投稿者 上葉 日時 2010 年 3 月 16 日 22:48:16: CclMy.VRtIjPk
石油を「代替」できるエネルギーなど存在しない 原発も自然エネルギーも魔法の解決法ではない JBpress(日本ビジネスプレス)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3011
石油を「代替」できるエネルギーなど存在しない
原発も自然エネルギーも魔法の解決法ではない
2010.03.16(Tue) 山本 達也 ブラジルの国営石油会社ペトロブラスのガブリエリ最高経営責任者(CEO)は、2009年12月、「今がまさに石油供給のピークだ」という認識を示した。既存油田の減退分を補うだけでも、今後2年ごとに新たなサウジアラビアを発見し続けなくてはならず、これは実質的に不可能だとする見解である。
もちろん反対意見もあるだろう。エコノミストなど市場原理を重視する人々は、「需給が逼迫して石油価格が上昇すれば、より多くの資金を採掘や新規油田の開発に回せるようになり、現在の石油価格では採算が取れない油田も稼働し始める。全ては市場が解決してくれる」と主張するはずだ。
しかし、石油価格が異常に高騰した過去数年間を振り返ってみても、その主張は実証されてはいない。
米国でエネルギー関連の投資銀行を経営し、ブッシュ政権でエネルギー政策のアドバイザーも務めたシモンズ氏の試算によると、原油生産の上流部門への年間平均支出は、2000〜04年が1150億ドルであったのに対して、2004〜08年は2850億ドルと、原油価格の高騰にシンクロして急増している。
しかし、2004年以降の原油生産量は、日産7300万バレルの水準から伸びていない。2003〜08年にかけて、世界は約1.5兆ドルをつぎ込んだが、既存油田の減耗分を埋め、現状を維持するのがやっとというのが実情だ。
だからこそ、冒頭で紹介したガブリエリCEOのように、かつては楽観論だった石油産業のトップでさえも、最近では厳しい現実を率直に語るようになってきたのだ。
■石油を代替できるエネルギーは存在しない
そうなると、必然的に、石油以外のエネルギー源に注目が集まることになる。エネルギーについて考えるにあたっては、それが「1次エネルギー」か「2次エネルギー」か、「枯渇性資源」か「再生可能資源」か、によって4つのカテゴリーに分類することが可能だ。
1次エネルギーとは、自然界に存在するままの形のエネルギー源を指す。これに対して2次エネルギーとは、電気や水素、都市ガスなど1次エネルギーを変換して得られるエネルギーだ。
2次エネルギーは、「エネルギー」であっても「エネルギー源」ではない。1次エネルギーがなければ、2次エネルギーを生み出すことはできない。エネルギー問題とは、基本的に1次エネルギーの問題であり、両者を混同してはならない。
1次エネルギーには、石油や石炭、天然ガス、ウランなどの枯渇性資源と、木材、地熱、太陽、水力、風力、波力、潮力など再生可能資源がある。2次エネルギーも、枯渇性資源由来のものと、再生可能資源由来のものとに分類できる。
さらに、代替エネルギーを考えるにあたっては、押さえておくべきポイントが2つある。
第1のポイントは、「枯渇性資源」の場合、必ず生産ピークが訪れるという点である。これは、枯渇性資源の宿命だ。地球は有限で、資源にも限りがある。
第2のポイントは2010年2月5日付の「『量』より『質』で石油を語ろう!」で指摘したように、エネルギーは「量」より「質」が重要であるという点だ。「1」のエネルギーを取り出すために、「1以上」のエネルギーを投入しなければならないようでは、エネルギー源としての意味が無くなる。 結論から言うと、現時点で、石油を「代替」できる有力なエネルギー源は見当たらない。悲しい結論かもしれないが、その論拠を示してみたい。
■石炭の生産のピークは2025年との試算も
まず、1次エネルギーから検討してみよう。石油以外の化石燃料としては、石炭と天然ガスがあるが、枯渇性資源であることには変わりはなく、いつかは生産ピークがやってくる。特に天然ガスはピーク後の減退率が急激であることが知られており、ピーク自体も早ければ2015年頃ではないかという見積もりもある。
膨大な埋蔵量があるとされてきた石炭も、最近になって下方修正されるようになってきた。当然ながら人類は、より利用価値の高い無煙炭や瀝青炭から利用してきたし、採掘しやすい場所から炭坑開発を進めてきた。結果的に、現在、残っているのは熱量効率の悪い亜瀝青炭や亜炭が中心となっている。
ドイツの「エネルギー・ウォッチ・グループ」は、世界中の石炭の分布を精査した結果、生産ピークはこれまでの予想よりはるかに早い2025年頃とする試算を発表している。
■原発は魔法の解決法ではない
再生可能エネルギーの場合、太陽熱など太陽のエネルギーを直接利用するという方法もあるが、多くの場合、電気などの2次エネルギーに変換して利用される。実際、代替エネルギーに関する議論では、こうした2次エネルギーについて論じられることが多い。
例えば、電気について考えてみよう。この時に大切なのは、「すべてのプロセスを考慮」した、エネルギー効率EPRの視点だ。
例えば、日本で火力発電をする場合、原料のほぼ全てを海外から輸入している。採掘、運搬、精製加工の全てのプロセスでエネルギーの投入が必要だ。発電所を建設するための原料を取り出し、建材として加工し、建造し、発電所が寿命を迎えれば、それを解体・廃棄するにもエネルギーがいる。
再生可能エネルギーも同様だ。太陽光発電のパネルを製造するためには、世界中から原料を集める必要があるし、鉄やコンクリートを作るためにもエネルギーが必要である。
