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(回答先: 韓国次期首相、鄭雲燦氏指名に波紋/「ケインズ主義左派」との指摘も。 − しんぶん赤旗 投稿者 稀代の天才白魔女さん 日時 2009 年 9 月 07 日 23:17:11)
中央日報 - 鄭雲燦氏を首相に指名…6人の閣僚交代へ
李明博(イ・ミョンバク)大統領は3日、韓昇洙首相(ハン・スンス、72)の後任に鄭雲燦(チョン・ウンチャン、63)前ソウル大総長を指名した。
忠清南道公州(チュンチョンナムド・コンジュ)出身の鄭氏は京畿(キョンギ)高校とソウル大・経済学部を卒業し、ソウル大総長や経済学会長などを歴任した。青瓦台(チョンワデ、大統領府)の金恩慧(キム・ウネ)スポークスマンは「中道実用と中身のある庶民政策を進めるものと期待している」と述べた。
法相に李貴男(イ・グィナム、58)前法務次官、国防相には金泰栄(キム・テヨン、60)合同参謀部議長がそれぞれ内定した。また知識経済相にハンナラ党内の朴槿恵(パク・クンヘ)支持派とされる崔Q煥(チェ・ギョンファン、54)議員が、労働相に任太煕(イム・テヒ、53)議員が、新設された「特任相」には朱豪英(チュ・ホヨン、49)議員がそれぞれ指名された。
このほか、女性相に白喜英(ペク・ヒヨン、59)ソウル大食品栄養学科教授が内定した。鄭雲燦氏は国会の聴聞会や本会議の承認表決を経て、新閣僚ら6人は国会の聴聞会を経て、それぞれ正式に任命される。交代された新閣僚(首相と16省庁 候補を含む)の平均年齢は58.8歳で、以前の62.1歳より2.2歳若くなっている。
地域別にはソウル出身が4人で最も多く、大邱(テグ)と慶尚北道(キョンサンブクド TK)出身が3人、釜山(プサン)と慶尚南道(キョンサンナムド PK)出身が2人で、嶺南(ヨンナム・慶尚道)出身は計5人だ。湖南(ホナム・全羅道)と忠清(チュンチョン)出身がそれぞれ3人だった。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=120098&servcode=200§code=200
中央日報 - 【ニュース分析】「苦言」呈しても必要な人物を起用
李明博(イ・ミョンバク)大統領の隠されたカードは「鄭雲燦(チョン・ウンチャン)首相」だった。
鄭雲燦氏は現政権初期から継続的に首相候補に取りあげられてきた。それにもかかわらず実際鄭氏が内定すると、与党では「破格」との評価が出ている。
なぜ破格か。鄭氏はこれまで「李明博政権」と距離を置いてきた。特に李大統領の主要アジェンダといえる4大河川再整備事業などについて「土木建設を中心にした、かつてのパラダイムに近い」という批判も厭わなかった。青瓦台(チョンワデ、大統領府)が3日、鄭氏の首相内定を発表し「これまで経済批評家として建設的な代案と助言を惜しまなかった経験が、より肯定的に働くだろう」としたのもこのためだ。
青瓦台の首席ら一部も「鄭氏が首相になればかつての立場を変えねばならないが、容易ではないだろう」とした。しかし李大統領の最後の選択はこうした参謀らの意表をついた。それなら、なぜ鄭雲燦氏か。青瓦台の主要当局者は「李大統領は中道実用や庶民に配慮した政策、国民統合、経済回生など国政の主要アジェンダにおける適任者を選び、鄭氏も苦心の末、首相に内定した」と説明した。
鄭氏は07年、野党民主党で大統領選候補にまで取りあげられた。保守よりは進歩のイメージが、安定よりは変化と改革のイメージがより強い。青瓦台の説明によると、鄭氏の歩んできた道が、最近李大統領が掲げる「中道実用主義」や「庶民に配慮」という基調と一脈相通ずる。鄭氏も3日、記者懇談会で「競争を促すものの、取り残された人に温かく配慮するという点では、李大統領と私の認識は異ならない」と話した。
