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(回答先: チヤネリングに於ける宇宙b靈 ジヤーメインが語る宇宙創造と人類の誕生 投稿者 石工の都仙臺市 日時 2009 年 2 月 24 日 23:15:57)
コスミツク・トリガーの謎 ─ シリウス・ネツトワーク
第5章 われわれの進化のプログラムはDNAに組み込まれてゐる!
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hct/_cosmic_trigger.html#05
■■PART−5:
我々の進化のプログラムはDNAに組み込まれてゐる!
ETは、われわれの生命の起源と進化、そして人類のなすべきことを告げる。が、其れは、20世紀の今日的状況や近未來の姿とピタリ符合してゐるのだ。此處では、スマイル・メツセージに記された第1と第2の課題を見てみよう。
■生命の種はバイオ・メカニカル・ステージを經て、地球の誕生時にばらまかれた!
スマイル・メツセージは、われわれの起源が外宇宙にあると斷言する。
「生命の種は、一聯のバイオ・メカニカル・ステージを經て、段階的に進化するための青冩眞を含むヌクレオチドの鑄型として、數十億年前君たちの惑星にばらまかれたのだ」
此の内容は、〈1〉われわれの生命がDNA──ヌクレオチドからなる二重螺旋鎖状の高分子物質──の地球撒布によつてスタートした事、〈2〉進化は、もともと其の段階でDNAに情報として組み込まれてゐた事を告げてゐる。
此の説は、決して空想的な説ではない。と云ふより、“原初の生命のスープ”の海で生命が“偶然”に生まれたとするオパーリン流の生命起源説より、星間種子飛來説(スターシード説)のはうが、今日では説得力があるのだ。
オパーリンの流れを汲む自然發生説の最大の缺陷は、あまりにも都合のよい偶然の重なり合ひが前提に成つてゐる點にある。無機物がランダムに化學反應して有機物に成る確率は、ごく小さな分子(アミノ酸100個)で、10の130乘分の1と計算されてゐる。
一方、地球が誕生してから今日までに10の17乘秒しかたつてゐない。と云ふことは、1秒間に1萬囘の割合で、出鱈目な化學反應が起こつたと考へても、其處で試される可能性は10の21乘にすぎないと云ふことだ。此れに對し、生命のもとに成る組み合はせば、10の130乘の化學反應でようやく1囘。兩者には絶望的な開きがある。どんな角度から計算しても、確率論的には地球誕生以來、小さな分子ひとつ形成されるわけはないのである!
ところがスターシード説なら、此のハードルは超える事が出來る。と云ふのも、宇宙空間には、生命の根本素材である有機化合物質が滿ち滿ちてをり、然も今なお、次々と星間分子同士が結び就いては、新しい分子を形成してゐる事が、電波天文學の發展によつて明らかにされたからだ。まさしく「生命は無意識のまま宇宙空間で脈動してゐる」(『チベット大藏經』)のである!
“原初の生命のスープ”は地上の海にあるのではなく、宇宙空間にあると考へる學者は決して少なくない。古くは、今世紀初頭のノーベル化學賞受賞者のS・A・アーレニウスが、“生命萌芽汎在説”を唱へた。オパーリンとともに、自然發生説を提唱したJ・B・S・ホールデンも途中から自説を撤囘し、スターシード説(アストロ・プランクトン)に“勇氣ある”轉嚮をした。最近では、1962年のノーベル醫學・生理學賞受賞者のF・クリツクが、スターシード説を唱へてゐる。
●
ETは、人類が此のスターシードによつて誕生したと明言する。そして、更に驚くべきことに、進化の道筋は、最初からDNAに組み込まれてゐるとまで主張してゐるのだ。
此のメツセージは、われわれがbの敷いた進化のレールに沿つて發展する、と唱へる汎世界的なオカルテイズムの傳統的主張を思ひださせる。テイモシー・リアリーは、此の主張をひと言で要約してゐる。詰り、「bはDNAの中にゐる」のだ。
實際、地球上の全生命が、すべて同一の二重螺旋構造をもつてゐると云ふことは、非常に奇妙なことだ。若しDNAが偶然につくられたものなら、右卷きのDNAや三重螺旋のDNAなど、樣々なタイプのDNAがあつても不思議ではない筈だ。
ところが、現實には、ウイルスのDNAも人間のDNAも、すべて二重螺旋左卷きだ。此れはどう考へてもある種の意志、或は計劃が働いてゐるとしか思へない。さうでなければ、何から何まで、偶然のひと言で片づけて、あとは頬かむりしてゐるしかない。が、全宇宙の恆星(1000億×1000億)からひとつを選ぶよりも低い確率でしか發生しないDNAが、“偶然”地球に發生したのだと、だれが自信をもつて主張出來るのだらうか?
