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(回答先: Re: teて 投稿者 きすぐれ真一 日時 2009 年 2 月 24 日 02:02:51)
先進国では成果主義が常識だと書いてる投稿↓があったので、調べてみた。
自治労が時代錯誤の「市長イジメ」 − FACTA (成果主義に反対w)
http://www.asyura2.com/09/senkyo65/msg/326.html
投稿者 児童小説 日時 2009 年 6 月 13 日 12:30:14: nh40l4DMIETCQ
岩間郁夫さんの「アメリカ暮らし(167)給与」(02・10・16) http://www.kennichi.com/culture02/c021016.html そんなことから今日は少しアメリカの給料の話をさせてください。アメリカ企業の給与体系はまず各社員の職種によって2種類に分けられます。管理職や技術者に代表される専門職には年俸制。一般職には正社員とかパートタイム社員に関わらず時間給制をとっています。 年俸制で給与を受け取っている人たちの給料は就労時間の長さと関係無く、年間の成果に対する報酬として給料が支払われます。従って遅刻や終業時間前に職場を離れても、逆に残業や休日出勤しても給料額に全く反映しません。言い換えると成果主義給与で、成果が思わしくなければ、翌年の年俸は下がることも起こります。 一般職の時間給は給料額イコール勤務時間X時間給で決ります。昇給も、年間いくらアップすると云う設定で無く、時間給がいくらアップすると云う表現です。時間給の人たちにとっては何時間働けるか?と云うことが給与額に大きく影響してくるので、日本の労働組合がポスト賃上げ活動の一つのポイントにしているような就労時間の短縮は、一般職の社員にとって実質給料の目減りにつながるので、企業に組合があろうが無かろうが、社員側から就労時間短縮の要求はほとんど出ません。この年俸制と時間給制の2本立て給与システムは民間企業でも公官庁でも全く同じです。 こちらの給与の特徴は月一回の支払いで無く、月半ばと月末の2回払いになっていることです。企業によっては月に関わらず2週間毎に給料を支払うと云うところもあります。何故?給料は月に複数回支払われるか?と云うことですが、年俸の場合は成果期待報酬と云うことで企業側の立場から見ると前払い給与です。従って月1回の給料支払いでも問題は起こらないのですが、時間給の場合は給料は労働に対する後払いになる訳ですから、本来であれば社員は毎日の就労後に、その日の給料を受け取れなければいけない訳です。ただ、それを実施したら会社の給与支払い業務の負担が大きくなり現実的でないので、妥協できる両者の条件として、2週間毎に給料を支払うシステムが生まれたようです。無論、今は法的なバックアップもあるようです。 さて、その給料の中身ですが、先に話したように一般職は時間給x就労時間と残業時間分の割増分で上乗せした金額が給料額になります。管理職や専門職は年俸として決まった額を単純に給与支払い回数で割った金額が毎回貰える給与額です。ただ、営業職だけは年俸に加え、自らの売上額に対してコミッションが上乗せされるケースが普通です。腕の良いセールスマンで、商品に恵まれると、勤める会社の社長より実質給料が高くなると云うことは珍しくありません。 また管理職には会社の業績や部門成果に対してボーナスが支払われることがあります。ただボーナスはその人の雇用条件として付加されるものであって、そのような雇用条件が付加されなかった管理職や専門職にボーナスが支払われることは会社が途方も無い利益を上げたりしない限りありません。ボーナスは広く全社員に!と云う考えは無く、特別な社員に対するインセンテイブです。金額はともかく日本のように年2回定期賞与を得ることが出来ると云うのはアメリカ人にとってうらやましい話です。 |
とりあえずアメリカの話。他の国は検索してもなかなか出てこないし。
「一般職の時間給は給料額イコール勤務時間X時間給で決ります。昇給も、年間いくらアップすると云う設定で無く、時間給がいくらアップすると云う表現です。」というのは、日本でいうならパートなど非正規労働者の給料と同様。
つまり数が最も多いだろう一般職には「成果主義」はあまり関係なさそうである。
その他の管理職や専門職や営業職で給料に差があるのは昔からの日本でもそうで、当り前だが同期入社が何人いたとしてもすべてが社長になれるわけではない。日本でも今の「成果主義」とは違うがひとりひとりを評価して差をつけてた。そりゃつけますな。それに日本では給料の額だけでは評価をしなかったらしいのだが、詳しくは
