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(回答先: 『道々の輩(ともがら)』といわれる自由な民びとを愛した慶一郎はん 投稿者 藪素人 日時 2011 年 1 月 23 日 13:04:47)
「歌う舟人 父隆慶一郎のこと」羽生真名/講談社‘91年がら
<エピローグ>
・今から十年以上前、歴史は文書中心に解明されてきた。文書といっても、土地を持つ人間か治める側の人間によって書かれた文書であった。
では文字を知らず、文書を残さなかった膨大な数の人々の歴史はなかったのか。土地を持たず流浪していた職人、芸能人など非農耕民、非定着民の視点から見た歴史があってもいいのではないかーそういう歴史の見方が中世に関して、網野善彦氏等を中心に強く起こり、その業績が次々と出版され始めた。
父の小説はほとんどがこのような非農耕民、非定着民の視点から書かれている。そしてこの漂泊者の視点かで史料を読み直す時、今まとは別の、時には全く逆の解釈、評価をした方が筋が通ると思われる史料も多い。あるいは為政者側に都合が悪いので改ざんされたのではないかと疑われる部分も出てくる。このように様々な史料の中に散在する為政者の論理の矛盾点を集めてみると、別の現実、別の光景が浮かび上がってくる。そういう不確定要素をクローズアップし、小説的要素を交えて書かれたが父の小説だった。
<プロローグ>
・雲のような人だった。ふわふわと空に浮かび、お天気と風向きの他には特に影響されるものもないように見える雲。風が吹けば流れて行き、その時々に色や形を変えておもしろがる。入道雲のような存在が隆慶一郎という人だった。
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