更に、「わづか3億年の間に、ごく單純な蛋白質から、高度きわまりない生命組織をもつ人間にまで、“偶然”に生命が進化し、おまけに、宇宙時間のスケールで云へば、まばたきの時間にも滿たない間に人類が今日の文明を、“偶然”築きあげたと、なんの根據があつて主張出來るのだらうか?
かうした、きはめて樂觀的な、“偶然”の聯續に納得がいかないのなら、われわれはもつと別の可能性を追求するしかない。其のひとつが、冒頭で記したやうに、“スマイル・メツセージ”の中で語られてゐるのだ。
われわれのなすべきことは、スマイル・メツセージの中で明言されてゐる。其れは3つある。
第1は、遺傳子コード(DNA)の中に「生命の聖典」を發見し、「不死の責任を引き受ける」こと。第2は、「遺傳子コードをb經系によつて解讀」し、「知性を増大化する」こと。そして第3は、「銀河系ネツトワークと通信」して、「われわれの故郷へと凱旋する」ことだ!
■第1の課題= 「生命の聖典」を發見し、「不死の責任を引き受ける」こと
メツセージの中で、ETは、われわれが今や「死」を克服すべき段階に入つたと告げる。此の主張は、通常の感覺ではまつ度くの冗談にしか聞こえないだらう。然し、錬金術や道教、b仙道の究極目標のひとつであつた「不死性の獲得」が、今日ではきはめてまじめな科學上の研究課題に成つてゐると云つたら、讀者はどう思はれるだらうか?
『コスミツク・トリガー』の中で重要なページが、此の不死性の探究のためにさかれてゐる。其の中から、いくつかの例を拾ひだせば、此のテーマがスマイル・メツセージとどんなかかはりをもつか、理解していただけるだらう。
不死性の探究が科學の對象に成つたのは、科學がDNAを射程内にとらへてからだ。
生化學者で、哲學者のバークレー大學教授ポール・シーガルは、「われわれの死は、ひよつとしたらDNAにプログラムされてゐるのではないか?」と云ふ假説から不死の探究をスタートさせた。死は細胞のランダムな崩壞の延長と云ふ從來の説と比べると、此のシーガルの説はまさに驚天動地のものだ。と云ふのも、若し死が、事實、プログラムされて起こるものなら、其のプログラムを變更する事により、われわれは不死に至る鍵を見出せるかもしれないからだ!
シーガルの探究は、老衰から死に至るプログラムを實行に移す「ケミカル・トリガー」を突きとめる事に輯中されてゐる。此れこそまさに、現代の錬金術だ。と云ふのも、老化のプログラム探究に於いて「不死」にかかはり、老化沮止物質の合成に於いて「物質變成」にかかはるからだ。更に此の研究の過程で、遺傳子操作の問題が當然生じてくるが、此の遺傳子操作こそ、生命レベルにまで深化した「物質變成」にほかならないからである。
現在のわれわれの壽命が、われわれの肉體の耐用年數から導きだされたものだと考へるのは間違つてゐる。少なく見積もつても、われわれの肉體は200年は使へると云ふのが、昔からの學者の主張だつた。然し今日では、多くの“不死學者”がもつと景氣の好い數字をあげてわれわれに夢を與へて呉れてゐる。既にラツトの實驗で老化のトリガーを變化させる3つの方法を發見したと云ふシーガルは、ごく近い將來、人類の壽命は平均400〜500歳まで延長されるだらうと主張する。
ヨハン・ブジヨークステイン博士は800歳と云ふ豫測値をあげてゐるし、醫學博士のロバート・プレオーダは、「老化のあらゆる兆候が矯正され、豫防されるやうに成れば」と云ふ條件つきで、なんと1000歳と云ふ數字をあげてゐるのだ。
然し、かうした數字も、テイモシー・リアリーのとはうもない主張の前には色あせる。テイモシー・リアリーは、太陽が滅び去る數十億年先まで生きる積りだと語つてゐるのだ!