EPRの評価は、これらをすべて「エネルギーを生み出すために必要なエネルギー」として考慮に入れた上で試算が試みられている。こうしたエネルギーをすべて厳密に集計することは極めて困難なため、得られる数字は評価者によってバラツキが生じるが、おおよその目安を把握することはできる。
日本では電力中央研究所の天野治氏がEPRの試算に積極的に取り組んでおり、1つの評価例として図1のような結果を公表している。EPR値が高いのは原子力発電であり、単純に考えると「原発を推進すべき」との結論になりかねないが、筆者の立場は違う。 この試算にはいくつかの仮定が含まれている。原発の最大の問題は、放射性廃棄物の処理方法だ。ここでは、単純に地下300メートルに長期保管(処分)することを想定し、必要な鉄やコンクリートの量のみを考慮して計算した結果に過ぎない。「埋めて終わり」という極めて簡単な想定だ。
地震大国日本で本当にこの方法でよいのか──という点は議論があるところだ。もし違った廃棄方法を取れば、当然EPR値は変わってくる。数字はあくまでも特定の仮定に基づいた試算結果であり、目安に過ぎない。
さらに、原発については政治的コストも勘案する必要がある。科学合理性はともかく、実際に地中に処分するとなれば、処分地の選定にあたっては越えなくてはならない政治的ハードルは極めて高い。現に、原発が立地する自治体には、長年にわたって莫大な補助金が支払われている。
こうしたEPR評価の数字はむしろ、原子力発電であっても「魔法の解決策」ではないという点を可視化して見せたという点で評価されるべきであろう。日本の場合、ウランの濃縮方法に高エネルギー効率的な遠心分離法を半分程度取り入れているために16.9と比較的高い数字が示されているが、非効率なガス拡散法による濃縮を行っているアメリカの原発に対しては、4程度という再生可能エネルギー以下のEPR評価を下している研究者もいる。
■自然エネルギーを利用するには、莫大なエネルギーが必要
期待される再生可能エネルギーであるが、残念ながらその数値は概して低い。天野氏の試算によると、水力発電の場合、ダム建設に入力エネルギーの48%、コンクリートなどの素材に26%、運用や補修に23%が使われている。
地熱発電の場合、素材に必要なエネルギーは全体の20%だが、運用に72%が使われる。風力発電の場合、素材に48%、運用や補修に36%、製造に10%のエネルギーが使われる。太陽光発電でも、パーツの製造に61%、モジュールの組み立てに23%、据え付ける架台に8%のエネルギーが使われる計算だ。
再生可能エネルギーは、その装置が電力を生み出す姿だけを見れば「クリーン」なイメージがあるかもしれないが、装置自体が「工業製品」であることを忘れてはいけない。原料に希少資源が使われる場合は、現地住民の間に紛争の原因を植え付けることにもなる。 農作物に「フェアトレード」という概念を持ち込んだことの功績の1つは、我々に製品の裏側への想像力を思い出させてくれたことにある。エネルギーについても同様に、それぞれのエネルギーが生み出されるまでの過程への想像力を失ってはならない。
太陽光も風力も地熱も、「量」だけなら膨大に存在する。しかし、電力など我々が実際に利用できる形に変換するには、様々な形で入力エネルギーが必要なのである。
最近では、世界各地で、再生可能エネルギーを用いて水素を取り出す試みも行われているが、これは、2次エネルギーをさらに変換して3次エネルギーとしているようなものである。ただでさえ低い再生可能エネルギーのEPRをさらに低下させるだけの結果となる可能性が高い。
石油など他のエネルギー源が豊富にある状況で、より「クリーン」なエネルギー源を求めるということなら意味があるのかもしれないが、資源制約下では現実的な選択肢ではない。原発同様、有限な地球においては、「魔法の解決策」は見当たらない。
■石油をベースとした社会システムからの脱却を!
解決策が見当たらない根本的な原因は、石油をベースとして構築した現代社会を「現状維持」させるために、石油以外のエネルギー源で「代替」しようと発想するところにある。
EPR評価の数字から読み取るべきは、代替エネルギーが劣っているというよりは、石油が極めて優れたエネルギー源であるという事実であろう。そうでなければ、誰も「石油中毒」になど陥らない。
エネルギーは「自然からの贈り物」である。石油も、数千年から数億年かけて地球に降り注いだ太陽エネルギーが濃縮された太古の遺産である。そう考えるとエネルギーとしての石油の質が高いこともうなずける。
石油に「代替」するエネルギーで現状を維持しようとする試みとは、数億年にも及ぶ太陽エネルギーの濃縮に戦いを挑むようなものである。人類がこれまでに生み出した技術は、エネルギーを取り出すことができても、エネルギーを生み出すことはできない。
石油後の時代において、再生可能エネルギーが重要な役割を占めるであろうことに疑いの余地はない。技術は重要である。しかし、それが石油を文字通り「代替」することはないだろう。
今求められているのは、「現状維持」という妄想にとりつかれながら「ドン・キホーテ」的な戦いに挑み続ける勇気ではなく、思い切ってこれまでの発想を捨て去る勇気である。新しい時代は、その後でなければ姿を現してはくれないだろう。
◆関連書籍
電中研関連書籍 石油ピーク後のエネルギー 電力中央研究所
http://criepi.denken.or.jp/result/pub/book/detail/038.html
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