>日本語は人造語 これは間違い
新しい語彙を朝鮮、中国、ヨーロッパから移入しているだけで、それ以外はホモサピエンスの最古の言葉に一番近いと言われている: 日本語は縄文由来 http://web.joumon.jp.net/blog/2017/03/3176.html
日本語は言語学的にも独立言語でありほぼ人類最古の方の言語に類する。 この日本語がほぼ一貫して変わることなく縄文ー弥生―現在へと引き継がれてきた。 母音を言語脳(左脳)で聞き分ける日本語は擬態語(ザーザー、しとしと等)が多い。そして日本語以外のほとんどの地域の言語が音声を左脳と右脳で使い分けるのに対して全ての音を左脳でとりいれる日本人は特徴的でもあり、それ故に自然の音を細かく聴き分けることができる。これが日本人特有の同化能力の基盤となり、自然に向けた同化能力を使って、現在でも人や社会に視座を向けることが可能な民族として存在している。 ★自然の音を左脳で取り入れる日本人、その特徴を明らかにしたのが角田教授である。 ⇒やっぱり、『日本語』はすごい言語のようです。 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=222237
★日本語研究は進んでいるが、結局今判っているのは日本語はどの系統にも属さない独立言語であるという事のようだ。
アルタイ語起源説やタミル語起源説、朝鮮古語起源説などがあるが、部分的に類似しているというだけで母音言語であり膠着語である日本語を定義つけるとしたら人類古語が起源であり、それを今も脈々と残しているのは日本と世界中の辺境の小部族だけという事になる。 学説で解明できないのは日本語がどこからの由来かという視点で見ているからなのだろう。 ⇒日本語の起源研究の状況 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=184840
⇒日本語の起源をアルタイ語とするのは誤りではないか? http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=242652 ★日本語がなぜすばらしい言語なのか 黒川伊保子氏の著書を読めばストレートに伝わってくる。
日本語はなぜ美しいのか (集英社新書) – 2007/1 黒川 伊保子 (著) https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%BB%92%E5%B7%9D-%E4%BC%8A%E4%BF%9D%E5%AD%90/dp/4087203743
黒川氏が語る日本語の特徴を要約すると以下のようになる。
@ 日本語を含めて「言語」には、共認機能や観念機能の構造との密接な関係があるはずで、これを追求することには、大きな可能性があると思われる。発音体感と対象(実態)の一致は、日本語に顕著であり、日本語こそが「始原の言語」、太古よりこの土地で育まれた言語であると述べられている。
A 母音語の使い手は、自然とも融和する。 母音を言語脳で聴き取り、身体感覚に結び付けている日本人は、母音と音響波形の似ている自然音もまた言語脳で聴き取っている。いわば自然は、私たちの脳に”語りかけて”くるのである。 B 何千年も続く、豊かな自然が、私たちに、融和する母音語をもたらした。 一方で、融和して共存する日本人の特性は、日本語という母音言語がもたらしているとも考えられる。なぜなら、DNA上日本人とまったく無関係でも、日本語を母語として育つと、母音を左脳で聞くようになることが確認されているからだ。環境は言語を作り、言語は人を作るのである。 C 子音言語に比べ圧倒的に長い歴史を持つのが母音言語で、その原型を現在まで引き継いでいるのが日本語と言えるかもしれない。自然に同化し、調和する日本語とはこれからの共認時代に相応しい、時を得た言語なのではないだろうか。 黒川氏の著書の記事を集約しています。参考に一読いただければと思います。 ⇒始原の言語・日本語の可能性〜むすび http://web.joumon.jp.net/blog/2012/09/001437.html 実はとてつもなく古かった日本語 2018 05.01 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more 日本語は、もしかすると世界最古の言語であり、しかも世界で最も美しい言語かもしれません。
かつて谷村新司がロンドン交響楽団をバックにレコーディングをしたことがあります。 そのとき日本語の素晴らしさを再認識し、日本語を大切に歌っていくことを信念にしたそうです。 ディズニー・アニメの『アナと雪の女王』は、世界的ヒットとなったアニメ映画ですが、そのなかの挿入歌の『レット・イット・ゴー、ありのままで』は、世界25ヶ国語に翻訳され、それぞれの国の歌手が歌ったものが youtube で公開されました。 このとき、世界中の人たちが驚き、そして圧倒的な人気をはくしたのが日本語バージョンです。 Let It Go - Behind The Mic Multi-Language Version (from Frozen) - YouTube 動画 https://www.youtube.com/watch?v=BS0T8Cd4UhA 松たか子ver(日本語吹替版)「Let It Go」 - YouTube 動画 https://www.youtube.com/watch?v=4DErKwi9HqM それは、歌った松たか子さんの声の素晴らしさももちろんあるでしょうが、日本語による発声が、メロディに+αの効果をもたらしたのかもしれません。
