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(回答先: <性欲論>日本民族は性を大切にしていた。たとえば、『源氏物語』なんかセックスばっかりじゃない/吉村正 投稿者 仁王像 日時 2010 年 9 月 10 日 19:51:03)
「謹訳源氏物語 月報2」祥伝社H22.4月から
<行間を読むということ>林望
・往古の日本人にとって、「肉体の介在しない恋」などは存在しなかった。恋とは、男が女の閨(ねや)に通って来て、夜を共にし、まだ夜明け前の闇のなかを戻っていくという営為のなかに存在したのである。つまり閨のあれこれなどは書くにも及ばぬこと、それは食事とか排泄とか、そういうことが露骨には書いていないのと同様に、いわば書かずともよい自明の前提なのであった。
『松風』の巻に、明石の君を大井の邸に訪ねた源氏が、一夜を過ごしたその翌日に、「またの日は京へ帰らせたまふべければ、すこし大殿籠り過ぐして、やがてこれより出でたまふべきを…」とあって、その少し先にはまた「なかなかもの思ひ乱れて臥したれば、とみにしも動かれず」とも書かれている。
ここで源氏は「大殿籠り過ぐし」たとある。朝寝坊をしたのである。言い換えるといつまでも女の閨から出なかったということだ。しかもまた、「とみにしも動かれず」とくる。これは明石の君のほうが起きられないのだ。
すなわち、こう書くだけで、いかに前夜二人の睦言が濃密であったかが、当時の人たちには自明のこととして了解されたのである。
『夕顔』にも、六条の御息所の許に一夜を過ごした源氏が、「ねぶたげなるけしきに、うち嘆きつつ出でたまふを」というところがある。まだここで一緒に寝ていたい、帰るのが辛い、とそういう未練を残し残し帰っていくのが「良い男」なのである。すると、御息所は「御頭もたげて見いだしためへり」とある。
これも前夜の閨の睦言の名残りで、御息所が起きられないのである。『源氏物語』では、こいうふう風に、露骨には書かないけれど、…みんなが、さぞ濃厚な一夜を過ごされただろうと、当然に想像したのである。
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