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(回答先: (再掲)「驕れる白人と闘うための日本近代史」/松原久子 投稿者 仁王像 日時 2009 年 11 月 19 日 20:20:50)
「日本の知恵 ヨーロッパの知恵」松原久子/三笠書房‘85年から抜粋
<ヨーロッパ人の「日本人論」に異議あり>
・ヨーロッパに近代が訪れるまでに何百年の準備期間が必要であり、どれほど多くの人間の思考と叡智の蓄積があったことか…。幸いにして日本は、江戸時代に鎖国という状態にありながら、知性の洗練度においても、複雑な政治経済社会の組織能力や生産力においても独自の高度な発達を遂げ、人々のエネルギーは発想の転換を求めて膨張していた。その長い準備期間と知性の貯蔵があったからこそ、同じように長い年月と知性の重みをもったヨーロッパの文明を、主体的に受け止めて消化することができたのである。
<行雲流水はヨーロッパでは不可能>
・ヨーロッパ、とくにドイツでは、自然のふところに抱かれるといっても、日光はだいたい1年の半分ばかりは月光のように弱弱しく(北海道の最北端とミラノはほぼ同緯度)、海や河や湖の水は冷たく…空気は夏でも夜になれば肌寒く、秋口から北極の寒冷前線が張り出してきて容赦なく骨の髄まで凍らせる。裸で自然のふところに抱かれ、無心になってさらりと自然の真っ只中にとけ込むという態度は、日本の自然だからこそ可能であり、またそういう天真爛漫な自然との対し方が人間にとってもっとも大きな利益をもたらすのである。ヨーロッパでは、行雲流水は、…死を意味することである。
<「負けて勝つ」、竹林の知恵を生活の場で応用>
・ここでは「負けて勝つ」という日本社会の原理は通用しない。…ヨーロッパではそういった自然がないかわりに、どこまで下がるか予想できない気温と、いつ果てるともわからない冬が人間を打ちのめそうとやってくる。一時的にしろ、負けてはおしまいなのだ。そんな余裕はない。…何か問題が起こった場合、柔らかく優しく相手の情緒にうったえるように口をきくと、相手は必ずこちらを叩きつけてくる。ますます尊大に頑固に意地悪につっかかってくる。もちろん…一市民として接する場合の人々の反応である。
日本では似たような場合、…叩きつけてくる相手はまれである。
<「恥」感覚に対する日本とヨーロッパの違い>
・ヨーロッパ社会では「恥」の感覚は性については大いに存在するが、社会的倫理観としては薄い。法律にさえ触れなければ何をしたって恥ずかしいとは感じない。…厚顔無恥の徒は社会のあらゆるレベルを闊歩している。これを規制する恥の観念が未発達である。それは世間が見ていても、見ていなくても同じである。
<稲作民族と狩猟民族の違いという誤解>
・日本人が集団行動に慣れ、集団でものすごい力を発揮するのは稲作民族のためであり、…共同作業を二千年間繰り返している間に日本民族の性格が形成されたという説がある。対照的にヨーロッパ人はもともと狩猟を主とし、それぞれの生存は個人の能力にかかっており、共同作業を必要としなかったので、個が優先し、…たという見解である。これはとんでもない誤解である。
日本人が稲作を始めた弥生時代以前からゲルマン民族はすでに農耕生活を主軸とし村落を作っていた。その遺跡が今でも時々発見される。麦刈りも脱穀も村中が力を合わせてやるのが常であり、乳牛や羊の見張り、番も村単位。
<日本に育たない労使憎悪関係>
・ヨーロッパでも戦後(日本と同様)灰の中から小さな会社が生まれ…復興に向かった時、西洋的精神が蘇った。西洋社会の権力のあり方は、いったん権力を持った者は容赦なく無慈悲に冷酷にそれを駆使する。
この権力のあり方はまず絶対専制を続けたキリスト教教会が不平不満の徒を殺戮し、1千年間権力の模範を示したので、その伝統はそのまま世俗支配者に受け継がれ、どんなに小さな民間の集団でもその中で権力を手にした者は似たりよったりの使い方を真似るようになってしまった。権力とは本質的に冷酷無慈悲なものなので、人の弱みにつけ込んで叩きつけると誰でも思っており、だから権力と聞けば反抗闘争の身構えを示す。その身構えが労働組合の根本にある。
<史実の裏側を直視してつき合う国―ヨーロッパ>
・この本は日欧関係の…お互いの強さと弱さ、光と影を憚ることなく見つめてきた。その際ヨーロッパ人の多くが気のついていないヨーロッパの影の部分を私は強調してきた。別にヨーロッパに恨みがあるわけではない。ヨーロッパは私の第二の故郷であり、…心を許しあった友人たちもいる。そういった私情とは別に、ヨーロッパの影の部分をはっきりさせておかないと光の美しさがわからない。貧弱な自然と無防備な地形と残酷な宗教にもかかわらず、それを克服して近代を生み出したヨーロッパの偉大さが本当はわからない。