どこの国でも、それぞれにお国自慢があります。 ここで日本語が世界一だと述べるつもりは毛頭ありません。 ただ、ひとついえることは、どうやら日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということです。 ひとつは言霊(ことだま)です。 言葉に魂が宿る。 ではどうして言葉に魂が宿るのかというと、日本語が実はもともとそのように構造された言葉だからなのだそうです。 構造とは、日本語の文法や発音や語彙のことです。 つまり、自然との共生を大切に育くむこと、自然を征服したり、人と自然とどちらが上かのような上下構造をもとうとするものではない文化の下で、人と自然とが対等な関係を育んで来たのです。 2つ目はオノマトペ(仏:onomatopee)です。 オノマトペというのは擬声語を意味するフランス語です。 擬声語は、たとえば わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、 ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、 あるいは、 おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを言葉で表現するものなどのことです。 おもしろいことに、擬声語(オノマトペ)は、言語ごとに、表現がまったく異なります。 冒頭にあるのは、その違いを示した絵本の抜粋で、クリックしていただくと当該ページに飛びますが、たとえば食事をするときは、日本では「PAKU PAKU」ですが、英語では「CHOMP」、フランス語では「MIAM」、イタリア語では「GNAMグナム」、Korea語では「NYAM」です。 キスは日本語では「CHU」ですが、英語では「MWAH」、China語では「BOH」です。 つまり言語によって擬声語(オノマトペ)は、まったく異なります。 ということは、それぞれの言語圏においては、音がそのように聞こえているということです。 そして日本語の擬声語(オノマトペ)は、China語やKorea語ともまったく異なるものです。 ということは、日本語はChinaやKorea半島からの輸入語では絶対に「ない」ということです。 それだけではありません。 日本語は、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多いのです。 その数、なんと5千語です。 日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。 このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。 そして単語の中には、日常生活でよく使われるものと、そうでない(たとえば学術用語)ものがあります。 オノマトペは日常的によく使われる語です。 早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。 その「ぐっすり」というのがオノマトペです。 しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。 ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。 その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。 「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるかもしれません。 では、 風が「そよそよ」と吹く 太陽が「かんかん」に照る 白い雲が「ぽっかり」浮かぶ 星が「きらきら」光る などはどうでしょうか。 風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。 ではなぜこのようなオノマトペが使われているのでしょうか。 実は、自然がそのような音を立てているのではなくて、受け止める側が自然が発する音をそのように聞いているのです。 このことについて考古学者の小林達雄先生は、「人々が、人と人との間で行うコミュニケーションのための言語活動と同じか、あるいはそれに近いレベルで自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)と述べておいでです。 つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。 だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。なぜ美しいのかといえば、それは人がカエルや虫たちとコミュニケーションしているからです。 では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。 言語の発達には、ムラの形成が欠かせません。 なぜならムラを営むには、言語が必要だからです。 そしてそれは磨製石器の登場と時期を同じにするというのが世界の考古学会の定説です。 