http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/700.html
Tweet |
(回答先: 武士道とは、よけいな理論や理屈を斬り捨てて、真っ直ぐに大義とか純粋な思いのままに行動する〜禅の思想から来た/石平(せき・ 投稿者 仁王像 日時 2014 年 7 月 10 日 20:13:55)
≪文天祥の「正気の歌」を貫く「天命の思想」≫
石平 文天祥(南宋末の宰相、忠臣)の「正気(せいき)の歌」※を貫いているのはやはり、「天命」の思想です。中国の歴史のなかで王朝が変わったとしても、いつの時代も常に、天下を担う知識人が天命という思想の伝統を受け継いだ。それが文天祥でいえば、「正気」であり、王陽明でいえば「良知」です。おそらく朱熹でいえば「天理(本来的に人に備わる道徳性)」ということになります。だから「朱子学」は「理学」ともいわれています。
※)「天地には正気があり、いよいよという時になれば忠誠が顕れ、和やかに明るい朝廷が回復する」という趣旨の漢詩。当時の日本にも多大な影響を与えたとされる。
≪中国の知識人にとって大事なのは、自分の名前を歴史に遺すこと≫
石平 中国の知識人は「天命」を重視します。そして「天命を担う」とは、永遠に歴史の中に自分を遺すということであります。中国の知識人は、一神教徒ではない。天国や極楽に行くことなど考えていません。いちばんの望みは、自分が「天命」を担う人間の一人として、永遠に歴史の中に名前が遺ることなのです。
≪明の時代に、中国の知識人や官僚の権威が衰退した≫
(略)
≪ほんものの知識人は「士大夫」でなければならない≫
石平 「士大夫(したいふ)」、私は、この言葉を聞いてすごく嬉しい。ほんものの知識人とは、大学教授でもなければ、単なる専門家でもない。まさに士大夫でなければならないと私も考えています。この言葉に含まれる意味は実に深いものがあります。天下国家を何よりも大事に考える。真実を絶対に語る。命を捨ててもよい。しかも幅広い教養知識がなければいけません。
【出典】同前
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。