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われわれにとつてもうひとつ興味深いのは、かうした「不死」を探究する學者が、シリウスのメツセンジヤー、テイモシー・リアリーと強い接點をもつてゐると云ふ點だ。
シーガルが不死の研究に取り組むきつかけと成つたのは、テイモシー・リアリーのレクチヤーに參加してからだと云ふ。ほかにも、名前は煩瑣に成るので省略するが、量子力學を超心理學やテイモシー・リアリーの業績と關聯づけようとしてゐる科學者グループが、少なからず存在するのである。
此れは、いつ度いどう云ふことなのだらう? 亞米利加に於いて、テイモシー・リアリーとのかかはりを表明する事は、實は危險なことなのだ。彼は犯罪者であり、突飛であやしげな擬似宗教によつて若者を煽動した山師であり、ジヤンキーであり、政府に仲間を賣つたスパイであると云ふ噂もまた、亞米利加では可也ポピユラーなものだからだ。
其れにもかかはらず、テイモシー・リアリーに對するシンパシーを表明する物理學者や其の他の科學者が、少なからず存在すると云ふことは、ひかえめに見ても、テイモシー・リアリーの主張に科學的根據がある事を證明してゐる。更に大膽にテイモシー・リアリーの主張を受け入れるなら、其れは銀河系の“兄弟”からの通信が、出鱈目なものではないと云ふことの傍證に成るのではないか?
結論を急ぐことはやめ、續いて、われわれは第2の課題を見ていくことにしよう。
■第2の課題= 「遺傳子コードをb經系によつて解讀」し、「知性を増大化する」こと
此の課題は、「スマイル計劃」の鍵を握つてゐる。テイモシー・リアリーは此れを、インテリジエンスの2乘と表現し、既に人類は其の段階に突入してゐると斷言する。
此の“豫言”には、いくつもの側面があるが、此處ではわかりやすい2つの面に就いてのみ記していくことにする。第1は社會的な現象面、第2は科學面だ。
社會面での知性の増大化運動は、テイモシー・リアリーがETからのメツセージを受ける以前の1960年代に亞米利加全土を覆ひ、歐洲圈に飛び火した。所謂「ドラツグ・カルチヤー」が此れにあたる。
主役は云はずと知れたLSD。1938年に發見され、1943年に合成された此の「幻覺喚起劑」は、1960年に至つて、まさに燎原の火のやうに全米の若者の間に滲透していつた。
此のドラツグは、人體に殆ど毒性を殘さない事(皆無と主張する學者もゐる)、攝取を中斷しても禁斷症状がない(中毒性を生じない)ことなどが、從來のコカインやモルヒネなどのドラツグとの大きな違ひだつた。然も、喚起される幻覺は、まことに強烈だつた。
LSDは、其れを服用する者の意識を、有無を云はさず擴大し、日常生活で固定されたリアリテイを破壞した。服用者は未知の精b領域を旅行し、蛇のやうに「脱皮」した。宇宙に行くのも、太古の女bと出合ふのも、ETとコンタクトするのも、お好み次第だつた。“ターン・オン(酩酊)”は、何層にも重なつた意識の、祕められた扉を開く20世紀の“祕儀參入”と成つたのである。
LSDの效果があまりに激烈だつたので、殆どの愛好者は、其れを樂しむことに急で、其の價値を正當に評價するに至らなかつたが、テイモシー・リアリーはほどなくしてLSDから離れた。と云ふのも、ドラツグはテイモシー・リアリーにとつては、「人間のb經系の潛在能力を十分理解するため、焦點をさまざまに變化させる道具」にすぎなかつたからだ。
われわれの日常意識は非常に狹く、固定的で、然も勝手な思ひ込みとドグマ(獨斷)に滿ちたリアリテイによつて、どうしやうもないほどガツチリと支配されてゐる。此の意識状態は、地球的・近視眼的な、地べたにはひつくばる意識だ。意識進化のレベルで云へば、既に過去の遺物、克服されねばならない低レベルの意識と云つても好い。
LSDは、此の地球的意識から人をひきはがし、宇宙へとトリツプさせるために開發された物質だと云ふのが、テイモシー・リアリーの考へだつた。
●
アントン・ウイルソンは、よりはつきりと、此の種のドラツグを、人間の腦b經系の從來のプログラム(固定したリアリテイ像をb經系に送り込むプログラム)を改變し、ジヤンプさせ、多重多層のリアリテイヘと聯れだす、「メタプログラミング物質」と定義づけてゐる。
かうした意識の擴大が、人間に新たな視點、世界觀、發想を與へる事は、間違ひない。ただし、此の“暴力的”な傾嚮のある“メタプログラミング”が、上等な方法と云へるかどうかは、讀者自身が判斷してほしい。
ともあれ、知性増大に必要な意識の改變は、“偶然”のLSDの發見・開發から、半ば強引にひき起こされ、世界に熱狂的なブームを呼び起こし、其の後の“精b世界”ブームの土臺を築いた。今日、歐米や日本などに廣がつてゐるb祕學・精b科學ブームは、間違ひなく1960年代を核に形成されたのだ。
そして、其のころ學生だつた“時代に敏感”な若者が、のちにニユーサイエンスの旗手と成り、“精b世界”のアジテーター、プロパガンデイストに成り、カルトを組織し、或はニユーメデイアの世界で知覺像の擴大に猛進してゐる事を、忘れてはならないだらう。
■知の枠組みの大轉換によつて、20世紀の科學はオカルテイズムに近づいた!
