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http://mainichi.jp/select/wadai/kishibe/news/20081231ddm001040007000c.html
孤独の岸辺:/1(その1) コンプレックス抱き、引きこもり
◇「社会滅びろ」ポケットにナイフ 救ってくれるのは母
6月の週末。その数日前、東京・秋葉原では無差別殺傷事件が起きていた。男性(36)は都内の自室で迷彩服の内ポケットにアーミーナイフを忍ばせ「渋谷に乗り込んでやる」と息を荒らげた。「こんなに苦しんでるのに、チャラチャラしやがって」。楽しそうに街を歩く若者への強い嫉妬(しっと)を以前から口にしていた。6年前からつき合っている支援者が、異変を察知して駆けつけた。
気分転換のため電車で外に連れ出し、途中で飲食店に誘い込んで手を握り、背中をさする。落ち着きを取り戻した男性は、サングラス越しに目の前を通り過ぎる群衆をにらみつけ、声を絞り出した。「この野郎……。こんな社会、滅んでしまえ」
母を殴る父の姿におびえて育った。中学のバスケット部では顧問教諭から問答無用で平手打ちを浴びた。「なぜ自分はこんなにも弱くて小さいのか」。周囲への恐怖は体格コンプレックスに変わり、母に手をあげるようになった。中2の春、父は別の女性と家を出た。
高校中退後は自室にこもりがちになった。いら立ちが募ると、頭や体を壁に打ちつけ、包丁を手に母を追った。それでも母はどこへでもついてきた。2人で精神科やカウンセリングの窓口をたずねた。「とりあえず薬を出しましょう」「そのうち治りますよ」。お決まりの対応に落胆した。
6年前、引きこもりの当事者の集まりに参加し、支援者に出会った。アジアへの2人旅に連れ出され、勧められるまま哲学や心理学の本を読みあさった。母が定年で郷里の青森・奥津軽へ帰ったのを機に、自立を目指し、一人暮らしを始めた。
だが、コンプレックスはいまも消えない。大柄な男性におびえ、部屋へ逃げ帰る。街行く若者の姿に気持ちが高ぶり、電柱に拳を打ちつけて耐え忍ぶ。警備のアルバイトもスーパーのレジ打ちも、人の言動が気になって続かなかった。「社会に認めてもらいたいのに、どうすればいいのか分からない……」
秋葉原事件が起きたのは、そんな時だった。「不細工」「負け組」と自分を卑下して孤立感を強めた加藤智大(ともひろ)被告(26)を、自分と重ね合わせた。
今、日に何度も母に電話をかけ、耐えられなくなると、青森行きのバスに乗る。何もかも受け止めてくれる64歳の母が待っている。「母がいるから、僕は加藤君にならない」
◇
宮崎県延岡市。長屋の玄関を上がると、がらんとした6畳間で、うぐいす色のカーディガン姿の母の遺影がほほ笑む。この奥の3畳間に、息子(39)は25年間引きこもってきた。
生後まもなく父は病死。スーパーの総菜調理場で土日も休まず働いた母は定年後、1日の大半を6畳間でテレビを見て過ごした。母は息子のことを、誰にも相談できなかった。息子は母に、焦りや不安を打ち明けられなかった。二人はガラス戸1枚隔てたそれぞれの部屋で、沈黙を続けた。
8月、母が腎不全で入院した。息子が手を握ると、母は「私に勇気がなかったもんね」と告白した。「ごめんね」と謝ると、「そんなこと言わんでいい」。顔を背けた。9月、77歳で息を引き取った。
母の告白が息子の背を押した。支援団体に救いを求め、役所に生活保護を申請した。
引きこもりは国の調査で32万人、民間推計では100万人規模に達している。
◇
奥津軽は地吹雪の舞う季節を迎えた。年の瀬、男性は母のもとを訪ね、将来への不安をこぼした。母は言った。「それでも生きれ。必ず生きれ」【市川明代】
× ×
それぞれの孤独を抱えながら寄り添って生きる人たち。その心を見つめる。
毎日新聞 2008年12月31日 東京朝刊