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(回答先: 左翼と右翼 投稿者 影の闇 日時 2009 年 11 月 20 日 22:07:36)
影の闇さんへ、
>そして、<近代>という”パンドラの箱”を開けて、「残されたもの」とは<希望>。
>従って、左翼とは「希望の相において物事を見ている」者であり、主観的意図はどうであれ、その言動は、客観的には、欧米支配の隠蔽=延命の役目を果たしてるーということになる。
たとえ“展望”をひらくことが困難な状況にあっても、その中で仮説−検証のトライアルを積み重ねていくためにはやはり<希望>は必要でしょう。いつ頃か人々がそれとは見做さなくなってから久しいのですが、『ゴータ綱領批判』には一つの<希望>が託されていました。
>さて、どうでしょうか? 単に彼岸楼さんに限らず、左派的な意見の持ち主(一々名前は挙げませんが)が右派より知(識)的には上であるにも係らず、何故現実が見えてないのか?語の本来の意味から明らかーなどと僕には思えるのですが、、ね(笑)
事実認識と現状分析、つまり現実把握の深度を高めて行くことができるかは、無論、知的能力を前提にしつつも、第一に事象との遭遇の状況、第二に本人の出自が少なからず関係すると思います。概して前者はインパクトに拘わること、後者は初動期のとるべき立場を決定づけることになるのではないでしょうか。もちろん、その後に思考パターンに捩れや変化が生じることは否定できませんし、それが当事者意識の形成にも大きな影響を与えることになるでしょう。やがてそれは当事者能力とのギャップを自覚させ、現実との間に一定の距離を置く、すなわち問題を等閑視することにも繋がってゆきます。まぁ、過去にもそして現世にも、それによって見えて来る世界もあるのだと嘯く輩がいないこともないのではありますが。
Auf Wiedersehen.