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人類學者 ハンス・ウエルマンとイシスとの對話 ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ 番外編 かなりオカルト?2・3 據り http://www.asyura2.com/09/bd57/msg/879.html
(回答先: 人類學者 ハンク・ウエセルマンとジンとの會話 ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ 番外編 かなりオカルト?1 據り 投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 4 月 01 日 23:06:18)
今回はウェセルマン博士の驚異的な体験の続きである。今回は、古代エジプトの女神、イシスとの対話である。ここで驚愕する事実をイシスから伝えられる。今回はその前半部分の翻訳を掲載する。スピリットを体験する意識の状態がどのようなものであるのか、具体的に描写されている。 エジプトでの女神イシスとの出会い 私は、集合無意識の元型の力である「精霊」の体験を書いてきたわけだが、それを日常的に体験することのない西欧人にとっては問題となることが多い。多くの原理主義の教会は「精霊」の体験を悪であると決めつけている。このような根本的な誤解が原因で、われわれは「精霊」のような集合無意識の存在から完全に切り離されてしまい、それらの助けを得ることはもはやできなくなってしまっている。実際、「精霊」はわれわれをいろんな方法で助けてくれるのだ。無神論者などは「精霊(スピリット)」の存在そのものを完全に否定してしまってさえいる。 しかし、伝統的な社会のシャーマンのみならず、2つの文化をよく知る現代人も「精霊(スピリット)」は実在していると断言しているのだ。この断言はわれわれが「精霊」の存在を信じているからでもなく、また、それを信仰の対象にしているからでもない。われわれは、「精霊」を直接体験したのであり、その経験から「精霊」の実在を確信しているのだ。 シャーマンの方法は、われわれが「精霊」を直接経験できる道であり、そのような経験によってこそわれわれは現代文化の盲目状態から目が覚め、個人の変容を体験することができるのである。この経験によって、われわれは本来なにものであり、そしてどこに向かっているのか知ることができるようになる。 6年前の2003年、私はエジプトを初めて訪れた。私は古代エジプトの神殿に生きている「精霊」と直接コンタクトを取れることに狂喜していた。そのとき私は特に心がひかれる神がいた。それは女神イシスである。 イシスの神話 私はイシスがどのような神であるか、その神話はある程度知っていた。イシスとは古代エジプトの女神であり、下の世界の王、オシリスの妻である。オシリスは邪悪な弟、セットに殺害されたが後に復活した。これに大きな役割を果たしたのがイシスである。イシスはオシリスのバラバラになった身体を集め、元通りにしたと伝えられている。このような神話から、イシスはヒーリングと和解、そして魂の救済の象徴となっている。 またイシスは、空の神でハヤブサとして化身したホルスの母でもある。このような神話から、イシスは偉大な母の象徴でもある。イシスとホルスの母子関係は、後にキリスト教に取り入れられ、マリアとキリストのになったといわれている。 このように聞くと驚くかもしれないが、エジプトにおけるイシスの別名は「愛される」の意味のメリーであり、またホルスはルーサと呼ばれていた。ルーサがジーザスの語源になったという。こうした点は別なエッセーで詳しく書くつもりである。 2003年の1月に私がエジプトを最初に訪れたとき、私はエジプトの神話に深い関心があったわけではない。むしろ私はデンドラの神殿で集合無意識の力であるイシスそのものとつながることを期待していたのである。 