★阿修羅♪ > 議論29 > 606.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: マッチ擦るつかの間海に霧ふかし- 投稿者 影の闇 日時 2009 年 11 月 18 日 22:00:00)
ここでのハンドルネームの松浦さんとはご縁があって幾度か意見を交換して確認していますから、間違いは無いと思いますが、政治家個人などではなく社会全体や文化のあり方を考えている方で、そのことが私と一番共感できるところです。
個人についての解釈はどのようにもできますが、社会や国民の現実はブレようがないからです。そして、それが人にとって重要だからです。
この掲示板に過去ログがあるということなので、検索して読ませて頂いたのですが、日本のことに関しては、小沢個人ではなく、国民のあり方が政治家個人の意図を超えて方向を決めてしまうというお考えのようです。そして、そのことを大変気に掛けておられます。ですから、これからの国民行動の趨勢を含めない単なる政治家論は意味がないということでしょう。
また、再掲の論述の意図についても、私の方でも質問して同意できていた内容を投稿しています。前記の簡単な補足は、それに基づいてますので、ご本人の意図と外れてはいないはずです。
そのことは、表題やリンク先の「駒に過ぎない」と再三繰り返して書かれておられることでも明らかだと思います。せっかく当時の議論もリンクされているのですから皆さんも確認されてはいかがでしょうか。(新参者が言うことでもないと思うのですが。)
その意味では、ここでの暗い人のように明瞭な未来像のない非生産的な理屈に拘泥している個人論は何の価値もない、ただの雑音に思えてくるのです。
日本には国家主義者はいないと強調しなければならないのは、苦しいですね。答えは、どの国にも国家主義者は必ずいるのです。不幸なことに必ず。それが無ければ一番良いのですが。そんな自明なことを否定しなければならないところに、この人の現実が現れています。
私は、この人自身が国家に囚われていると明瞭に言っているのです。強引な挙証不可能な全体論を行う時点で、粉飾したいのは他ならぬ自分だという心理が現れてしまっています。
ここでの投稿は、仁王像さんのご意見が私の関心事と一致していたことからですので、明瞭な未来像も描けない方との議論はこれで止めようと思います。何より人の倫理に訴えない内容に何の価値がありますか。それこそが、この人の特徴でしょう。それが暗く、光が無いのです。