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「脱亜入欧」や「文明開化」を批判すると、判で押した様に、”では江戸時代に戻るのか?””「鎖国せよ」と言うのか?”と短絡した反応を示す方が少なからず居ることに改めて驚かされます。 如何に義務教育レベルの刷り込み(要するに、マインド・コントロールね)が強力なのかを示しているのでしょうが、その事自体問題の在処を示すものだという事も言うことも出来ます。
詰まりは、何が問題になっているのか?何故問題になっているのか?解らないーその原因が明治以来の歩みを絶対視する斯かる信仰に在る、ということになるのですから。
そういう人達は「文明」civilizationの原義に戻って考えてみればいい(考えることが出来ればね)。 そうしたら、問題は都市化に伴って起きてるということ、しかもこれまでの文明が、環境やエネルギー等、都市化に伴って起きた問題で衰亡を繰り返して来たことを考えると、全く同じ難局に逢着していることを言っているのだということが解るだろうし、「文明開化」westernizationが、字義通り、西洋的な都市の在り方を目指すものであったからこそ、その行き詰りは西洋文明の行き詰りーと同時に、それは明治の「選択」の行き詰りーとして認識されるのだ、ということも。
都市化が環境破壊をもたらさなかった殆ど唯一の例として江戸(時代)が世界的に評価されているのも、斯かる文脈でこそ理解され得るのです。
これらの点を考慮に入れると、以下の問題もハッキリと分かって来るでしょうー
事故以来、この一年、フクシマの意味するものを巡って、論壇においてはそれなりの論点が出て来ておりますが、それらは、大きく分けて、次の二つに収斂すると思われます。
一つは畢竟”技術の問題”とする立場、もう一つは文明的転換点に在るとする立場。
現在の原発或いは<核>を巡っての対立も、煎じ詰めれば、ここに行き着きます。
文明的転換点に在るとするのが、例えば、”文明災”と呼んだ梅原猛氏や中沢新一氏等だとすれば、”技術の問題”とするのが先程死去した吉本隆明氏を始め”言論村”の(声無き)多数派、無論これには、”第三の敗戦”と呼んだ堺屋太一氏や立花隆氏の様に、(技術の進歩に追いつけない)日本の宿痾として、近代化の不徹底にその真因在りとする立場※も加わります。
前者から見ればこの事故は致命的に見えてくるけど、後者からは失敗、若しくは、経産省や電力会社の対応に表れてる様に、精々過失程度にしか捉えられない。
日頃の言論の位置から言っても、モダニストであるか否か、つまりは、<近代>を肯定的に見るのか、否定乃至批判的に見るのかの違いと一応は言えるでしょう
※斯かる立場から突如浮上して来たのが”TPP”なるものでしょう。 そこには、手を変え品を変え、「年次改革要望書」に替えて、相も変わらず、「外圧」を使って日本を改変しようとする体制エリートの妄執或いはそれこそ(福沢諭吉以来の)宿痾とも言うべきものが覗えます。 今回の国会「事故調」の報告書にしても、そこを貫く主調低音こそ斯かる妄執というべきです。 恐らくはこの点において、彼等に用意されてる(論理的な)筋書きは、第二のフクシマを避ける為にも、TPP参加によって、斯かる日本人の欠点を矯正していこう、となるはずです
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- Re:<近代>再考 フクシマ=オキナワ 影の闇 2012/8/06 21:01:43
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