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米日支配権力との戦後「4回目の戦略的に対決」に持っていけるかどうか
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/366.html
投稿者 仁王像 日時 2011 年 1 月 24 日 20:06:29: jdZgmZ21Prm8E
 

(回答先: 「統一戦線」の現代的意義を問い直す 投稿者 仁王像 日時 2011 年 1 月 23 日 08:57:31)

 戦後、日本の国民が米日支配権力と戦略的に対決したのは三度ほどあるとする見方がある。
1回目:2.1ゼネスト(1947年)
2回目:60年安保闘争(1959〜60年)
3回目:70年安保闘争(1970年)

 この統一戦線が活動し、完全独立への道を開いていけば、4度目の戦略的対決となる。

 今の「政治板」は小沢一郎とそのシンパ以外はすべてワルだとする議論を際限もなくやっている。何が面白いのであろうか。
 そんなことに終始しエネルギーの損耗・湯気抜きばかりしていることが敵の戦略に嵌っているかもしれないなどと露ほども思い至らないらしい。

 今や自民党も民主党もほぼ同じ体質であることがこの間の実績によって国民に十分に明らかになっている。どっちの党の誰それは良くて誰それは悪いなどというつまらない議論は「良い加減」にしたらいかがか(すべての国内内紛を中止すべしなどと野暮なことは言わない。よりよい政治(家)を生み出すための作業はいろいろあるだろう)。

 与野党の政治家を良い方向に突き動かして行くのは、底辺からの大きな国民運動こそが帰趨を制することはこれまでの歴史からも明らかである。多くの国民の後ろだてがあってこそ、政治家は勇気をもって事に臨むことができる。また政治の修羅に殉じることも厭(いと)わない政治家も出てこようというもの。

ここに提議した「統一戦線」は、今すぐには間に合わないが、これに限らず、大きな枠組みでの下からの大衆運動が起きていれば、いろいろな勢力による「小沢いじめ」などの価値・関心も相対的に低下していく。

 われわれに与えられているのは眼前にある与野党の政治家である。良きにつけ悪しきにつけこの民族と社会が生み出したものだ。これが今の国力であり水準である。ここから出発していくほかない。
 あれこれの政治家の個人の資質にのみ期待するやり方は、およそ戦略的でない。これで十分であろう。

 4回目の戦略的対決の仕方は、過去3回のそれとは違った形になることも予想される。筆者の念頭にあるのは、労働運動・学生運動の大幅な退潮という現実である。どのような効果的な戦い方が編み出されてくるのか筆者には分からない。

 若手の有望なプロの「国家戦略家」の輩出を切望する。武術の心得があればなお良い。 
 いやここまで書いてきて、日本の国家戦略家には武術が必須ではないかと思うようになった。日本の武術には何か深い精神性も込められているように思える(西洋のそれは不明)。これを生かさない法はない。武術の心得があって、全人的思考も可能なように思える。
 持てる力を十分に発揮できてこそ、小国日本がかろうじて世界に伍していけるのではないかと思う。

・底辺の大衆運動が、個々の政治家を突き動かしていく
 http://www.asyura2.com/08/dispute28/msg/599.html

・政争にばっかり力浪費しねえで、国の建て直しに力出しておくれでないかえ〜(その2)
 http://www.asyura2.com/09/senkyo61/msg/347.html

・敵に向かって団結することが最優先。同胞内の対立の解決の仕方は別。
 http://www.asyura2.com/09/idletalk37/msg/215.html

・わが国は未曾有の国難に直面しており、この危機を打開するためには、…「政」と「官」は協力すべきで争っている時ではない/森田
 http://www.asyura2.com/09/senkyo69/msg/469.html
 

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コメント
 
01. 仁王像 2011年2月03日 19:51:11: jdZgmZ21Prm8E : zqw7Lv8Ckk
高岡英夫『人というものは、“身体で感じ、身体で考える存在”であるということ』

「意識のかたち」高岡英夫/講談社‘95年から抜粋
<身体意識には構造がある>
・身体には、意識の濃い所と薄い所がある。手は足よりも意識が濃い。足は尻よりも意識が濃い。同じ手の中でも、指先は甲よりも意識が濃い。また同じ指先でも多くの場合、親指と人差指は小指よりも意識が濃い。このように人間には、一人の身体の中で意識の濃い所と薄い所が存在する。

・“身体意識”とは、“体性感覚的意識”を短く表現したもの。視覚的意識や聴覚的意識とは異なる、身体の筋肉・骨格・内臓・皮膚・血管・経絡・細胞等々の上に成立する力感・圧力感・流動感・接触感・質感・温感・気感そして存在感などの一切の体性感覚を根拠として成立する意識系のこと。

・人というものは、“身体で感じ、身体で考える存在”であるということなのです。
 誰しも生まれてからしばらくの間は理想に近い形で、“身体意識”が働いているのです。しか言語を習得しつつ成長し…人はしだいに、“身体意識”との結び付きを喪失した視覚・聴覚的意識の過大な意識世界を作り上げてしまうのです。
 20世紀の哲学者や詩学者が問題にしたという「身体性を喪失した言葉の氾濫」というのは、このことを言葉の面から捉えたもの。しかるにさらに重要なことは、身体でさえ“身体意識”を喪失することがある、ということなのです。“身体意識”の薄い身体や身体活動は、決して人としての“本当の可能性”“本当の高度な能力”を引き出し、発揮することができないのです。


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