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【神州の泉−高橋博彦】
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/08/tube-69a9.html
2009年8月21日 (金)
「国見の歌とTUBEの海の歌」記事からの抜粋です。
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(特にTUBEの好きな若い人に読んでもらいたい)
・・・・・・・前略・・・・・・・
数年前から管理人はTUBEに強く魅入られていた。特に夏の時期には強烈にTUBEの歌が聴きたくなる。今年もその時期が来たので、夏の歌をたくさん聴いている。管理人の同年代の知り合いにTUBEは好きかと尋ねるが、誰ひとり首をたてに振る者はいない。とすると、管理人は変なのだろうか。だが、57歳でTUBEを聴いちゃいけないという掟(おきて)はない。音楽は自由。(笑)
・・・・・・・略・・・・・・・
今の時期にハイテンションの「Beach Time」などを聴くと、いきなり海に行きたくなって、胸がうずうずして仕方がない。こういう気持ちは年齢(とし)とは関係ない。(笑)
♪ Beach Time 青い夏のせいさ
きっと誰も人恋しいよ
Beach Time 火傷しそうなほどに
せつなく俺を抱きしめてくれ ♪
それにしても若い人たちはどうして真夏の海が好きなのだろうか?
・・・・・・・略・・・・・・・
TUBEやサザン、あるいは永ちゃん、他の多くのアーティストたちが夏の海を歌っているが、それはLOVE SONGとして当然だ。夏の歌を聴く者は、歌詞やメロディに夏の海浜風景をくっきりとイメージする。おそらく誰が聴いても、夏の歌には万人に共通のイメージが存在する。共通の風景と言ってもいい。それこそが、海浜国家日本に古代からあった海辺の風景だと思う。
そんなことは当たり前じゃないかと思うかもしれないが、これは日本人にとって重要な共通イメージのような気がする。つまり、若者の胸に強くイメージされる夏の海浜風景は、古来から続いている民族の集団無意識の一つではないだろうか。
管理人は27歳の時、サウジアラビアの内陸部で石油プラントの建設工事に携わった。サウジに入る前にアラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビに逗留した。
・・・・・・・略・・・・・・・
7月の最高気温が54℃もあり、環境的にはきつい仕事だったが、管理人はサウジの強烈な陽光や抜けるような青空が好きだった。日本ではけっして見ることのできない明るさだったからだ。サウジの瓦礫の大沙漠は、不思議なことに夏の海辺の砂浜を連想させた。
・・・・・・・略・・・・・・・
サウジの抜けるような青空と、果てしない地平線は、管理人に海を連想させた。東北の山深い田舎で育った管理人は、海に憧れていた。多分、管理人の内面に凝縮していた海への思いを、サウジの風景が引き出してしまったのかもしれない。
TUBEの夏の歌には、管理人が憧れていた海辺の雰囲気が凝縮されている。
話がいきなり飛躍するかもしれないが、万葉集には「国見(くにみ)の歌」というものがある。
海の歌大和には 郡山あれど とりよろふ…
天皇の、香具山に登りて望国(くにみ)したまひし時の御製歌
大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は ?(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
巻一(二)
( 大和には多くの山があるけれど とりわけ立派な天の香具山 その頂に登って大和の国を見渡せば 土地からはご飯を炊く煙がたくさん立っているよ 池には水鳥たちがたくさん飛び交っているよ ほんとうに美しい国だ この蜻蛉島大和の国は )
これは万葉集巻一の二番目に収録されている。舒明(じょめい)天皇の国見の歌である。そのまま読めば、舒明天皇が香具山に登って、眼下の風景を褒め称えた歌である。この歌には海辺と、広くて青い空を視覚的に感じさせる風景が開けている。実に絵画的で奥行きの深い歌だ。
絵画的光景、美しい風景を連想させるいい歌だなあと思ってしまえば、それまでであるが、この歌には日本人の集団無意識が投影されているような気がしてならない。天皇は大和の国の美しさを賞賛しただけではないと思う。この歌を言霊として放つことによって、日本人すべての心の心象風景を寿(ことほ)いだのである。これは日本の自然の美しさに対する尽きない祈りの原型である。管理人はサウジから帰国して、この歌に触れたとき、日本を深く感じた。心から日本に生まれて良かったと思った。
日本には昔から“白砂青松(はくしゃせいしょう)”や“山紫水明(さんしすいめい)”という美しい言葉がある。海岸の白い砂と青々とした松林、山々は紫色に染まり、水は清澄であるという形容なのだ。これは日本の風景の美しさを端的に表わしたものだ。
エコ的に言うなら、山紫水明と白砂青松は不可分の関係を持っているのだ。川の上流の行き着くところは、奥山である。美しい海浜とは、きれいな砂浜をいつも保っている海岸である。この砂浜は奥山の天然林が健康に保全され、そこから繋がっている河川が正常に流れないと美しい砂浜は存続できないのだ。つまり、自然のサーキュレーションで奥山と砂浜の海岸は離れられない重要な関係を持っているのだ。
日本人には古来から、循環と調和の自然体系を神として崇拝してきた。日本人の自然観、四季折々の心のあり方は神道の感性を磨いてきた。森の木々に神が宿り、岩にも神が宿り、流れる水にも神が宿る。こういう昔の人の自然に対する繊細な感性が、日本人の心を作り上げてきた。今、世界中が呻吟している環境問題の真の解決は、本来の日本人の心が行うような気がする。それには欧米の世界観から一旦離れて、本来の日本の心を知ることである。
・・・・・・・略・・・・・・・
上に挙げた管理人の大好きな舒明天皇の歌は、決して古い人の感覚ではない。これは日本のあらゆる時代に共通する普遍的な心性なのだ。山に登って国原を望見すれば、人々が住む場所には煙が立ち上り、海原には白いカモメが飛んでいる。何て美しい光景だろう、日本は何という良い国なんだということである。この喜びは「うまし国ぞ」で祈りに昇華しているのだ。
若い人たちに言うが、この“国見の歌”は、古い時代の古い人の感覚ではない。現代でも多くの人が歌にしている。たとえばTUBEの歌「夏だね」を思い浮かべてみるといい。
♪ 笑顔が似合う 楽しくなる
理由(わけ)もなく胸ドキドキ
身体中が感じてる 空と海のハーモニー
焼けつく陽射し・・・ ♪
この歌がイメージする夏の雰囲気をよく感じてみると、舒明天皇の国見の歌の気持とほとんど同じだと断言できる。舒明天皇は青い水辺からカモメが飛び立つのを見て、自然への祈りを歌った。一方TUBEは「身体中が感じてる 空と海のハーモニー」と歌っている。同じ心性、同じ感動、同じ祈りがある。夏の海辺は若者の恋心を増幅させる効果があるとしても、そこには自然の美しさ、豊饒性を讃える心が芽生え、それは舒明天皇の国見の歌と共振している。日本人の中には自然を賛嘆するDNAがある。
今の若者、そして未来の若者に美しい海浜を残してやりたい・・。