではない。その体感し実感したものをあとで言葉で整理すると、たとえば下に再整理したようなものになる。
りんごを食べた事のない人にりんごの味を説明してもとても理解できない。それはいくつかのりんごをかじってみる体験を積まないと決して分からない。不幸にしてその経験がないと、りんごの味は永久にわからないことになる。
「民族精神」等にもまったく同じことが言えると思う。生い立ちの過程でなんらかの理由で「ふるさと体験」のようなものから隔絶されたり疎遠であったり、決定的に不足するような生い立ちを余儀なくされてきたような場合、「それは一体何だ」ということも起こりうるのではないか。「ふるさと体験」は、(筆者のようにたとえ物質的に貧しいものであっても)その生い立ちの過程で体と心に刷り込まれていくもので、忘れ難いものである。
冒頭のような問を持っている方(々)には、お考えいただきたいが、考えてもおそらく分からないだろうということはやはり不幸というほかはない。この共同体にいくつかの欠陥があった、との総括もできるのかもしれない。(いやいや完璧な共同体というのもまたあり得ない。また、冒頭のような問を持つ人もまた少ないのではないか)
(既存の知見を整理したつもり。定義しているつもりはない)
・民族のアイデンティティ(民族精神)→純血種ではないが永く日本列島という特色のある国土・風土の地に住み暮らしてきた人々を「日本人」たらしめる精神構造→共有される文化・文明・言語・死生観・自然観・宗教観・歴史観・心性・風俗・習慣・嗜好等々。