鄭氏が忠清(チュンチョン)出身で、温和な人柄である点も、李大統領が努めてきた「国民統合と地域和合」の側面から高い点数を受けた。ソウル大総長として見せてきた行政・組織管理の能力、経済学者としての実力は、李大統領が日常の行政業務や政策業務を鄭氏に一任し、より大きな国政課題に没頭できるようにする補完の長所がある。
鄭氏を内定することで李大統領は「統合」「変化と改革」「中道実用」という自らのスタンスもよりしっかり固められるようになったわけだ。李大統領が「次期大統領選の候補グループ」の一人に鄭氏を抜てきしたという見方も出る。与党の主流派では、これまで朴槿恵(パク・クンヘ)元代表に対抗できる「潜在の候補グループ」を育てねばならないという意見が広がっていた。
このため今後同氏の「首相としての取り組み」が政界の少なくない注目を集めることになった。議員3人を長官に任命、これまで距離を置いてきた汝矣島(ヨウィド 国会議事堂がある所)政治との疎通を強めたのも、李大統領の従来の人事スタイルから脱したものだ。青瓦台高官はこれについて「李大統領が“経済大統領”または“外交大統領”から“政治大統領”に変身中だ」とまとめた。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=120100&servcode=200§code=200
中央日報 - 【噴水台】昨敵今友
エイブラハム・リンカーンは1860年、米国第16代大統領に当選した後、過去のライバルを重用したことで有名だ。 まず、1年前に共和党党内選挙のライバルだったサーモン・チェースを財務長官に、ウィリアム・スワードを国務長官に任命した。 このうちスワードはアラスカをロシアから安く買い取るなど西部開拓に大きな業績を残した。
相手党である民主党の大統領候補だったスティーブン・ダグラスも例外ではなかった。 リンカーンは南北戦争勃発直前、ダグラスに対し、大統領特使の資格で北部と南部の境界州を訪問して連邦離脱を防いでほしいと要請し、ダグラスは快く使命を完遂した。 側近に囲まれた政治を拒否した人事政策はリンカーンの最も偉大な面の一つに挙げられる。
中国の歴史ではこれより劇的な「昨敵今友」の例も目につく。 春秋時代、斉の桓公の名宰相・管仲の話だ。 桓公は王位争奪戦で兄の公子糾と競争する間であり、管仲は糾の腹心だった。 内乱の真っ最中、桓公は管仲が放った矢で命を落としそうになったこともあった。
桓公は斉公に即位した後、管仲を殺そうとした。 大多数の功臣も「管仲だけは許せない」という意見だった。 しかし桓公の側近であり管仲の友人である鮑叔が「全家族の命をかけて管仲を推薦する」と説得し、桓公は怒りを解いて管仲を登用する。 結局、管仲は宰相になって富国強兵を成し遂げ、斉の桓公を五覇の最初の主人公にした。
「昨日の敵が今日の同志になるのが政治」というが、管仲と桓公のような成功例は多くない。 管仲がどんなに賢人だったしても、桓公が最後まで信頼せず、鮑叔が他の臣僚との間を仲裁していなければあり得なかった。
かつて進歩陣営の大統領選挙候補にも選ばれた鄭雲燦(チョン・ウンチャン)元ソウル大総長が新任国務総理内定者となり、世間を驚かせた。 韓半島大運河建設論をはじめ現政権の経済政策にも随時批判の刃を向けてきた人物であるからだ。
人事聴聞会が残っているが、世間の好奇心はすでに鄭候補者の総理職遂行がどのように進行するかに集まっている。 象牙の塔から出てきた鄭総理候補者が複雑多端な政界に適応できるだろうか。 果たして鮑叔の役割を遂行する調整者はいるのか。 新総理の起用は現政権の局量を試す契機としても作用するようだ。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=120174&servcode=100§code=120