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彼女の不品行のぶどう酒 (黙示録 14:8)
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投稿者 ピノキ 日時 2009 年 8 月 11 日 00:02:37: /cgEbzQ/iEx0c
 

(回答先: 地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得た (黙示録 18:3) 投稿者 ピノキ 日時 2009 年 8 月 10 日 23:42:23)

 


 ローマ・カトリック教会はローマの教皇によって統治されており、教皇は各々使徒ペテロの後継者であると言われている。以下の事柄は、それらいわゆる後継者に関する公表された事実の一部である。

  フォルモスス(891‐896年): 「死後9か月たって、フォルモススの遺体は教皇の埋葬室から掘り出され、ステファヌス[新教皇]が議長を務めた『死体』会議に出され、糾弾された。この死去した教皇は、教皇位に対する不当な野望を抱いたとして告発され、その行為はすべて無効と宣告された。……遺体からは教皇の法衣がはぎ取られ、右手の指は切除された」―「新カトリック百科事典」。

  ステファヌス6世(896‐897年): 「[フォルモススの遺体に対する裁判が行なわれて]二、三か月後、激しい反動が生じて、教皇ステファヌスの任期は終わった。同教皇は教皇としてのしるしをはく奪され、投獄され、そして絞殺された」―「新カトリック百科事典」。

  セルギウス3世(904‐911年): 「彼のすぐ前の二人の前任者は……刑務所で絞殺された。……同教皇はローマでテオフィラクトゥス一家の支持を受け、その娘の一人マロツィアによって息子(後の教皇ヨハネス11世)をもうけたと考えられている」―「新カトリック百科事典」。

  ステファヌス7世(928‐931年): 「ヨハネス10世……は教皇在位期間の終わりの何年かの間、ローマの女性貴族マロツィアの憤りを招いて投獄され、暗殺された。次いで、マロツィアは教皇位を教皇レオ6世に授けたが、同教皇は6か月半在位した後に死去した。ステファヌス7世は多分、マロツィアの影響力を利用して、レオ6世の跡を継いだ。……ステファヌス7世は教皇として2年間在位したものの、マロツィアの支配下にあって無力であった」―「新カトリック百科事典」。

  ヨハネス11世(931‐935年): 「ステファヌス7世が死去するや……テオフィラクトゥス家出身のマロツィアは、20代の初めごろの青年だった息子ヨハネスのために教皇位を得た。……教皇としてのヨハネスは、その母親に支配された」―「新カトリック百科事典」。

  ヨハネス12世(955‐964年): 「彼は多分18歳にもなっておらず、同時代の種々の報告は、彼が霊的な事柄に関心がなく、粗野な道楽にふけり、放とうの生活をほしいままにした点で一致している」―「教皇に関するオックスフォード辞典」。

  ベネディクトゥス9世(1032‐1044年; 1045年; 1047‐1048年): 「彼は教皇位を代父に売り渡し、またその後、教皇位の返還を二度要求したことで悪名を馳せた」―「新ブリタニカ百科事典」。

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