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(回答先: 『葉隠れ』精神の一つの魅力的解釈は、隆慶一郎『死ぬことと見つけたり』でないかえ 投稿者 藪素人 日時 2011 年 1 月 22 日 17:31:45)
小林秀雄にしごかれたっていう隆慶一郎が小説を書き出したのは60歳を過ぎてからだど。急逝するまで「道々の者」を題材にしたものが多い。「道々の輩」に関する学者の研究に着目し、面白がった。作者は、自由な民びとの行き方(生き方)に深く共感を覚えたこど窺えるな。
切れ味は風太郎並、史実もよく踏まえて独自の解釈も。加えて日本人の心情に訴える深い情感がある。こんな作品を産んだ原理・背景ってえもんに思いを馳せるんでんす。
平凡じゃが、時代小説の伝統(文化)と2000年にわたる日本人の集合的無意識につながる文化の創造(延長)じゃと思うな。単なる暇つぶしの娯楽本の域を越えておるな。
鬼才じゃな、遅れてきた天才かもなー。
「時代小説の愉しみ」隆慶一郎/講談社文庫‘94年から
<叡山焼亡>
『渡り』とは、水の世界に生きる海人・舟人など漁業・流通のにない手たち、山中深く、いわゆる『渺々(びょうびょう)の奥山』に資材を求めて漂泊する木地師、金掘り・鍛冶などの技術者集団をいう。網野善彦氏らのいわゆる『道々の者』、『道々の輩(ともがら)』のほとんどが、その中に包摂されるものと思われる。本来土地をもたず、漂泊を生き方とする人々である。その大半が中世期に天皇家の供御人、あるいは神社の神人(じにん)の肩書を(真偽のほどは別として)持ち、『関渡津泊』の自由な通行を許され、『諸国往反勝手』の権利を有していた人々である。彼等に共通した思想は(天皇を除いて)『上ナシ』の理念である。自分たちの上に何人の存在も認めない、支配者を認めない、自分は自分の才覚一つで生きていく、そのために餓死することになろうと自分の勝手である。金輪際上からの支配によっては生きぬ。それが『上ナシ』の理念である。理念というより心情といった方が正しいかもしれない。つまりは根っからの自由人である。
中世が下がって近世に入ると、この人たちの定着化が目立ってくる。…とにかく彼等は各所に、様々な形で定着をはじめた。
それは例えば堺の町のような『公界(くかい)』だった。『公界』では人々は誰にも縛られることもなく、誰に税金をとられることもなく、自由に商いをし、自由に生きることが出来た。その町は『不入ノ地』と呼ばれた。権力の不入の土地という意味である。
そして近世になって急速にその数を増してきた、もう一つの『不入ノ地』がある。それが『寺内』だった。
『寺内』では、(お寺・坊主ばかりでなく)、その住人は農民たると非農民たるを問わず、(寺内には田畑もあった)諸役免除の特権を得ている。
一向一揆とは、この『寺内』を守るための戦いだった。つまり『不入ノ地』の自由を守るための戦いだったのである。戦士は『渡り』も農民も含んでいた。
・隆慶一郎 wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%86%E6%85%B6%E4%B8%80%E9%83%8E
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- Re:羽生真名『父の小説はほとんどが非農耕民、非定着民の視点から書かれている。この漂泊者の視点かで史料を読み直す時…』 藪素人 2011/2/09 19:55:22
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