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(回答先: 国家経営の「制度設計」が必要−雨宮処凛『”生きづらさ”…』を読んで 投稿者 仁王像 日時 2009 年 3 月 19 日 20:08:26)
『金融権力』本山美彦/岩波新書‘08年から抜粋
<「金融権力」とは>
・本来、「金融」という言葉には、「金(カネ)を融通する」といいう意味がある。そして「融通」とは、「溶かして通りをよくする」ということである。偏在しているカネを溶かして、カネに不足しているモノの生産者たちに、カネが流れていくような状態を作り出すことが金融である。その意味において、カネとは「カレンシー」(流れ)であり、「流動性」(水)である。つまり、カネは社会的に必要なものを作り出すために使用されるべきものであるという含意を読み取ることができる。
しかし、金融複合体(ウォール街・IMF・ワシントン・コンセンサス)は金融を、社会的に必要なものを作り出す「しもべ」ではなく、金儲けをするための最高の「切り札」に位置づけてしまった。その結果、自由化の名の下に、人々の金銭的欲望を解放してしまう金融システムが作り出されてしまった。カネがカネを生むシステムがそれである。そうした金融システムが、現在、「金融権力」として猛威を奮っている。
<直接金融の浸透が引き起こしたこと>
・アメリカからの執拗な構造改革の要請によって、日本の金融システムは根底から変えられた。過去の日本の金融行政は、銀行を顧客の業態ごとに細かく区分けしていた。…儲からないが、国民経済に厚みをもたせるためには、重要な基幹産業を育成すべく、日本では長期資金供給に特化した長期信用金融機関が配置されていた。
日本では、大手企業向けの都市銀行、中小企業向けの相互銀行、信用金庫、信用組合、そして個人の財産形成を後押しする信託銀行、農業振興のための農林中央金庫、農協、等々、業態に応じた各種金融機関が、金融当局の管理下で棲み分けをしていた。
こうしたシステムの下で、アメリカではとうの昔に廃れた重厚長大型の基幹産業が、日本では育っていた。ところが、そうした棲み分けが「護送船団方式」と批判されたのである。金融機関の自由競争と総合化がアメリカによって強く要請された。そして、儲けがない業界への融資に特化させられていた長期信用金融機関が真っ先に破綻した。…モノ作りに携わるよりも、投機に傾斜する金融機関に勤務する人が、もてはやされるようになった。
他方では、多くの従業員を抱えていた重厚長大型産業の衰えとともに、多くの雇用が失われた。それとともに、労働組合がほとんど機能しなくなってしまった。被雇用者は、正社員から非正社員に急速に切り換えられていった。「規制緩和」の名の下に、人材派遣会社が林立した。若者の多くが定職をもてなくなってしまった。
そうした事態を生み出した最大の要因は、間接金融から直接金融への切り替えである。かつての日本では、自己資金を充実させることよりも、大量の預金を集める銀行が一流と見なされていた。
<金融権力の威力−格付け会社と企業>
・「金融権力」は一種の「構造的権力」である。目に見える剥き出しの力を行使するものではない。しかし、ただ存在するだけでほとんどの組織がこの構造的権力の意向に沿おうとする。もし権力の意向に逆らえば、その組織は社会的に抹殺されてしまうからだ。
アメリカには、日本の天下りよりももっと壮大な権力機構を構成するシステムがある。金融界の大御所が財務長官になるのである。また、外国の企業がアメリカで上場する場合、会計監査業務のほぼすべてを握っている四大会計事務所に依頼せざるを得ない。重要な企業内情報はここでアメリカの会計事務所に筒抜けになる。そして、会計事務所の上級調査員が各種ファンドを設立する。会計事務所の幹部はアメリカ証券取引所(SEC)の幹部にもなる。格付け会社がこれに加わる。この格付け会社が企業の生殺与奪の力をもつ。
ウォール街の証券会社やアナリスト、そして、法律事務所と政治家。こうした組織が結びついて、金融権力を構成している。構成しているだけではない。彼らの人脈は深くて広い。社会のあらゆる分野と結びつき、世界の重要人物との関係を彼らはつねに密接に維持している。