人間の腦のb經細胞。此の複雜な人間の腦に
科學者はどこまで完璧に迫れるか。
扨て、知性の増大のもうひとつの面、科學に移らう。20世紀が、異常に發達しつづける科學とテクノロジーの時代だと云ふこと自體、「知性の増大」が「人類進化」の3つのステツプのひとつと云ふスマイル・メツセージの實現の表れなのだが、もう少し詳しく見ていくことにしよう。
知性を開發する事は、今やブームないしフアツシヨンと云つていい。所謂、“潛在能力開發”にかかはる科學者や研究家──其の中には、あまり信頼の出來ない人々もゐるが──の活躍は、此の文章を讀んでゐる讀者なら説明するまでもないだらう。
更に、よりエキサイテイングなアプローチは、“腦内物質”の探求によつて齎された。腦内および消化器官にあつて、もろもろの情報傳達を司つてゐる“b經傳達物質”搜しが盛んに成つたのは此の數十年のことで、大腦生理學者やb經學者らの腦内物質搜しに對する熱狂ぶりは、マスコミによつて“ゴールド・ラツシユ”と揶揄されるほどの活況を呈した。
腦内のb經傳達物質は、ある種の感情や感覺、行動能力などの發現のトリガーに成る。睡眠を引き起こしたり、快感を與へたり、食べたり、性欲を起こしたりする物質を自由自在にコントロール出來るやうに成れば、われわれはあらゆる面で從來の人間觀を書き換へる事が出來る。また、記憶や學習などのトリガーと成る物質を支配出來るやうに成ると、人間の知性は、まつ度く新たな局面を迎へる事に成るだらう。
此の腦研究の20世紀的局面は、まさしくETの豫言──「b經系の化學組成の中に、知性を増大化する鍵を見出すだらう」──とぴつたりと符合すると云はなければならない。
更に、物理學的世界觀の枠組みも、今世紀に至つてガラリと變化した。19世紀には、われわれが認識してゐる世界は不動の實在だと思はれてゐたものが、今日では實在の影にすぎないと考へられるやうに成つた。もう少し嚴密に云ふと、われわれが、世界に關する體驗を組織化する際に用ゐる如何なる“網の目”も、世界其のものをとらへる事は出來ないと云ふことに成る。
此の、今世紀初頭に、物理學者ニールス・ボーアらによつて公式化された“コペンハーゲン解釋”や、前述のホログラフイツク・パラダイムは、物理科學の世界觀が、古代印度や支那エジプトなどの世界觀にすり寄つたと云ふことを意味してゐる。
シヤーマニズムの所謂“類感魔術”も、今日では物理學の概念に成りつつある。此れは、物理的風影關係はなくとも、人形に呪ひをかけると、呪はれた人間に效果が及ぶと云ふ呪術だが、此の奇妙な“偶然の一致”の背後にある世界と、ユング=パウリのシンクロニシテイは、あと一歩の距離にある。また、ひとつの粒子は他のあらゆる粒子に影響を及ぼすと云ふ物理學の假説(QUIP)は、すべてが一方では原因であり、同時に結果でもあると云ふ“魔術的觀念”に著しく接近してゐるのだ。
20世紀科學が、總體としてオカルテイズムに接近してゐると云ふ印象を與へるのは、われわれの知の枠組みが變化してきたからにほかならない。そして此の變化は、ETやテイモシー・リアリーによれば、われわれが「此の惑星の子宮を離れ、星々へと歩みだすときがやつてきた」からだと云ふ。
何故知性は増大化されねばならないのか? ──此の問ひの答へは、次のパートを見ていくことで明らかに成るだらう……。
海への隕石落下で生成か=生命起源の有機分子−衝撃實驗で再現・物材機構と東北大【時事ドツトコム】
http://www.asyura2.com/08/nature3/msg/427.html
投稿者 ワヤクチヤ 日時 2008 年 12 月 08 日 19:35:36: YdRawkln5F9XQ
紀伊國屋書店刊
平成十八年(西暦ニ00六年)八月二十八日發行
中田力氏著
「腦のなかの水分子 意識が創られるとき」
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