https://member.jinjibu.jp/longinterview/interview05071501.html。
2004年3号 成果主義及びコンピテンシー評価導入に伴うリスクに関する理論的考察 【立教大学 21世紀社会デザイン研究】 ●福田 秀人 FUKUDA Hideto http://www.rikkyo.ne.jp/web/z3000268/journalsd/no3/no3_thesis5.html 6.アメリカでの成果主義普及論とエンプロイアビリティ論への疑問 日本では、成果主義を導入したため、目標の矮小化やモラールの低下の憂き目にあう企業が目立ってきた。それらは、これまで示した理論から予測される結果であるのに、その原因を日本特有の企業風土や企業の経営能力の低さに転嫁する論説が目立っている。では、アメリカでは、成果主義が、本当に理念通りに運用され、普及したのであろうか。 ロウラー(1990)は、「金の力がやる気をおこすことは分かっていても、いざ賃金システムを作るとなると大変だし、作っても機能させるのが難しい。成果給を導入している会社は多いが、その実態は年功制と大差ない運用をされている」と述べている。ラジアー(1998)は、年功的な賃金決定と終身的な雇用保障がいぜんとしてアメリカの人事制度の主流であることと、個人業績に応じて賃金を払う成果主義は、業績を正しく評価できぬため、部分的にしか用いられていないことを指摘している。小池和男(1999)は、よい統計がないが、各種調査により、賃金に占める業績給の比重は10 〜 20%程度と思われることを指摘している(1999)。フェーファー(1998)は、雇用保障で人材育成を重視する必要と、その成功事例を精力的に紹介する一方、成果主義とそれを好む経営者への論理的な批判を精力的に展開し、成果主義の問題事例を多数紹介している。 以上の論者とやや異なり、カッペーリ(1999)は、「アメリカの長期雇用を基本とする伝統的な人事管理は、20 世紀に入り、企業の組織が巨大化・複雑化し、それに対応する技能を社内に蓄積する必要があったため普及した現象にすぎない」とした。そして、伝統的な人事管理は、製品競争の激化、情報革命、金融改革、それに、働く者自身が雇用保障を一方的に破棄する企業を信用しなくなったことにより崩壊したと断じた。しかし、その一方で、雇用保障の廃止を伴う成果主義は、有能なキーマンの社外流出、社員の会社へのロイヤリティの低下、企業特殊技能の育成阻害といった問題を生むため、好景気になり、労働市場の需給が逼迫すれば、伝統的な人事管理へとゆれ動くだろうとした。実際、アメリカでは、好況の持続に伴う96 年末からの労働市場の急速な逼迫で、リテインメントをキーワードとする伝統的な人事制度論が、サウスウェスト航空やヒューレットパッカードなどを引き合いに盛り返したようである。 なお、カッペーリ(1999)は、「エンプロイアビリティの名分のもとに、社員自身にキャリア開発の責任を負わせ、企業への期待感をさげているのに、社員の企業へのコミットメントは変わらないと思っている」「ホワイトカラー、特に管理職の仕事は企業特殊技能と内部昇進によるものだから、市場原理にそもそもなじまない」「社員自らがキャリアと能力開発に責任を負う代償として、企業は能力開発を支援し、社外での雇用可能性を高めるという施策を企業がし、社員もそれを信じるとは考えられない」と論じた。エンプロイアビリティ論は、雇用保障の廃止を取り繕ろう白々しい建前論にすぎぬということである。 |
投稿者注: コンピテンシー・・・高業績者の行動特性(詳しくは情報マネジメント用語事典) エンプロイアビリティ・・・雇用される能力。 リテインメント・・・雇用の維持。 今どきは米語を翻訳しないで使うので困る。漢字力の貧困なのはお互い様かも知れないが、大学の先生ならせめてもうちょっと何とかしてくれ。明治時代の諸先輩を見よ。次々はいってくる横文字をどんどん漢語に翻訳していったのである。漢字というのは表意文字なので、そういうときにはきわめて便利なのですよ。 |
だそうである。
次も同じ福田氏の文章。