2003年、1月8日の暖かい午後、私たちのグループはナイル川、上エジプトのデンドラにある女神ハトアの巨大な神殿を訪れた。中央の大広間には四方を向いた女神ハトアの顔のレリーフを戴いた大きな石柱を見ることができた。 神話では、牛の耳をもった女神のハトアは、イシスよりも古い存在である。女神イシスはハトアよりも新しい。この意味では、イシスもハトアも女性的なエネルギーという集合無意識の同じ力を象徴したものであると考えられる。このため、神殿にあるレリーフだけではどれがハトアでどれがイシスか区別がつきにくくなっている。見分ける唯一の方法は、レリーフに刻まれているヒエログリフを読むことである。イシスは3段の王座で表されるが、ホルスは中にファルコンが入った箱で表される。これはイシスとホルスとの結婚を意味しているとされる。 興味深い家族 ハワイのカフナの視点からハトアとイシスを見ると、それは、ハワイのことばでワヒナ、聖なる名前はウリウリと呼ばれる女性的な創造の力の象徴と同じものであることが分かる。なぜ私がこのようなことをいうのかというと、このような集合無意識の元型的な力は、世界中のあらゆる神話でほぼ同じようなものとして見られているからだ。たとえばポリネシアのヒーリングの神、ロノやアステカのクワッツェコタル、マヤのククルカンと呼ばれる神もそうだし、また、ギリシャのアエスクアピオス、エジプトのイムホテップなどもみんなそうだ。集合無意識の同じ元型的な力が別な名前で呼ばれているだけだ。 これを知ると、エジプトの神殿で私がどのようにハトアとイシスの集合無意識の力を感じるのかとても興味をもった。しかしそれは、私が思っているような体験ではなかった。 イシスの神殿 あの2003年の暖かい午後、ハトアの神殿のツアーの後、私は巨大な壁の裏を歩いてみた。すると、壊れかけた大きな石のブロックが、遅い午後の光線で黄色く輝いているのを見つけた。この石のブロックの由来をツアーガイドにたずねると、それはイシスに捧げられた神殿の遺跡の一部であるとのことだった。 その建物は遺棄され、だれもいないように見えた。私はそのその建物の中に入ることにした。私は石段を上ると、神殿の暗い内部につながっている石の大きなプラットフォームに出た。入り口は2つあり、両方とも侵入者を防ぐための鍵のかかった門があった。 門から内部を見ると、壁に彫られたレリーフ以外、部屋はまったくの空であるように見えた。大きな部屋の隅には小部屋があった。そこには宝物が収められていたのだろうが、きっと侵入者に盗まれたのであろう。 そこには私一人しかいなかったが、明らかに私のほかにだれかがいるのを強く感じた。その存在感はとらえどころがなくなく、強くなったり消えたりしていた。私は辺りを注意深く見回した。私のほかに周囲にはだれもいなかった。 私は壁を背にして日陰になった部分に腰掛け、目を閉じた。私はすぐに瞑想状態に入った。しばらくの間、私は目をつぶり、雑念を捨て去り、落ち着き、心の中の神秘的な状態がゆっくりと広まるのを待った。すると、だれかの強い存在感をまた感じた。衝動的に私は身につけている小物入れから青いビーズを取りだした。そして目をつぶったままそれを唇でくわえ、イシスへの愛を表し、なぜ神殿の中に入ったのか私の意図を明らかにしながら、ビーズの穴から息を吹きかけた。ビーズの穴は集合無意識へと入って行くためのゲートのような役割を果たした。 私はビーズを指の間に挟みながら待った。そして、目を開けビーズを門の間から暗い神殿の中にほおり入れた。私はほほ笑み儀式を終えた。そして壁を背にして腰掛け、著書スピリッチュラルウォーカで解説した高周波の脳の状態に入った。 見えた光景 私はこのとき何をしているのか実際にはよく知らない。私がそう願うだけで、そのような瞑想状態になる。すると、シャーシャーという血流の音が聞こえ、強い圧力を感じたかと思うと、バイブレーションとともに一気に視界が広がるのを感じた。