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よく、暴走族に入った経験のおかげで、グレた馬鹿が
立派な成人に成長したとかいう話をききます。私のいうのは、
しっかりとした厳しい組織で動いている暴走族の話です。
学校や親や一般のコミュニティーといった環境ですくすくと
成長できる人はいいですが、中には、そういう特殊な代用社会による
保護が特に成長期に必要である層の市民もいるんです。
カルトというのも、独力では古く貧しい特別な層から自分を開放できない
恵まれざる市民にとっては必要です。活動に関わり、集団の中での規律や行動規範に
を守ることで、一人でいるときより、ずっと社会人として成長ができる、
その可能性について全面否定することはできないはずです。
無論、いくら宗教的価値観だといっても、現実的な倫理から遠ざかって
しまうような集団が、殺人やテロを平気で行うことは許されないことです。
まあ、そういった暴走も組織としての厳しく強い規律がないから出てくるんですが。
具体的な例をあげますが、私には元創価、というか親が創価だったが
自分は違う道を選んだ、という知り合いがいます。それらの人間をまったく
カルト知らずで、つまり大手新聞やテレビの影響化に育った多数層である
中流サラリーマンの子弟と比べると、実に、個人主義を高くもっており、
気位や品性においても、よい影響を認めざるえないのです。
カルトというシェルターを通して社会参加をすることで、多数派のあいまいな
力学に支配されることなく、しっかりとした意見に満ちた個人像をつくりあげる、
これはいままであまり多くの指摘は生んでこなかったかもしれませんが、
重要な論点だと思います。一人の教祖に帰依する分だけ、社会から外れているだけ
ということはない。そこには、カルトが個人に与える、教育的な価値がまぎれもなく
存在しているということです。