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噂の眞相 91年12月号特集1 「幸福の科学に走った直木賞作家・景山民夫の“人間研究”」
● レポーター 坂田有吉
● 会長・景山民夫の闘い
10月も後半に入った現在、「幸福の科学」と講談社「フライデー」との間に起こったゴタゴタは、講談社側の仮処分申請が却下される一方で大川隆法自身がインタビューに応じて言いたい放題のことを喋ったため、その平和的解決は一層難しくなっている。更には宮沢喜一と宮沢りえのどうでもいいような話題に世間の関心が集中してしまい、世紀末宗教とゴシップ・ジャーナリズムとの確執が生んだ波紋はこのまま忘れてしまうという、日本の軽薄な問題意識のパターンを踏襲しかねない雰囲気すらある。
しかしここにおいて、まさに体を張り自ら道化役を買って出て、この問題に関わり続ける男がいる。直木賞作家で「幸福の科学」正会員、そして「フライデー全国被害者の会」会長である景山民夫その人だ。
九月の最終金曜日に放映された「朝まで生テレビ」をはじめ「幸福の科学」を取り上げるマス・メディアにはいわばスポークスマンとして登場し、「フライデー」が如何に愚かしい行為をしているのか、そして大川隆法の教えが何故スバラシイかを熱弁する。話題を集めた「週刊朝日」誌上での野坂昭如との対談では途中で泣き出してしまうという演出もやってのけ、その後先顧みない反「フライデー」姿勢は単なる伊達や酔狂の類ではない凄まじさを持つものとなっている。
新興宗教に入れ込み、得体の知れない教祖のために「自分の命も惜しくない」とさえ公言するその熱狂ぶりに、以前の景山の著書や発言に触れ、まがりなりにも共感を感じていた者の中には狼狽を隠せないケースが多い。「何でまたあんなインチキ臭い宗教にはまったのか。才能もあったのだしもったいない」といった感想がその代表である。
その一方、「多かれ少なかれ、景山にはソノ気があった。軽い奴という意味では納得できる」と見るむきもいるのである。一部では「才能を惜しむ声が多いが、もともと景山はそんな大層な作家であったのか」という意見もあった。「フライデー」に対する半ばテロじみた行為の是非にしろ、「幸福の科学」という宗教団体の意味にしろ、それが景山の世間一般の評価とどのようにつながるのかがこの“渦中の人”をめぐる問題であるのは間違いないだろう。
「実際、景山というのは便利な『使える奴』だったんです。テレビの構成作家出身だからマスコミの裏の仕組みに精通していたし、人脈も豊富。それに加えて外国の事情にも詳しい。更には社会問題にもかなり辛辣な発言ができるような批判精神を持っていても、笑いはキチンと取る。若い奴にも受けが良いし、いわばマルチ人間の代表的なパターンを体現していたのが彼の存在価値だった」(雑誌関係者)この見方に「景山は才能があったのにもったいない」という発言をする旨の、すべてが集約しているように思える。
その場その場で常にスタンスが変えられ、野坂にして「今の十代の気分を確実に把握している」とまで言わしめた流行作家にとっては、「幸福の科学」という新しい看板は警戒心を呼び起こすだけのものであったようだ。これは景山の持っているキャラクターが曽野綾子や瀬戸内寂聴とは大違いであるというただそれだけの話であるかも知れない。既成の大宗教に帰依する作家にはなにがしかの美徳があり、新興宗教に入れあげる大衆作家には問題があるというのは偏見である。しかし「私が会長です」と見栄を切り、その作家生命を賭けて大手出版社に闘いを挑むというその姿勢には、目的や手段への共感はなくとも、多くの文化人が抱えざるをえないような切実な状況は見て取れる。景山は一体何に苛立ち、なぜその解決策を宗教による救いに見いだしたのであろうか。
●景山入信の動機とは何か
「幸福の科学」という宗教が、景山にとってどのような意味を持つか。景山がオカルトブームの一端を担っていたことは、例えばオランダの超能力者クロワゼットのテレビをはじめよく知られていることである。いわゆる眉つばモノに対してかなり造詣が深かったはずなのだが、それならば明らかな事実誤認や曲 解が横行する大川の著作に対して何故信心を持つのだろうか。信仰とは個人の自由であるのだから、その理由を問いただすのはたんなるおせっかいに過ぎないのだけれども、興味は尽きない。