世界の磨製石器は、おおむね7千年前以降のものです。 中には2〜3万年前のものもあります。 シベリアの2万年前のもの ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの。 オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの。 など、ほんの数例です。 ところがこれらは、異常に早過ぎる磨製石器であって、作成経緯等はすべて不明です。 そして、その後に起こるおよそ7千年前の磨製石器の時代(新石器時代)と接続していないのです。 ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではなくて、昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。 そして1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が接続しているのです。 ちなみに長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。 つまり当時の日本人は航海術に長け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。 こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、 「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千〜三万年前に新石器時代を迎えていた。」 と述べています。 言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが証明されている国である、ということです。 そして磨製石器の登場と言語の登場、そしてムラを営むための神話の登場が重なるものであるならば、日本語は、およそ3万年前には生まれ、そこから現代に至るまで、ずっと続いている世界的にも稀有な言語である、ということになります。 そしてそれが可能になったのは、日本人が殺し合いや、自然への征服を好まず、人と人、人と自然が常に調和することを好む民族であったからです。 というより、調和を好むという日本人の性質は、最低でも3万年という途方もない長期間のなかで、最終的に生き残ってきた性質である、ということができます。 おもしろいもので身勝手な文化、自分さえ良ければという文化は、一時的な成功を手に入れることができても、必ず最後に崩壊し、再起不能になります。 ところが調和を大切にする文化は、一時的にどん底に落とされても、必ずまた再生し復活します。 植物には一年草と多年草があります。 最近は品種の改良によって、どちらも美しい花を咲かせますが、もともとは一年草の多くは、だいたい派手な花を咲かせるのに対し、多年草の花は、わりと地味な花が多いです。 地味だけれど、ずっと咲き続けます。 まるで日本人そのもののようです。 日本人は、はっきりとわかっているだけでもおよそ3万年、ずっと自然と調和し共生する道を選んできました。 だから日本語には擬声語(オノマトペ)が圧倒的に多いのです。 コメント 新宿の縄文人は、どんな言葉を話していたか?
東京の新宿のど真ん中、皇居の御堀端から2q程の地点から、縄文時代中期や後期(5千年前〜4千年前)の人骨が多数出土した事がありました。 江戸時代の遺跡を調査すると、その下から縄文時代や弥生時代の古い遺跡が続いて出土する事がありますが、その場合、江戸時代以降の大開発等によって、無残に破壊されていてる場合が多いそうです。 僅かな貝殻の堆積が確認されたとはいえ、分厚い貝層が存在しない内陸の地域から、多数の人骨がまとまって出土すること自体が非常に珍しく、当時現場は大変な興奮に包まれたそうです。 当時、保存状態の良かった、40代ぐらいの男性の顔が復元されました。 やや長めの顔に、上下に潰れた長方形の眼窩、彫りの深い目元の頭蓋骨は、ヨーロッパ人の様な風貌、あるいは、若い頃の宇梶剛士さんに似たイケメン風に仕上がりました。 彼のミトコンドリアDNAのハプロタイプは北方系と言われるA、一方彼の近くに葬られていた別の人骨は、南方系と目されるM7aだったそうです。 様々な地域をルーツに持つ縄文人たちが、新宿の地で仲良く暮らしていたのですから興味深いです。 日本語が「どのように成立したか分からない」と言われる所以は、様々なルーツを持つ人々の言葉が、極めて長い時間をかけて、ゴチャゴチャに混じり合った結果ではないかと思います。 2018/05/14(月) 11:38 | URL | 疑問 #iydQorAY[ 編集] 外国人に日本語で話しかける時にこの擬声語は使わない方が良いそうです。 擬声語に相当する外国語がないので、彼らにはさっぱり分からないようです。 また、行けなくも無いなどの二重否定もダメ。 日本人なら、何とかすれば行けると理解できますが、外国人は 理解できないようです。 外国人にとって日本語は本当に難解のようですが、 この言語を意識せず使いこなしている 我々は本当、凄いのかもしれませんね。 2018/05/14(月) 13:40 | URL | 名無し #mQop/nM. 新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘
