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(回答先: 竹中半兵衛は…人間社会の実利よりも人間としての生き方、美学のほうに重心が傾斜/小説「軍師竹中半兵衛」 投稿者 仁王像 日時 2020 年 5 月 24 日 09:09:34)
鼻ねじりという短棒をつかった武芸を会得していた幕府直参の侍が見せた生き様の美学
「武芸十八般」細谷正満充編から ≪鼻くじり庄兵衛/佐江衆一≫の要約
武芸十八般の武器はさまざまだが、江戸時代後期に廃れた者ものして”鼻ねじ”があった。鼻ねじりともいい、鼻捩りと書く。悍馬の暴れるのを制する(馬の鼻孔に挿す)短棒で、長さ一尺五、六寸、漆を塗ったものを普通とするが、二尺をこえるものもあった。材は樫などの固い木、直径一寸ぐらいの丸型または六角に削り、一端に小穴をあけて紐を通し、馬小屋などの入口などにかけておく。その限りでは馬具だが、腰におびて護身用ともした。しかし、鼻ねじなどという短棒術は、武技としては軽んじられて久しかったのである。
その鼻ねじを、大刀のかわりに常に腰におびている侍がいた。柴田庄兵衛という幕府直参である。彼は、オロシア軍艦ディアナ号の艦長らが国後島で捉えられ、松前に護送されて以来、牢番所詰めであった。風采のあがらぬ男で、30をとうに越しているがいまだに独り身で、陰では”鼻ねじ”の庄兵衛と呼ばれていた。蔑まれていた一方、庄兵衛は鼻ねじの短棒術の達人だとの噂はあった。しかし、未だだれもその技を見た者はなかった。
台所の下働きの女に、ちかというのがいた。彼女は折をみて、庄兵衛に「…なんと感じのよい朴柄な方と思っていた」と打ち明け、ねんごろになっていった。そのちかが、ディアナ号の艦長らがひそかに脱走の計画を立てていることを仲間の一人から聞き、それを庄兵衛に告げた。
やがて艦長一行が計画を実行に移し、牢屋から外に出るとそこに庄兵衛がいて、館長のサーベルを丁重に差し出し、慇懃に一礼して言った。「卒弥ながら、拙者がご案内つかまつる」と。庄兵衛を先頭に一行は出発した。6人と1人である。庄兵衛は鼻ねじの短棒を腰に挿しているだけで、大小をたばさんでいない。艦長ら一行の眼には、奇妙なサムライであった。
眼下に庄兵衛が手配した小舟が見えるところに来ると、庄兵衛は館長に「貴殿の異邦の剣で、拙者と立ち合っていただきたい。お願い申す」と。
館長は、気合もかけず、するすると間合いを詰めてきた。西欧の長剣術と、わが国の短棒術との仕合は、前代未聞といえる。館長は間合いをあけたまま、立ち止まった。すると庄兵衛は、この男にはめずらしく、さわやかな声をかけた。「艦長殿、遠慮は無用になされ。拙者は侍として、貴殿の剣に生命を落すも、いささかも悔いはござらぬ」
庄兵衛は武士として異邦の剣と立合に、己を賭けていたのである。
言葉は定かに通ぜずとも、その気魄が武人としての館長の肺腑に伝わった。やや身を沈めた館長は、サーベルを胸もとに引きつけつつ、すり足に一歩間合いをつめた。庄兵衛は両腕を垂らしたまま、一歩退った。カッと見開かれた艦長のとび色の瞳…庄兵衛の左の肩口めがけてサーベルが突き出された。わずかに心ノ臓を外した。庄兵衛の小躯が沈んだ。血飛沫が散り、突かれたと見えた。が、身を沈めて体をひらくや、くるっと半転して、右手の鼻ねじが艦長の剣を握る右手首に絡みついていた。サーベルは艦長の手を離れて、宙に舞い、朝陽にきらめきながら崖下へ落ちてゆく。
その後、館長一行は庄兵衛に促されて小舟に乗って逃れたが、追っ手に津軽海峡で捕えられた。…そして、庄兵衛とちかの行方は杳として知れなかった。
(仁王像)
この庄兵衛という人物(架空?)も竹中半兵衛と同質の死生観の持主であろう。庄兵衛は、女人ちかが惚れるように不断は淡々とした朴訥な人柄で、会得した自らの端倪すべからざる武技(短棒術)を誇らしげに人に見せて悦に入るタイプとは無縁である。
自らの美学に沿って生きて行けばそれで充分なのだろう(そのため、たとえ途中で命を落とすことがあっても)。
日本人は、こんな生き様の美学が好きなのだ。だからかこのような種類の小説が跡を絶たない。
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