景山はインタビューの中で、小説「ボルネオ・ホテル」(講談社刊、文字どおりの“呪われた本”となってしまった)を執筆中、幽霊が現れて困った、そこを大川隆法の本に救われた、などと述べているが、それを鵜呑みにしていいのかは何とも判断できない。ただ景山は幽霊その他の超常現象を否定はせず、ありのまま受け入れる感性の持ち主である、という程度のことはいっても差し障りないであろう。景山が「幸福の科学」にはじめて接触したのは昨年の秋、「太陽の法」を手にした時だという。そこに書かれていたものとは何か。
本人曰く「今まで自分が十年間模索し続けてきたものがすべて書いてあった。自分の価値の対象が書いてあった。こうなると今まで模索していた自分が馬鹿みたいだ。簡単じゃないか。神だ」この「太陽の法」を景山に薦めたのは、現景山夫人であり所属するアンクル・プロダクション社長の大津朋子だとされている。大津は一九五一年生まれ。八六年に景山と結婚した。以前からマネージャーとして景山と行動を共にしており、かつて杏林大学の医学部に勤務していたのが、景山のマネージメントを始めて一年で「会社と妻の座を乗っ取った」。そして興味深いことに、景山に彼女を紹介したのが、かの村上龍だという説がある。大津と村上は高校時代の同級生で、村上の自伝的作品「69」に登場する野暮ったい田舎者の高校生(=村上龍)の憧れの人とは、景山夫人がモデルなのだそうだ。小説中で彼女ははねっ返りや目立つ男にまとわりつく、いわゆるグルーピー気質の女性であるが、それが放送作家として頂点をきわめていたころの景山のマネージャーだとはよく出来た話だ。
景山夫婦の仲のよさというのは有名であって、「男友達と飲み歩くなんて興味ない。朋子といるほうがずっと楽しい」と女性誌で臆面もなく言い放つほどだ。それはそれで結構だが、仕事や打ち合わせにも妻が同伴することが多く、(野坂の場合も特別ではなかったのだ)場合によっては妻のみが現れ、話を進めてしまう。これに面食らった編集者も多い。
「彼らはプロダクション方式で仕事をしているから、当然と言えば当然の話なのでしょう。日本では書き手が一人ですべてを進行するから異常な感じを受けるのでしょうが、アメリカでは著名な作家には皆エージェンシーがついています。景山クラスの作家ならそれくらい当たり前でしょう。もっとも日本の場合、著名な作家の秘書といえば、即、愛人の事なんですが。そこから妻の座を手に入れるなんて、やっぱりやり手なんじゃないですか」
一説によれば「景山を前の妻から寝取った」とまで言われているが、その前妻との間に生まれている小児マヒの長女を、景山は昨年亡くしている。この事は「宝島」連載のコラムでのみ触れられたことで、芸能リポーターこそ詰めかけなかったが、景山にとってはやり切れない出来事であり、これが「幸福の科学」に接近した原因のひとつと言われているのは先号の本誌でも報告されていた通りだろう。
その他、景山の実兄が大川に豪邸をリースしている金融会社アイチの元東京支社長であるなど、景山と「幸福の科学」との結び付きを取り沙汰する要素は多い。しかし景山の作品や言動を振り返るとき、その精神的な空虚感が無視できないことがわかるのである。
●景山民夫の明と暗
景山は団塊の世代である。一九四七年に東京に生まれ、父親が警察官僚であったり、親戚に有力筋の者が多い育ちのよさが、景山のウリのひとつとなっている。景山が小説やエッセイで描き出す自分のための神話は、過去に幸福な時間をみつけにいくというイノセンスで多くの読者を獲得した。
例えばアメリカ文化の影響を多分に受けた世代として、自らのアイデンティティをサブカルチャーに拠るところも、この世代特有のノスタルジーの表われだ(景山自身がブームの火付け人を自称したものの一つに、廃盤コレクションがあることにも顕著に表われる)。特にテレビに対する思い入れに代表されるようなもの、アメリカから輸入されてきた新しい文化の「まだ可能性に満ち満ちていた時代」を愛していた。そのため、景山は自分がテレビ局で働くようになってから、自分の過去にあった希望としてのテレビと現実の手抜きと妥協だけで成立している“業界”との落差に失望し、そして怒るのであった。