新宿に生きた縄文人〜市谷加賀町二丁目遺跡の発掘 http://www.city.shinjuku.lg.jp/video/video_jm01.html https://www.youtube.com/watch?time_continue=607&v=P7VUMR0Mvzo これですね。 2018/05/14(月) 14:31 | URL | KI 加賀町二丁目遺跡の関連本が出版されています。>KIさん
KIさんへ 動画等のご紹介ありがとうございます。 加賀町二丁目遺跡に関しては、講談社から関連書籍も出版されています。 『おどろきの東京縄文人』(瀧井宏臣著) https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%A9%E3%82%8D%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA-%E4%B8%96%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%89-%E7%80%A7%E4%BA%95-%E5%AE%8F%E8%87%A3/dp/4062870029 という本です。 この本は、考古学少年から考古学おじさん・おばさんまで、幅広い層の人々が興味深く読める内容になっていると思います。 映像で見るのと、写真で見るのとでは、復元された縄文人の顔の印象は少々異なりますね。 映像の方はバックが暗めで、陰影が強調されていますが、写真の方は細部まで鮮明に写っていますので、少し印象が違ったのかも知れません。 写真で見ると、かなり欧米風味の顔に見えます。 個人的に注目されたのは、12号人骨(復元された縄文人)が腰にぶら下げていた、イルカの下顎の骨のアクセサリーです。 縄文人は、イルカやクジラやサメやエイ等も捕獲していたことが分かっていますが、丸木舟しかない時代ですから、漁の腕前は、現代人と比較しても大したものだったと思います。 2018/05/15(火) 09:54 | URL | 疑問 #iydQorAY http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more 日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない
今朝の朝日新聞にまさしく日本学の研究者・マニアには衝撃的なニュースが小さく掲載されました。恐らく2012年の日本学最大のニュースの1つになるでしょう。
=================================== The origin and evolution of word order Murray Gell-Manna, Santa Fe Institute and Merritt Ruhlenb, Department of Anthropology, Stanford University Contributed by Murray Gell-Mann, August 26, 2011 Abstract Recent work in comparative linguistics suggests that all, or almost all, attested human languages may derive from a single earlier language. If that is so, then this language—like nearly all extant languages—most likely had a basic ordering of the subject (S), verb (V), and object (O) in a declarative sentence of the type “the man (S) killed (V) the bear (O).” When one compares the distribution of the existing structural types with the putative phylogenetic tree of human languages, four conclusions may be drawn. (i) The word order in the ancestral language was SOV. (ii) Except for cases of diffusion, the direction of syntactic change, when it occurs, has been for the most part SOV > SVO and, beyond that, SVO > VSO/VOS with a subsequent reversion to SVO occurring occasionally. Reversion to SOV occurs only through diffusion. (iii) Diffusion, although important, is not the dominant process in the evolution of word order. (iv) The two extremely rare word orders (OVS and