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(回答先: 社会の究極の堕落形態=ファシズム 投稿者 ni-na 日時 2009 年 11 月 17 日 23:28:11)
>ファシズムは、社会の質についての概念で、政治の概念ではありません。
ファシズムの定義が混乱しております。
もし貴方が定義するように、社会が権力に同化=一体化することがファシズムならば、戦後日本もファシズムであった、と言えるはずです。 戦後の自民党一党支配とは政党=<代表>と官僚=<統治機構>の一体化=癒着であったのですから。 いやその暴力化だというなら、ファシズムの暴力化ということであり、ファシズムの堕落ということでしかない。
何故こんなことを言うかと言うと、イタリアやドイツに止まらず、政党=<代表>の政府や暴力機構(軍隊)への優位又は一体化というのは、ソ連や中国等、欧米の一部を除いた多くの国で見られ、しかもそれらの社会は、何れもそれ以前の大いなる権威の喪失と社会混乱という共通の状況が有り、そうした物事を強力に束ねていく運動が支持を集めるというのは、良い悪いは別にして、必然と思われるからです。 しかもそうした諸国が所謂「全体主義」的な戦時統制体制を引いたのは、米国の軍事的標的になったことと切り離せませんから、ファシズム=戦争とは、必ずしも、ならない。(「フランコ独裁」下のスペインを見られよ)
”日本型システム”、所謂「1940年体制」にしても、<総力戦体制>として成立したシステムが何故戦後も(戦時無き戦時体制として)続いたか?という問題だって、上記の、こういったことと深く関わっている、とみるべきでしょうから。
私が、逆に政治的に限定したいと思ったのは、こういった事をごちゃ混ぜにして、一体何を論じているのか?分からなくなってくるからです。
例えば「民度や社会の内実と本質は、権力との関係で測られる」というなら、”リバタリアン”が他の何処よりも強力なアメリカ社会こそ一番と思えるのに、他方「特に先進国の国民は、余りに資本や権力と同化して国益利権屋と化している」という。 −これもまたアメリカ社会の一面でしょう。 西欧においても然りです。 とすると、普通は民主主義社会と言われるものの一面を捉えてるに過ぎないではないか、としか言えないのです。
貴方の「ファシズムは、社会の質についての概念」という所からイメージする社会とその在り様はオルテガのいう「大衆(社会)」に限りなく近接してくるのですがね、、、
まぁ、貴方が「アメリカを先頭に、20世紀に出現した大衆社会は人類社会の究極の堕落形態であり、それは人の精神文化にとっても最低である」と言うのなら、だったらそれは認めます。 だって、それは私の認識でもありますからね。
ただ、それへの処方として、まさかオルテガみたいに『精神的貴族』を望んでいるのではないでしょうから、貴方の文で推測するしかないのですが、結局はー
<覚者>になれと言ってるようにしか聞こえない。
何だか、それを言ってはお仕舞いよ、というしかない(笑)
貴方は社会的な事柄と言ってるから、具体的にイメージすると、実践的にはオウム真理教みたいになっちゃうのですがね。
>日比谷の焼き討ちは、戦争の継続を求めた大衆行為
それは何故か?ということです。 国民皆兵とは、戦争の場合、国民の各界各層(大義名分に感応する層も在れば実利に靡く層も在る)を戦争へ巻き込むことであって、国際政治も状況も分からない(関心が無い)圧倒的多数の国民がモデル(前例)とするのは前の日清戦争でしょう。 日露戦争の前には日清戦争があるのです。 従って、戦時中に増税による耐乏生活を強いられてきた国民が、日清戦争のような勝利の実感(賠償金という名の耐乏への報酬)を得られないままに止めるとなると、溜まっていた不満が(戦いを止めた)自国政府に向かうのは、その限りでは、理解出来ないことではありません。 しかも、戦争は、単に、お金や人を徴発するだけではなく、好戦性を煽る、即ち人々の攻撃(破壊)本能というべきものをも挑発するわけです。 行き場を失った外への攻撃のベクトルが自らに向かうのは、例えば日本(政府)批判が、次の瞬間には、(弱腰の)自国政府に向かう隣国の事例を見ても、例外的な現象には思えません。
>したがって、ボルシェビキと異なる
?? これは05年革命前後の状況であって、17年革命のことではないでしょう。
>この人は、盛んに権力の正統性(レジティマシー)について語っていますが
これは、前もって言っておりますが、権力或いは国家の現在を測る為であって、それを正当化ことではありませんよ。 例えば、昨今の、国民に遍在する霞ヶ関批判や”公務員バッシング”というのは明らかに官僚(=合法的)支配への不信であり、その意味で支配の正統性に直結する問題ではありませんか。 かって、ロッキード事件の際、日経連の桜田武が言った「官僚と会社の労・使関係と警察、この3つがあれば日本は大丈夫」ーその内の二つがグラグラ揺らいでる、ということです。 今回の政権交代もその点こそが本質的問題だと思っております。
またアメリカのオバマ大統領についても、この正統性という点からしか、その深刻な問題は浮かび上がってきません。 ーしかし、こういった事は、彼岸楼さんって方に何れ言う積りで取って置いてありましたので、今回は割愛します。
>権力に正統性など本質的にありません。
もちろん、それ自体はそうですよ。
問題はね、貴方の挙げた米・仏・中共々、所謂「権力の尚古主義」というか、何故そのように装うのか?又「暴力を起源とする権力存在」或いは暴力機構というものに何故人は平伏すのか?ということ。 それらが世界通有ということなら尚更、騙されてるとか、逆に覚醒せよと言っても何の意味も無い。 貴方は「ヨーロッパも大いに危うい」とか「困ったもの」といっているけど、それが仮に普遍的な現象であれば、それにはそれなりの理由が在る、ということでしょう。 権力にとって、又その支配を承認する国民にとって!
ー逆に言えば、その理由を考察することこそ、その支配から距離を置き、又脱する為にも必要ではないですか。
>小沢や佐藤優に共通するのは、これらが国家主義者だと言う点です。
戦後の日本に国家主義者は存在しません。
そもそも『国家の罠』とか『国家の嘘』を書く人物が国家主義者でしょうか?
「国家は必要悪」とする佐藤優氏が国家主義者とは思いませんね。
ソ連崩壊の現場に立ち会って、国家の意味を改めて問い直した佐藤氏の言を、軽く考えようとは思いません。