「働くな!」―業績上げれば上げるほどリスク高まる 【ビジネス特報】夕刊フジBLOG http://www.yukan-fuji.com/archives/2005/11/post_3910.html 働けば働くほどリスクが高まる 働かざる者食うべからず、の時代は去った。なぜなら業績を上げれば上げるほど、「前年比」「前月比」などの数字に踊らされるのがオチ。つまり業績をあげれば上げるほどノルマもあがるものと心得なければならない。 ポストを与えた人間を会社が放っておくわけがない。給料や地位が上がる一方で、さらに大きな業績をあげることが期待され、目標という名のノルマがさらにきつくなっていく。自己申告といっても、いったんあげた業績以下の申告は許されず、これまでより業績を落とせば優秀社員からダメ社員へ転落してお先真っ暗となる。 ■ほどほど主義者が生き残る (1)評価の対象となる結果だけを手段を選ばず追い求める これは会社にとって効率のよい社員の働かせ方でもある。一方社員は評価が高くなりすぎるようなら、仕事をセーブしてノルマがはね上がらないようにする。ほどほど主義に徹して要領よく利己的に立ち回ることだ。 ■成果主義はほんとにうまくいく? |
ただし、投稿者の思うに、
(3)評価を得にくい仕事には、できるだけ時間と労力を配分しない
(4)評価の対象とならない仕事は重要な仕事でも一切しない
これを実行する社員が増えると、「評価を得にくい仕事」や「評価の対象とならない仕事」は当然ながらどんな企業にもいくらでもあるのだが(売り上げその他の“成果”に直結しない仕事ですね)、だんだん会社の内部がうまくまわらなくなったり雰囲気が悪くなったりして人が逃げ出し、そうするとそれらの仕事はよけいに誰もやらないようになり、そのうち会社としての機能が果たされないようになれば人が一挙に逃げ出して、結局その会社は倒産するのである。御愁傷様。
まあこの2種類の仕事は企業に限らずどんな社会にもあるのだろうと思うが、それをすすんでやる人がずいぶんと減ってしまったのが今の日本であり、例えば家の周辺を掃除するとか困っている人がいたらちょっと手助けするとかいうのも、知ら〜ん顔をしてすませるか、でなければ役所に言ってみたり(なにしろ“成果”に対して何のご褒美も出ないし。つまり“成果主義”の眼からすると無用・無価値の仕事である。)、自らやる場合にはわざわざ大仰に「ボランティア」と言わなければならないらしい。しんどいこっちゃ。
私の仕事 【内田樹の研究室】 http://blog.tatsuru.com/2009/06/18_1134.php 17日の午前10時にプレスリリースを行った。 だが、どうしてこういうミスが起きるのだろう。 以下は一般論である。 「ジョブ」について書かれた印象深いテクストがある。 uchida : 2009年06月18日 11:34 |
しかし、「私の仕事」の境界線を「ここまで」と限定しなければ、成果は計測できないししたがって成果主義は成り立たない。
話がそれたがともかく、
成果主義の失敗は「当然の帰結」 チャールズ・オライリー 米スタンフォード大学経営大学院教授に聞く(前編) http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080709/164996/?P=1 だが、成果主義の“本場”である米国で人事マネジメントを研究してきたオライリー教授は、日本企業が問題に直面したのは当然で、驚くことではないと言い切る。 米国企業でも好業績の企業は必ずしも成果主義を信奉していないと指摘。職場の一体感を取り戻すため、ビジョンや価値の有用性に再び目を向けるべきだと主張する。 ・・・ もう1つ強調したいのは、すべての米国企業が成果主義を信奉しているわけでは決してないということです。もし仕事の内容が、複数の人が相互に協力しながら取り組んだ方がいいものだった場合、個人に報いる厳格な成果主義を導入すればチームワークが損なわれてしまうのは想像がつくでしょう。 |
これではアメリカでは「成果主義は常識」とはいえません。
次のような見方もある。
成果主義(ウィキペディア) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E6%9E%9C%E4%B8%BB%E7%BE%A9 人事評価への成果主義適用状況 [編集] ・・・ なお、欧米では日本より先に成果主義による人事評価の事実上の失敗を教訓として、現在では成果主義を導入している企業はほとんどないと言われている。 |
例えばプロスポーツの世界なら成果主義が主流になるのに不思議はないし実業の世界でもその方がいい業種その他もいろいろあるとは思うが、しかし現実には常識とはほど遠いように思われる。
上の福田秀人氏の「日本の会社の風土や価値観に問題があるような指摘が目につく。」の一例をあげておく。というよりこれは日米の違いの指摘だが。 アメリカでの成果主義って。 【教えて!goo】 |
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