「クイズダービー」や「タモリ倶楽部」の成功と同時に、景山を過激な放送作家として有名にした「宝島」連載の辛口テレビ批評はご存じの方も多いであろう。このコラムに限らず、景山は時代と文化にまつわる無自覚な態度に感情を逆撫でされるタイプであり、特に自分の熱心な読者層に属する頭の悪い若者連中に対しては“小言幸兵衛”をきめこんでみせる。
景山に対する先の評価の指すものとは、こうした自分の過去に基準をおいた断定がはからずも批評性を持ってしまった時代があってのことだったのだ。景山の人生の中で大きな割合を占めるのが、一九六〇年代の終わりにアメリカに渡り、当時のフラワーズ・ムーブメントに接触したことである。
景山が硬骨漢といわれる所以である社会批判的(エコロジーや反原発といった)発言に大きく影響している。ベトナム戦争の終結と共にこれら時流としてのカウンター・カルチャーは衰退していく。少なくとも全共闘運動に参加せず、アメリカで反抗する文化の終わりを見ていた者にとって、今回の「フライデー」反対運動にはそれまでと違ったまったく新しい意味合いがあるだろうことは想像に難くない。それだけ景山は“時代の波”に裏切られてきたのだった。
広瀬隆の「危険な話」に始まる一連の原発論争の際、反原発への景山の入れ込み様は今回のデモを予期させるものであった。「危険な話」を知り合いに送りつけてオルグする方法は、そのまま「幸福の科学」に通じるやり方である。しかし景山も当時知人のAから広瀬の本を送られ、そこでアテられてしまったのが真相だそうだ。「今、本当に危ない状況の中で我々は暮らしているのだ。特に子供達にとって、その未来は無いと同様だ」という 広瀬の主張と、ノストラダムスを持ち出してきて「人類滅亡」をほのめかす大川隆法のやり口は景山にとっては同じ“心を奪われた”メッセージだったのだろう(今年の春、景山はノストラダムス講論家を自称してテレビ番組に「太陽の法」を持って現われた。この時点では景山自ら「幸福の科学」会員を自認して いる一つのパフォーマンスとして捉えられる)。
問題意識を過剰に抱えている人物ほど、このようなアジテーションには弱いのだ。ブームとしての原発論争は一夏で過ぎ去ってしまったが、景山は執拗に原発にこだわった。一九八八年に「遠い海から来たCOO」により直木賞受賞。そのころから更に問題を広げ、環境破壊問題にまで取り組み始めたのだが、その文明に対する警告は、エコロジーが企業のイメージ・アップにしか使われないような時代では、単なる直木賞作家のオシャレなエッセイとしてしか受け取られなかったようだ。NHKでも「地球ファミリー」ホスト役をちょっとしたゴタゴタから降りた景山は、その後ライヤル・ワトソンなど著名な科学者との交際をかなりあけっぴろげに公開したが、それもメディアにとっては単なる(使える)リポーター以上の役割ははたしていなかった。
時代と寝ることで成功した男は、その束縛から抜け出ることは容易ではなかった。反「フライデー」を声高に叫びデモ行進をしている時、景山の内部にあるであろうリアリティと充足感を考えると、ポスト・モダン以降における体制批判の論陣が、一様に弱体化してしまったこともまた頷けるのである。
●一水会での右翼との対話
九月一七日、高田馬場において一水会主催のセミナーで景山は「飽食時代の宗教と若者」と題した講演を行った。ホテルの会議室は満員状態で、宿敵「フライデー」の編集部員も数名参加していた。一水会の鈴木邦男は、長崎市長狙撃事件や湾岸戦争におけるイラクの立場などと同様、過剰報道に圧殺された少数派の論旨を汲み取っていく作業を通して現体制を撃つ視点から、今回の「幸福の科学」問題を考えたいと発言する。
そして景山も「電車賃程度の報酬で」快く承知したという。当日、愛妻同伴でやってきたことは言うまでもない。景山はこう話した。〈前回の横浜アリーナで自分が「正義」という言葉を発すると、マスコミは一斉に反発した。これはマスコミ自身が正義について何も考えていない、正義を持っていない証拠ではないか。このような運動は信念あってこそ出来ること。しかし自分の信念を持つことがおかしいという風潮になってきている。これは高度経済成長以降、自分の価値観を持つような世の中ではなかったからだ。今、次のような理由から宗教に救いを求めているのだ。それは経済論理優先の唯物主義にあらず、心の問題だ〉。景山お得意の世代・文明批判であり、信仰の裏側にある現社会へのルサンチマンでもあるように思える。
