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小生の此処でのスタンスは一貫しておりまして、「我々は如何なる危機に直面しているのか?」ということをその時々の問題を解いていくプロセスを通して浮かび上がらせる、つまり危機の相貌を色んな角度から描いて見せることによって、出来ればその認識の共有をしたいーというところに在るんですがね。
他方、それは、別の角度から言えば、そうした認識の共有を妨げているのは何か?ということを明らかにすることでもあるだろう、と思うわけです。 そうして、今回については、左派とか市民派リベラルが比較的多いこの掲示板で、その理論的及び論理的なダメさ、或は政治的センスの無さが最も分かり易く現れるのが「小沢問題」であろう、と思ったわけです。 かって、「田中問題」がそうであったように、ね。
左翼left右翼right 漢字で言えば左右どちらも「助ける」という意味があります(補佐、右筆)。 では何を助けるか?と言えば、近代に現れ、その近代を基盤とすることでも<近代>と言えます。 つまり、左右共々、(一見)対立してはいても、<近代>を助けるという(共通の)目的に奉仕しているー<近代>=欧米支配と見る立場からは、それらは欧米支配の隠蔽=延命装置としか見做せないのです。 また英語でrightとは「正義」「権利」等ですが、語源に「実現されたもの」と意味があります。 つまり、正義であれ権利であれ、実現された物事を中心に置く思考や行動という事が出来る。 それに対してleftとは文字通り「残されたもの」。 従って、右が既に実現された物事へ関心が向かうのに対して、それでも尚且つ残された物事を志向するのが左ということになる。
そして、<近代>という”パンドラの箱”を開けて、「残されたもの」とは<希望>。
従って、左翼とは「希望の相において物事を見ている」者であり、主観的意図はどうであれ、その言動は、客観的には、欧米支配の隠蔽=延命の役目を果たしてるーということになる。
さて、どうでしょうか? 単に彼岸楼さんに限らず、左派的な意見の持ち主(一々名前は挙げませんが)が右派より知(識)的には上であるにも係らず、何故現実が見えてないのか?語の本来の意味から明らかーなどと僕には思えるのですが、、ね(笑)