OSV) derive directly from SOV. Conclusion: The distribution of word order types in the world’s languages, interpreted in terms of the putative phylogenetic tree of human languages, strongly supports the hypothesis that the original word order in the ancestral language was SOV. Furthermore, in the vast majority of known cases (excluding diffusion), the direction of change has been almost uniformly SOV > SVO and, beyond that, primarily SVO > VSO/VOS. There is also evidence that the two extremely rare word orders, OVS and OSV, derive directly from SOV. These conclusions cast doubt on the hypothesis of Bickerton that human language originally organized itself in terms of SVO word order. According to Bickerton, “languages that did fail to adopt SVO must surely have died out when the strict-order languages achieved embedding and complex structure” (50). Arguments based on creole languages may be answered by pointing out that they are usually derived from SVO languages. If there ever was a competition between SVO and SOV for world supremacy, our data leave no doubt that it was the SOV group that won. However, we hasten to add that we know of no evidence that SOV, SVO, or any other word order confers any selective advantage in evolution. In any case, the supposedly “universal” character of SVO word order (51) is not supported by the data. =================================== 語順のルーツはSOVだと言うことがアメリカ科学アカデミー紀要(業界用語でPNAS=プロナス、当方の学生時代はProNASと呼んでいました)に発表されました。つまり日本語やチベット語などY-DNA「D」遺伝子集団の文法である語順、S(主語)・O(目的語)・V(述語)が欧米語等のSVOより古いことがわかり、しかもホモサピエンスの祖語だろう、との驚異的な言語学上の発見です。
これは遺伝子の調査結果と完璧に合致します。我々古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D」は古代の出アフリカした当時のホモサピエンスの形態を留めていると言うのが欧米の研究者の結論です。特に「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族、Jarawa族は出アフリカ当時の形態をそのまま残していると信じられています。ならば当然言葉も出アフリカ当時のままのはずです。言葉は生き物でその時代のリーダーの決断で言葉は採用されるため、ドンドン変わります。そして征服者の人口が多く、経済力もあれば非征服者の言語はあっという間に征服者の言語に変わってしまいます。 ところがOnge族や、Jarawa族は外来者を殲滅するという古代習慣を強く持っていたため、遺伝子を保ってきたわけですが、当然言葉も保ってきたはずです。と言うことが今回の発表で間接的に証明されたことになります。 日本語は長い間孤立語として扱われてきましたが、とんでもない、縄文語から熟成したY-DNA「D2」日本語こそがY-DNA「D1」チベット語と並んで、出アフリカした当時のホモサピエンスの言葉(文法)を維持し続けてきた由緒正しい言葉だと言うことが正にアメリカの研究者によって証明されたのです。 マレー・ゲルマン博士のチームの仕事ですが、なんとマレー・ゲルマン氏は言語学者ではなく、1969年「素粒子の分類と相互作用に関する発見と研究」でノーベル物理学賞を受賞した物理学者でクォークの提唱者の一人です。恐らく筋金入りの言語学者ではないことが柔軟な発想を生んだのでしょう。