〈日本の社会基盤は「調和」にある。その精神は例えば神棚にあった。それを見失ったのが、いま見つかった。かつて安保の際、自分は機動隊の恐ろしさを知っていたから、勝てない勝負はしなかった。しかし今回は違う。バックに神がついているからだ〉。
講演の後、参加者との質疑応答となる。関心は必然的に「幸福の科学」の宗教性、そして講談社に対する抗議の方法に集まった。紙幅の関係上、ここで展開された議論のすべてを紹介することはできないが、特に面白かったものを幾つか要約して挙げてみる。
大川隆法は精神分裂症か。景山は大川の高級霊との交信能力をコリン・ウィルソンの「来世体験」から引いてきて、「霊体質とは分裂症でもある」とした。しかしそのような言葉を誹謗中傷に使う「フライデー」は許せない、と語る。鈴木が「分裂症といわれるのはそれだけ世界のことを考えているということだから名誉なのではないか。運営資金や初期の会員であった女性の発言などがあるから、取り敢えずはノイローゼという言葉に反応したのではないか」と突っ込むと、「大川を中傷するのは、自ら精霊とのつながりを断ち切る自堕落な行為だから」と答える。また霊言集の内容がそれぞれ違うのは、「幸福の科学」は自力宗教だからその中から自分の解釈によって神を見つけるからだそうだ。
他の宗教の教祖が地獄に堕ちた、などというが、何故彼らを救わないのか。これに対しては、反省と感謝の気持ちがなくては救われないという。景山自身、有名人を二人ほどチャネリングを使って地獄から救い出したそうだ。本当は「幸福の科学」では勝手にそんな事をしてはいけないそうで、ここだけの話だったのだが、それが真実か否か以上に、景山が地獄から救った有名人が誰なのか知りたい。
何故、命を張って闘うとまで公言するのにテロルを行わないのか。中央公論社(巣鴨事件)の前例もあり、「フライデー」廃刊キャンペーンよりテロルの方が効果はあるのではないか? この困ってしまう問いに対して景山は「我々はあくまで『反省』を説いている。もしテロを決行したとしても『サタデー』という雑誌が出てきては話にならない」と答える。「我々の抗議運動を講談社がうるさがるのは、病気のとき注射をうたれて痛がるようなもの」なのだそうだ。
昭和天皇は霊界でどうしているのか。明治、昭和の両天皇は、天照大神より少し下にいる。そこは大川によれば天皇界とでもいうところであって、我々の如き平民や外国人には行けない世界だそうで、大正天皇は先の二人より下のところにいると思う。こう景山が話すと客席から「何てこと言うのだ」と非難の声が上がり、「すみません。取り消させて下さい」と素早く“反省”する一幕もあった。後半は、大川自身が信仰対象であるのか、それに対する冒涜に立ち上がったのは信者の意志かといった議論があり、半ば混乱状態のうちに討論は終わった。客席の中にいた「幸福の科学」会員が景山に批判的態度を取っていた参加者の一人に向かい「右翼だって天皇を馬鹿にされれば刺すだろう」と話しかけていた。
●宗教家に正義はあるか
これまで追ってきた景山民夫の宗教家としての行動には異議を申し立てる筋合いは無い。信仰の自由は誰も犯すことがあってはならないのが、現時点におけるこの社会の約束事だからだ。そして景山がそのような煮え切らない社会構造に苛立ち、「こころの時代」の勝利のためにドン・キホーテの役割でも甘んじて受ける(もっとも本人はそれほど抵抗感があるとは思えないが)という態度はやはりラジカルだ。
問題は景山が信仰している対象が必要以上に世間の反感を買っているだけのことなのだが、それは大川の標榜するところの正義が片手落ちであることを知っているということだ。その上での戦略は如何に?かつて三浦和義のパロディを「おれたちひょうきん族」で披露していた景山が、いまや内田裕也の新作映画でセルフ・パロディを演じている。時代は確かに変わりつつある。景山は一水会での講演でこう発言した。
「私達『幸福の科学』は損をしている。もし『フライデー』とイザコザを起こしていなければ、年内に会員は五百万を突破したでしょう。それでも損を承知でやらなくてはいけないことがあるんです」景山が引用したコリン・ウィルソンの「宗教と反抗人」の言葉を借りるならば、新しい宗教を作り出そうとしても、そこに残るのは徒労だけだ。この言葉を景山は知っているだろうか。〈文中敬称略〉