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(回答先: 国家経営の「制度設計」が必要−雨宮処凛『”生きづらさ”…』を読んで 投稿者 仁王像 日時 2009 年 3 月 19 日 20:08:26)
『オバマ、危険な正体』ウェブスター・G・タープレイ/成甲書房‘08年から抜粋
<オバマ新大統領の危険度>
・オバマは、ブレジンスキー、ジョージ・ソロス、デイヴィッド・ロックフェラーの産物であり、彼らなしでは存在しえない金融資本の工作員であり、ウォール街の哀れな操り人形でしかない。
・当然のことだが、アメリカ経済が健全に機能するには、柔軟で存続可能な商業銀行が必要だ。商業銀行の必要性に疑いの余地はない。第二合衆国銀行を廃止した第七代大統領アンドリュー・ジャクソンはこの点で狂気の政策を実行したといえる。…商業銀行なしには工場も鉄道も動かなくなり、商店に品物が並ばなくなってしまう。
・デリバディブは株式や債券とは性質が異なるのだ。株式や債券は紙切れではあるが、生産、消費、雇用、賃金といった実際の生産活動とまさに紙一重の関係にある。ところがデリバディブは、これらとは根本的に異なる。
デリバディブは、紙にもとづいた紙の上の約束だ。もはや株式でも債券でもない。「金融派生商品」でしかないのだ。したがって、人類の生存と文明の存続に役立つ実態のある商品生産からは、少なくとも一歩離れている。
デリバディブは食べられない。デリバディブのなかで暮らすこともできない。コンピュータでも機械でも農機具でもない。いかなる定義がされようと、デリバディブは完全に、資本財・生産財の分野から外れているのだ。
世の中はデリバディブなどない頃のほうがはるかにうまく回っていた。これからもデリバディブなしのほうがうまくやっていけるだろう。
・ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーのような株価操作機関、これらの機関は商業銀行でもなく、近年自ら「投資銀行」と呼んでいる。社会にとって有害なこれらの機関を存続させるために、なぜ公的資金という名の血税を注入されなければいけないのか。これら「投資銀行」を存続させることが社会にとって何ら利益にならないし、むしろないほうが世の中にとって良いことがわかる。
〔臭うぞう〜〕
前稿のごとく日本をはじめ世界中の人民が悲惨な現代の奴隷制に追い込まれているのは、普通の市場経済に、@極端な「市場原理主義」を持ち込んだこと。A数々の金融派生商品を持ち込み金融賭博をビルトインしたこと、の二つが考えられる。
ここで言及したいのはAである。
AIGの幹部たちへのボーナス162億円という「富」はどこから生み出されたものであろうか(経営悪化以前からの慣習とみる)。実体経済が生み出したものを金融賭博を介してかっさらったとしか考えられない。途中の仕組みは筆者の良く知るところではない。複雑なブラックボックスの中を分かりたいとも思わない。入口と出口を押さえれば、こういうことになるのではないかということ。各種金融商品を右から左にまわすだけで、それ自体の土俵のなかから莫大な「富」を生み出すことはありえない。
ギセイにされているのは一般投資家や各種機関投資家だろう。日本では多くの大学もカモにされた。これらがまわりまわって、最下層で働く人々が生み出す「富」の収奪を加速させているのだと思う。日本で言えば、1/3の非正規労働者が生み出し、本来彼らが手にすべき収穫を、最終的には多くの部分を金融賭博が吸い上げ盗みとっていく仕掛けになっているのではないかと思考されるのである。