西欧優越主義の言語学者なら絶対に欧米語のSVOを祖語として主張すると思われるからです。何はともあれ縄文文化・時代を矮小化したい「O3」御用学者に取っては目障りな発表となりました。 このことは当然ながら日本人の行動様式こそがホモサピエンスとして本来持っている行動様式であり、ガラパゴス的民族性こそがホモサピエンスの本来の行動様式である事が間接的に証明されたことにもなるはずです。 そーなんです。やはり日本がガラパゴス化を捨てるのではなく、世界をJaponization(日本化)することこそが人類にとって正しいことなのです。日本人よ自信を持って世界に向かって発言しよう!スティーヴ・ジョブズごとき「R1b」御用商人の日本人に対する悪口・たわごと等クソくらえだ。そしてJaponizationで世界を導こう! このニュースの重大さは、何故日本列島人はY-DNA「D2」縄文人の文法を守り続けてきたのか?という点です。「D2」縄文人が圧倒的な文化を確立し、技術者集団だった「C1」、「C3a」縄文人が土器つくりなどで「D2」の精神風土を支え、後からボートピープルとして断続的に韓半島から水田稲作農耕技術を携えて流れてきた呉系長江人「O2b」の子孫も圧倒的な多数派の「D2」と敵対せず、その精神風土を受け入れたため言語の文法も縄文文法を受け入れたのでしょう。 「O」は「R」などと同じ新興遺伝子集団です。既にSVO文法だったはずです。我々日本人は語順が変わってもそれほど奇異に感じず意味が通じるような適当にあいまいな言葉になっているのはこの「O」の人口と、文化がしっかりと根付いているためです。基本は縄文語ですが、呉系の長江語も漢語の語順でもその中間でも日本人は融通を利かせて理解してしまうように共存してきたからなのです。そして或る動作を強調したい時、我々は平気でSVOになるのです。なぜならSVOの方がキツく聞こえるからです。SOVの方が聞こえ方がやさしいのです。これが縄文の精神風土なのです。 そして更に後から侵略者として韓半島から暫時流れてきた大和朝廷族や武士団族などのSVO文法の「O3」集団も朝廷内や官僚エスタブリッシュメント階級の中ではSVO漢語を話していたにも関わらず、全国をまとめるために縄文語文法を受け入れることにしたのだと思われます。そして縄文語に翻訳するために開発したのが「かな」、「カナ」なのでしょう。もしこれがなければ、縄文人は漢語を全く理解せず、日本の統一は相当遅れ、日本列島は文化レベルが立ち遅れ西欧列強の植民地化していた可能性が大です。当時の大和朝廷の上層部の誰かが縄文語を認め、縄文人に指示命令するために「かな」「カナ」の開発を命じたのでしょう。この人物こそ本当は歴史に名を残すべきなのでしょうが......。 またこのニュースは、最近の研究で、人類の祖先は50000年前頃に突然洗練された道具を使ったり、絵画などの芸術活動を始めた、とも書いていますが、これは当たり前のことです。中東でネアンデルタール人と遭遇し交配し、彼らの文化を遺伝子とともに受け継いだけに過ぎません。もしかするとSVO文法はネアンデルタール人の文法だった可能性が実は大です。 ホモサピエンスは本来SOV文法 ホモネアンデルターレンシスはSVO文法だったのしょう。 なかなかおもしろくなってきましたね。当ガラパゴス史観が歴史の真実に迫っていることが、少しづつ実証されつつあります。やはりデータマイニング手法はマーケティングだけでなく、古代日本学にも有効なようです。 http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2.htm 日本語の祖先はこれまで書いたようにY-DNA「D2」の話していた縄文語です。現在世界でY-DNA「D」語を祖先にしているのは、わかっている範囲ではチベット語と「D*」100%のアンダマン諸島のJarawa族とOnge族だけです。Y-DNA「D」72%の雲南のPumi族は未調査です。つまりY-DNA「D」語は孤立言語です。
遺伝子調査で初めて理解できたことです。しかもY-DNA「D」は人類が出アフリカを果たした際の形質を最も残していると欧米の研究者は述べています。ということは縄文語が最も古いホモサピエンスの言葉を残している可能性もあるのです。Jarawa族やOnge族、Pumi族の語彙を徹底的に追いかければ解明できそうですが、日本の御用学者ではない欧米の気鋭の言語学者が研究してくれるとありがたいですね! 現代アイヌも日本列島人と同じY-DNA「D2」85%の「D」民族ですが、残念なことにオホーツク文化時代に侵略者だった古代ニヴフ族に征服され、熊祭りなどすっかり古代ニヴフ文化(古住シベリア民文化)に変貌してしまっています。言語も恐らく古代ニヴフ語に変わっているでしょう。 丹念に追えば語彙には「D」語の痕跡が残っているかもしれません。日本列島のように「D2」が圧倒的な人口多数派だったなら「D」語が残ったかもしれませんが、人口そのものが少なかった北海道では文化も言語も語彙も古代ニヴフ語に変わってしまっている可能性が大です。 _____
アイヌと縄文: もうひとつの日本の歴史 (ちくま新書) – 2016/2/8 瀬川 拓郎 (著) http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%A8%E7%B8%84%E6%96%87-%E3%82%82%E3%81%86%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%80%AC%E5%B7%9D-%E6%8B%93%E9%83%8E/dp/4480068732
