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【日経BP】911テロは公共事業だった!?
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http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/g/93/index.html?cd=sjm
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911テロは公共事業だった!?
さくら事務所取締役会長 長嶋 修氏
2008年7月9日
2001年9月11日に起きた米国同時多発テロ事件は、なんとすべて米国の自作自演だった!?という説がある。一見トンデモ説に聞こえるこの主張だが、実はそうともいえない証拠が次々とあがっているようなのだ。
「911テロの自作自演説」とは要約すれば以下のようなものだ。
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実質的に世界を裏で支配しているとされる、ある勢力に属するビンラーディンと米国が談合して、アルカイダによるテロのシナリオをすべて演出した。みせかけの民間航空機ハイジャックによってワールドトレードセンター(WTC)を破壊し、米国による「正義の戦争」を偽装。WTCやペンタゴンに突っ込んだボーイング機は、実は特攻用に用意された軍用機であり、ビルの破壊は水爆設置によるものだ――
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という説である。試しにネットで「911テロ」「自作自演」などのキーワードを入れて検索してみてほしい。おびただしい数の情報が手に入るはずだ。
注目に値するのは、それらのいくつかは、たんなる邪推や推測によるものではなく、データや事実に基づいて構成されていることだ。例えば米国の某TVメディアでは生放送で、WTCの倒壊より20分も前に、「WTCが倒壊しました」と放映しているのだが、そのアナウンサーの背景にはまだ、WTCが建っているのだ!!
また、ペンタゴンにボーイングが突っ込んだとされているが、現場の建物にあいている穴は、どう見ても小型機程度のものであり、しかも残骸がまったく発見されていない。またWTCが倒壊する直前には、中にいた消防士など複数の関係者が「連続的な爆発音を聞いた」と証言しており、あたかもビルの解体の際に行われる、ダイナマイトなどによる爆発のようだったという。驚くべきことに、米国における、とあるアンケートでは「911テロはアルカイダによる犯行だと思うか?」という質問に対して、半数以上が「そうは思わない」と答えているのだ。
そういえば事件当時、とあるメディアから「WTCのビルの崩れ方を見て、単純に疑問に思ったのですが、ビルというものは、あんなにきれいに壊れるものなのでしょうか」と取材を受けたことがある。ビル建築の専門でないわたしはそのとき、明確な回答を避けたものの、あの壊れ方は直感的におかしいと感じたことを、今でもよく覚えている。
とはいえまさか、テロ以外の可能性を疑うことはなかった。しかし7年近く経過した現在、世の中に出ているさまざまな意見や証拠を調べ、総合的に判断すると、個別詳細の部分ではまだ検討の余地が残るものの、おおよそその通りなのではと思わざるを得ないのだ‥‥。読者の皆さんはそれぞれご自分で調べたうえ、判断していただきたい。
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http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/g/93/index1.html
●キューバ危機や東西冷戦も?
戦争や混乱の演出という点では、実は自作自演の可能性をささやかれているのは911だけではない。例えば、ナチスのヒトラーもやはり、裏で世界を操る同勢力の一味であり、911と同様に演出されたシナリオだと主張する向きもある。カストロのキューバ危機、米露の東西冷戦でさえも。フランス革命や東西ドイツの統一。アヘン戦争やベトナム戦争もしかりだ。わたしたちに身近なところでは、真珠湾攻撃の作戦を米国はあらかじめつかんでいたにもかかわらず、開戦の口実とするために知らせなかったという説もある。これについては一定の証拠も残っており、信憑性は高いといっていいだろう。
これらが仮に、事実であったしよう。それではその「ある勢力」とは、なぜこのような、とんでもない壮大な危機を演出してまで、戦争を引き起こそうとするのだろうのか。
それはまぎれもなく、「経済」のためだ。「お金」のためだ。要するに戦争は、資本主義経済を継続するための「公共事業」という位置づけなのだ。
歴史をひも解けば、例えば日本の戦後における見事な経済復興は朝鮮戦争によるところが非常に大きかったし、世界の景気循環の下降期には、常に戦争という名の「公共工事」が、タイミングよく織り込まれていることに気づくだろう。現代資本主義経済が継続・延命しているのは戦争があるから、というのは歴史的事実である。歴史に詳しい人は、それに伴う経済的側面を、経済に詳しい人は歴史文脈の観点から、全体の流れを調べ直してみてはいかがだろうか。
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http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/g/93/index2.html
●世にあまたある自作自演の構図
こうした話の真偽は置くとしても、その経済の構図は、わたしがかかわる不動産・建設業界も大同小異だ。「経済のための建設」が延々と繰り返され、まさに建てることそのものが目的化しているそのメカニズムは、危機の自作自演の構図と何ら変わりはない。
地球環境や資源を過度に浪費・疲弊させる建設、そして、それは必要悪だとして継続しなければならない世の中だとすれば、その仕組み自体を根本的に見直さなければならないはずだ。建設に対する考え方もやり方も、すべてゼロから再構築する必要があるだろう。なぜなら建設はあくまでも、それを使う人間や地球を含め、広く世の中を幸せにするものだからだ。だからこそ我々は、誇りを持って仕事にまい進できるはずだからだ。
あなたが関係している業界はどうだろうか? 多かれ少なかれどの業界にも、ある種の本末転倒なメカニズムが機能していることだろう。要するに、現在の世の中の仕組みや枠組みの中で、わたしたちや次の世代が、持続可能な幸福を享受していくことは、もはや不可能だということなのだ。
では、このような状況の中で、できることとはなんだろうか。買い物をする際には、地球環境にやさしいものを選ぶよう心がける、ゴミをなるべく出さないで済むような生活をするなど、わたしたち一人ひとりができることはいかにも小さい。それでもその小さなものの積み重ねが、歴史を動かすことだってあるのだ。
世の中の「常識」とか「世間」とか呼ばれているものは、しょせんは一人ひとりの意識を足し合わせたものに過ぎない。まずは自分から。身近なところから、できることから。光の点がだんだんと増えて、やがてその輝きが、存在感が、加速度をつけて増加し、「ポン」と次元が変わる瞬間が必ずやって来る。それまでわたしたちは、自分自身に恥じない生き方、自分に納得のいく生き方をしていればよい。平和への最短距離とは、そういうルートなのだろう。
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