映画、スターウォーズのオビワンケノービが「フォース」と呼び、ポリネシア人が「マウリオラ」と呼ぶ力の場につながるにしたがって、私の身体は震え、何度も経験したことのある感情の高まりを感じた。これはすべてのシャーマンが経験するものだ。それは生命力のちからそのものなのだ。 すると、私は突然いまの自分を飛び越えたような意識の状態が広まった。私は力にしっかりと握られ、身体は震えているが、急に心の窓が開き、圧倒的な安心感に包まれた。 すると突然、私は真っ暗闇の中に降りて行った。そこはベルベットのような暗がりに包まれた場所だった。しばらくの間、私の意識はそこに止まっていた。そこは時間が制止し、まったくの静けさに包まれた状態で、かつて存在していたあらゆるものや、これから存在するあらゆるものは、すべては「いま」という地点に統合され、過去も未来も存在していないような地点だった。 この状態こそ、宇宙の偉大な創造性が発揮される状態だ。スピリチュアルウォーカーを書いたときは、私はこのことを知らなかった。 すると、私が願っていたように、女神イシスの存在を見ることができた。しかし、それは人間の女性のような形ではなかった。 暗闇がまばゆい光で満たされた。その光りは輝きを放つコバルトのような光で、明らかに生きていた。それは、あたかも透明な湖をのぞき込むような深さがあった。しかし、それと私には明白な境界がなく、私は一瞬でその中に入った。私はそれに包まれた。私はそれと一体になったかのようだった。そのとき、それが私をはるかに越える知性の持ち主であることを強く感じた。 すると、同時に、彼女の意識と私の意識は完全に一つのものとなった。 これはまさに純粋な神秘体験である。だがそれは、体験したいと思う人間であればだれでも体験することができるのである。 長いので後半は次回に譲ることにする。これから、女神イシスとの本格的な対話が始まる。それは驚愕する内容だ。できるだけ早く更新するつもりである。 それは暑いくらいのとても暖かい午後だったが、その時、わたしは突然の冷気を感じた。その冷気はたとえるなら、冷蔵庫を開けた瞬間に冷たい中の空気が外に流れ出してはだかの足にまといつくような感じだ・・・ これがわたしがその幻視に包まれたときに体験したことだ。わたしは文字通り冷気に包まれた。それは青く冷えた空気が川のように波打ってわたしの上を流れ、わたしを包み込んだ場の中で、イシスが知ることをわたしも知り、イシスが感じることをわたしも感じ、イシスが考えることをわたしも考える・・・そしてその境地では、女神とわたしは完全にひとつだった。 これを驚くべき体験、と言ってしまえば、あのものすごい世界を表現するにはあまりに控えめすぎる言葉だと思う。 わたしはイシスを「形を超えた光」として知覚する一方で、イシスを「光以上の形のない存在」として直接経験してた。そしてその体験をしている時のイシス=母なる女神のエネルギーが現実のものであることはまったく疑いがなかった。 そのとき神殿に近づく誰かの足音がして、わたしの幻視は消えた。わたしの意識のフォーカスは「向こう」から「ここ」に戻ってきたが、イシスの恩寵の残響はそのあと幾日か続き、そのあと完全に自分自身の世界に引き戻されたのだった。 駆け足で前進 わたしがふたたびデンダラの寺院の背後の、イシスの神殿を訪れたのはほぼ6年後の2008年12月9日のことだ。ハトル寺院の後ろの石段を一歩一歩上りながら、わたしは控えめに言って期待していた。 そして今回は驚くべきことに、ターバンとガラベイヤに身を包み、完璧な口ひげを蓄えたエジプト人の門番がいて、笑顔でわたしの魂を直接覗き込んだ。そしてわたしのために神殿のふたつの入り口のゲートの鍵を開けてくれた。わたしが笑顔でチップをはずむと彼はうやうやしく後ろにさがり、わたしをひとりにしてくれた。 わたしは用心深く、ゆっくりと心を落ち着けながらはじめて神殿に入った。今回は妻のジルも同行していたが、グループの他のメンバーの何人かと外で待っていてくれた。わたしを女神とふたりきりにしてくれたのだ。 そして前回同様にウエストポーチから青いビーズを、今回は3こ取り出した。