日本人がなぜ本源的なのか⇒3万5千年に渡る古代人の歴史が土台になっている
日本人や日本文化が世界で最近、注目されている。 理由や現象は敢えて並べないが、一言で表せば思考方法や行動、言語等が人類の本源的、源流的であるという点。裏返せば独自的、孤立的、世界中に広がった他の地域、人類との類似が少ないという点ではないだろうか。 最近の研究で言語学的にも遺伝子的にもそれは証明されてきており、人種の孤島として縄文人、アイヌ人の事を書いた著書の一説を紹介したい。 「アイヌと縄文」〜瀬川拓郎著
>「人種の孤島」としての縄文とアイヌ 本土人、琉球人、アイヌの遺伝的多様性の分布を見ると、それらは他の東アジア人や、ヨーロッパ人と混血した中央アジアの人々(ウイグル人、ヤクート人)のまとまりとは反対の方向に分布しています。 現代の本土人、琉球人、アイヌは直線状にならび、この順でアジアの人々から離れていきます。直線の延長上にはかれらの共通祖先である縄文人が想定できます。つまり本土人、琉球人、アイヌのDNAを特異な方向に「引っ張って」いるのは縄文人であり、そのことは縄文人が現代のどの人類集団とも大きく異なる特徴を持っていたことを物語っているのです。 縄文人は、上下の歯が爪切りの刃のように嚙み合い、彫が深く、鼻が高いといった形質的な特徴をもっていました。これはアイヌにも共通します。 そのアイヌは形質人類学では長くコーカソイド(ヨーロッパ人)に分類されてきましたが、1960年代に総合調査が行われ、歯冠の形などから本土と同じモンゴロイド(アジア人)であると結論付けらました。 ただし、先のアイヌの特徴は一般的なモンゴロイドとは異なるものです。一般的なモンゴロイドとは異なるものです。そのため、形質人類学者はこれに頭を悩ませ、現代モンゴロイド成立以前のモンゴロイド、すなわち原モンゴロイドという仮想的な集団を設定し、アイヌをこれに帰属させたのです。 つまり、私たちが常識のようにみなしているアイヌ=モンゴロイド説は学界で完全に受け入れられているわけではありません。形質人類学者の百々幸雄はアイヌがどの人類集団とも異なる、現生人類という大海に浮かぶ「人類の孤島」であるとし、アイヌと縄文人は「出アフリカ」をはたした現世人類が、ヨーロッパ人とアジア人に分化する以前の状態を保っているのではないかと述べています。(百々2007年) このこととかかわって興味深いのは、同学者の山口敏が旧人のネアンデルタール人のあとに出現した、化石現生人類のクロマニョン人と縄文人の類似性を指摘し、縄文人の形態的特徴は、現生人類のなかの古層に属すると見なされている事です。 日本列島の縄文人は北海道から沖縄まで形質的な共通性をみせています。かれらは地域性がはっきり認められず、均質な形態をもつ人々でした。つまり縄文時代の日本列島には、アイヌにうかがわれるような「モンゴロイド離れ」した人々が暮らしていたのです。 1万年以上続いた縄文時代には、日本列島をとりまく朝鮮半島、中国、台湾、サハリンとの交流はほとんどありませんでした。そのため縄文人のヒトとしての特異性はかなり純粋に保たれてきました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー 同様に言語学でも日本語、アイヌ語は世界中の言語から孤立している。 >日本列島を含むユーラシア大陸では2500以上の言語が話されています。ただし、同系関係を辿っていくと、これらのほとんどはアルタイ系言語、シナ・チベット系言語、インド・ヨーロッパ系言語のようなわずか10あまりの大きな「語族」にまとめられます。
その中で同系関係がたどれず系統的に孤立していた言語はわずかに9つにすぎません。さらにその約半数が日本列島の周辺に集中している。日本語、アイヌ語、朝鮮語、サハリン先住民のニブフ語です。 これ以外はピレネー山中のバスク語、西シベリアのケット語、インド中部のニハーリー語、東ヒマラヤのクスンダ語でいずれも人里から離れた辺境地帯の言語である点が共通しています。 言語学者の松本克己はこのうち日本列島周辺に集中する日本語、アイヌ語、朝鮮語はかなり旧い時代につながっていたと述べています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー引用ーーーー これら、ホモサピエンスの最初の系統の人類が日本列島で3万8千年前の旧石器時代からその後の縄文時代1万6千年に渡って純粋培養されていた事を示している。渡来人文化を受け入れ縄文人から日本人に変化したその後の歴史はわずか2500年間であり、その10倍以上の時間が日本人の歴史に刻み込まれている。 言語はその民族の思考方法を限定する。日本語の独自性、孤立性が未だ保たれている事を根拠に、私たち日本人の中に古代人から直結する本源性が世界中の人種の中で最も色濃く残っているのではないかと仮説しておきたい。 それが注目されている最も大きな潜在的理由の一つではないだろうか。 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=312916
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