★阿修羅♪ > エネルギー2 > 162.html ★阿修羅♪ |
|
(回答先: 佐藤栄佐久前福島県知事の裁判と二つの事件、日本のエネルギー政策を左右する影 投稿者 taked4700 日時 2009 年 10 月 20 日 06:40:31)
ここ数日、何冊かの本を読んでいる。その内のひとつが「東電OL殺人事件」だ。何年か前に読んだものを改めてもう一度読み直したのだが、徹底した悪意が事件を作り上げているのだなと改めて考えた。そういった悪意は神戸連続児童殺傷事件にも、桶川女子大生殺人事件にも感じるものだが、そこまでの悪意を生むものとはいったいなんだろうという疑問が浮かんできてしまう。そういった悪意が生まれるはずがないというのではない。そういった悪意を持ってしまった場合、それが通用しなくなるという不安を感じないのだろうかという疑問だ。余りに徹底的に相手を叩きすぎていて、その反動が自分に向かうのではという危惧を抱かないのかという疑問だ。
もう一つ気が付いたのが、盗聴法とか共謀罪などの法案審議がされたのと和歌山毒カレー事件がシンクロしていたということだ。
終戦後、一時期の労働運動許容期を過ぎて、下山事件、三鷹事件などGHQが絡んでいたとほぼ認めることが出来る謀略事件が多発したが、ソ連崩壊と同時進行したバブル崩壊以降に日本で起きたさまざまな事件も、同じような構図であるように思う。太平洋戦争後の事件は主に日本社会の共産化を妨害するために起こされたものだったが、1990年代ぐらいから起こっている事件は日本を植民地化するための、主に経済的な利益を狙って起こされた事件だ。
10年とか20年を振り返ってみるといかに激動の時代だったか、いまさらながらに再度認識する次第だ。いかに自分が世間知らずだったか、現実の世界で何が起こっていたのかを知らずにいたのかを今一度思い知った次第。