ひとつはわたしの、ひとつはジルの、そしてもうひとつはニューメキシコのサンドラ・インゲルマンから頼まれた女神に対する愛の捧げものだった。わたしはビーズを通して祈りの息を吹きかつてイシスの像が立っていたくぼみの両側の壁に手を置いて、目を閉じた。 わたしはふたたび、自分と妻の分、そして友達の分の祈りを捧げた。指が石の壁の深い裂け目を探し当てたのでそこにビーズを押し込んだ。そして高周波の幻視の意識状態に入った。 2回目の幻視 ふたたび、わたしの拡大した意識状態のうちに、イシスの存在が広がるのを感じた。疑いはなく、疑問もない。今回はどこかおぼろげな記憶をたどるような懐かしさを感じ、それはいくつもの人生にまたがる古い超自我の結びつきなのだと気づいた。 その気づきに反応して、過去世の記憶がいくつか自分の心に流れ込んできた。それらはもちろん記憶なのだが、ハンク・ウェセルマンの記憶ではないのだ。 「それじゃいったい、誰の記憶なんだ?」わたしはそれらの映像を見ながら、自問した。すると、答えが来た。それらの記憶は自分の不死のオーバーソウルからダウンロードされてくるのだ。わたし個人のスピリチュアルな側面は、イシスが存在するのと同じ超自我の王国に存在していて、わたしのすべての過去の自分が保存されている私自身の側面から取り出されてきたものだった。 わたしは心のなかに次から次へと映し出される過去のイメージを夢中になって見つめた。まるでスクリーンに映し出されるスライドショーが神秘的な生気、力、生命力を帯びて流れてくるようだった。前回と同様、イシスの光は輝くブルーのイメージで、イシスの知覚は完全な受容性と明らかな女性性の喜びを運んできた。 女神はわたしが自分の心に流れ込んでくるイメージを見てびっくりしている反応を面白がっていた。そしてそれらのイメージは突然、わたしハンク・ウェセルマン自身の記憶の中の出来事に切り替わった。それはごく最近の出来事の記憶だった。人生の中でも最大の裏切りのひとつ、それも一年前に起こったばかりの出来事の記憶だった。 何ヶ月にもわたってわたしはこの出来事をめぐるとてつもない苦悩と悲しみに苛まれてきた。イシスの神殿に立っていながらその記憶を追体験して、わたしは壁に押し当てていた手を踏ん張った。わたしの体が、イシスの存在に震えた。そして突然、また前回と同様に気温が変化した。イシスの冷気がわたしをふたたび洗い流し、包み込んだ。わたしはイシスの恩寵である冷気の光を浴びた。するとどうだ、ひどい裏切りを受けた悲しみが、潮が退くように消えていくのを感じるではないか。イシスのブルーの光のなかにゆっくりと溶けてゆき、溶けてゆき、溶けてゆき・・・そして消え去ってしまった。 わたしは理解した。わたしたちが悲しみに向き合っているとき、あるいは暴力や裏切りの問題に直面したとき、イシスは訪ねるのにもっともふさわしい存在だということだ。イシスは超自我の協力者で、その恩寵は赦しと和解である。 わたしはまた、レディ・イシスとヒマラヤのボディサットバ アヴァロキテシュバーラ、中国のカン・イン、日本の観音はひとつであり同一の存在であることも理解した。 この直感を得たとき、わたしはイシスが笑うのを見た、というより感じた。 そしてふたたび、仲間の誰かがわたしを呼ぶ声がして神殿に近づいてくるのがわかった。わたしの知覚はシフトして、わたしをつかんでいた力の感覚が消え去った。わたしはイシスの偉大なヒーリングを受けて、あの許しがたい裏切りから一年以上も抱え込んできた怒りの刃が取り去られたことを知った。 わたしの感謝の気持ちはとても表現できないほどだ。 以上である。 ウェセルマン博士の「イシスとの対面」という記事はここで終わっているが、彼の体験がここで終わるわけではない。ウェスルマン博士の体験はさらに続き、ある驚愕するような事実について教えられる。これは次回に紹介する。
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