★阿修羅♪ > 社会問題6 > 394.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 【孤独の岸辺】1(その1)コンプレックス抱き、引きこもり(毎日新聞) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 12 月 31 日 10:07:56)
http://mainichi.jp/select/wadai/kishibe/news/20081231ddm041040005000c.html
孤独の岸辺:/1(その2止) 引きこもる35歳長男 食事作り続ける父
<1面からつづく>
◇伝わった詩の心 「親の愛情とは」自身顧みて
「おう、体調はどうだ」。千葉県に住む父親(64)は仕事を終えると、1人暮らしのアパートから徒歩5分の長男(35)の部屋に寄った。
ゆうべ準備した焼き魚と小松菜の炒め物をテーブルに並べた。テレビはプロ野球初の女性選手の誕生を報じていた。「へえ、すごいな」。長男が人を褒めるのを、初めて聞いた気がする。長男に食事を作るようになって10年。こうやって食卓で向き合えるようになったのは最近のことだ。
長男の引きこもりは大学卒業後に始まった。付属高から大学へ進み、下宿生活を送ったが、就職活動でつまずいた。最終面接まで進みながら、内定に至らない。実家へ戻った長男は荒れた。「なんでおれだけうまくいかねえんだ」。テレビを壊し、ガラスを割り、庭にベッドを投げ出した。間もなく妻は、長女を連れて家を出た。
長男の暴発はいつも食事が引き金になった。味に納得せず、食卓をひっくり返し「そこに正座しろ」と怒鳴った。昼食を準備して出かけると「作り直せ」と職場に電話をかけてきた。
息子に家を乗っ取られた父親は、休日は競輪、競馬に居場所を求め、海岸に座って日暮れを待った。夕食後は長男が寝付くまでマンガ喫茶で過ごした。やがて別に部屋を借り、黙って食事を届けるようになった。
5年ほど前、引きこもりの親の会に加わった。他の親と話すうちに、長男の行為は父親である自分の生き方と関係しているのではないかと考えるようになった。
終戦の前年、四国に生まれた。戦争の記憶はないが、長男の祖父は在郷軍人の指導役を務めて戦後に公職追放を受けた。専門学校を卒業後上京し、公務員に。職場の反戦集会で妻と出会った。
自由に生きることにこだわった。子供たちには、早くから自立を求めた。仕事と組合活動に熱中し、長男が中学生のころは家政婦に炊事洗濯を任せた。「勉強しろ」「働け」。そんなことを言った覚えはない。ただ、進学や就職の相談に乗ってやるような父親でもなかった。
自分たちは高度経済成長期の時代の風に後押しされ、家にテレビや車がきただけで喜びを感じられた。
「長男には引きこもってから月9万円の小遣いを渡した。カウンセリングにも若い人の1カ月分の収入を使ってきた。それでもあいつは親の愛情と感じられなかったかもしれない。お金を出せない方が、『申し訳ないけど小遣いをあげられない』と泣きついた方が、『気にかけてもらっている』という気持ちになったのかもしれない」
数年前、職場の季刊誌に詩を発表した。自分が長男にしてきたこと、推し量った長男の気持ちや寂しさを詠んだ。
<おまえなんか、いなくなれ/おおきな椅子をなげつける/あたりそこねて障子わる/あたればよかった なぜ逃げる/椅子を壊さずすんだもの
おまえなんか、いなくなれ/おおきな腕をふりおろす/うさぎ怯えて泣き叫ぶ/逃げればよかった なぜ逃げぬ/おまえ泣かずにすんだもの>
思いが伝わったのだろうか。長男の表情は徐々に穏やかになった。ある時、これからは一緒に食事をしようと持ちかけると、うなずいた。「風邪、大丈夫か」「無理すんなよ」。長男からそんな言葉が聞けるようになった。自分の死後に不安はある。でも長男は、その前に動き出すのではないか。
午後9時。自宅に戻り、翌日の食事を作る。野菜の天ぷらと、鶏の空揚げ。味に自信があるわけではない。体重を気にしているあいつには、ちょっと脂っこいかな、とも思う。
大みそかは、とびきりうまい年越しそばを作ってやろう。【市川明代】=つづく
==============
この連載へのご意見、ご感想をお寄せください。〒100−8051(住所不要)毎日新聞社会部。ファクスは03・3212・0635。メールはt.shakaibu@mbx.mainichi.co.jp
毎日新聞 2008年12月31日 東京朝刊