★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK56 > 693.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://www.amakiblog.com/archives/2008/12/08/#001277
2008年12月08日
今日発売の週刊現代に掲載された田母神発言は国民必読の発言だ!ーその@
今日発売の週刊現代12月20日号に「田母神激白核武装宣言」という衝撃的なタイトルで、あのお騒がせ元自衛隊航空幕僚長の言いたい放題が掲載されている。
日本は侵略国家ではなかった、とか、自衛隊を強化しなければならないとか、世の護憲論者、平和論者が聞いたら腰を抜かすような発言のオンパレードである。
しかし、はからずも週刊現代に語った田母神氏の発言は、アパグループ論文における発言とはまったく異なった意味合いを持っている。
そこにはこの国の欺瞞が見事に喝破されている。
田母神氏の言動は、本人が気づいているかどうかわからないが、明らかに新しい段階に入りつつある。田母神氏のこのような発言が今後もエスカレートしていけば、日本政府・外務省を苦境に追い立てる事になるに違いない。
繰返して強調する。
週刊現代12月20日号に書かれた田母神発言は国民必読の発言だ。
そのあまりの衝撃性のゆえに、私は今日から連載でその一つ一つの問題点をこのブログえぐりだしていく事にした。
第一回目のこのブログでは、
「田母神論文騒動を招いた責任は誰にあるのか」 について書く。
田母神氏によれば、氏は04年6月に、統幕学校研修団長として北京を訪問し、その時に、中国人民解放軍総参謀長のナンバー2、範長龍中将と30分会談をしたという。
そしてその会談で範中将は冒頭から10分間も、とうとうと日本軍の残虐行為への批判を続けたという。
我慢ならなくなった田母神氏はその発言をさえぎって、「日本軍が中国に対して悪い事をしたとは、私は思わない。平和な時代にも暴行や殺人はあるではないか」と反論したという。
そればかりか、壁にかかっていた江沢民主席の写真を示して、「98年の来日時に日本の歴史責任を触れ回って、日本では大変嫌われている」と伝えたという。
当然のことながら中国側は反発した。帰国前に研修団が主催した北京飯店での答礼夕食会では「欠席ラッシュ」であったという。そして翌年からは訪問自体が中止になったという。
こんな事件があったのだ。情報隠しが徹底されていたと見え、一切報道されなかったようだ。私も知らなかった。
問題は、その後に続く田母神氏の次の発言である。
「・・・ところでこのときの私と範中将との論争は、北京の日本大使館から公電を通じて、東京に詳細な報告がなされています。外務省も防衛庁も首相官邸も、誰もが知っていたのに、どこからもお咎めがなかった。それどころか防衛省内ではむしろ『よくぞ言った』と私を評価する声が多かったのです・・・私は一貫して同じ発言をしているのに、今回に限ってなぜ袋叩きに遭わねばならないのでしょう?・・・」
この田母神氏の発言は正しい。
政府はその時点で田母神氏を更迭していなければならなかったのだ。
その時外務省が官邸に田母神氏の更迭を強く迫っていれば、少なくとも今回の騒動は起こらなかった。
おりしも当時は小泉元首相の靖国参拝拘泥で日中関係が急激に悪化していた時だ。
あの時外務省は小泉元首相の靖国参拝にこぞって反対していたはずだ。
ところが保身の為に誰もそれを直言しなかった。
かわりにOBを使って反対の意向を遠まわしに伝えようとした。
駐中国大使などは現職を退いた後で反対の声をあげる始末だ。
04年の田母神、範会談とそれに対する中国の反発を知った外務省が、防衛庁と同じく、「よくぞ言ってくれた」と考えていたのなら何をかいわんやである。
しかし、もし外務省が田母神氏の言動は外交的に大きな問題を引き起こす危険性があると考えていたとすれば、そしてそれはその通りになったのであるが、それにもかかわらず、なぜ策を講じなかったのか。
面倒なことにはひたすら目をつむり、それを隠し、田母神更迭に動かなかったとしたら、官邸や外務省に田母神氏を批判する資格はない。
田母神論文騒動を招いた責任は政府の不作為にある。
そしてその最大の責任は外務省の事なかれ主義であるのだ。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK56掲示板
フォローアップ: