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http://ja.wikipedia.org/wiki/見えざる手
人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」といった形で事業を運営することにより、得られるものである。そして人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手によって導かれた結果なのである。
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神の見えざる手、これにより資本主義市場経済が成り立っている。
リバタリアン、新自由主義も、みんな神の見えざる手が働くという前提で
出来ている思想です。
アダム。スミスの時代には巨大資本、巨大企業、寡占市場というものが
無かったのだろう。
神の見えざる手というのは、みんなが富の獲得のために富を生産する、
という前提で機能する。
それは「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」この言葉に表されている。
だからブルートンは「労働者よストを止めよ、生産せよ」と言ったのだと思います。
富を生産すれば、いずれそれは市場原理により労働者の手に渡るだろうと
考えたのでしょう。
そりゃそうでしょう。富は生産すれば腐らせるわけには行かない。
価格を下げてでも何でも、いずれは富は必要な者の手に渡ります。
商品が市場に溢れる時代とは資本が力を持ち得ない時代なのです。
多ければ下がる、この市場原理は資本にも当てはまります。
しかし現代は巨大資本、巨大企業が市場を寡占化している時代です。
富の生産ではなく、富の生産を抑制することが利益を生む時代なのです。
生産調整、商品廃棄、もろもろの手を用い、資本は市場に供給される
商品を減らそうとします。
富の生産ではなく、富の生産を抑制することで利益を得る市場では
神の見えざる手は、悪魔の見えざる手にと変化するのです。
生産を抑制して利益を得ようとすれば、どんどん生産財が過剰に成る。
つまり失業者が出るということです。
失業者が増えれば需要が減り、さらに生産を抑制することになる。
富の生産ではなく、富の減産で利益を得られる市場では、神の見えざる手は
働かない。
こんな簡単なことも分からず、多くの人が神の見えざる手を信じています。
アメリカの良心とも言われるロン・ポールでさえ、リバタリアン思想です。
自由という幻想、自由という言葉の美しい響き、みんなこれで錯覚して
しまうのでしょう。
巨大企業と労働者、消費者、大企業と中小零細企業、これが自由に競争して
取引をしたら、大企業にどんどん富が集まってしまうのは説明する
必要も無いでしょう。
寡占市場というのは欠陥市場なのです。しかし人類はこの市場しか
合理的な市場を知らない。
この市場を上手く使い続けるためには政治による再分配が必要なのです。
でも人類は何時に成ったら、神の見えざる手、という幻想から
目が醒めるのでしょう。
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