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(回答先: 第48回 自民党をぶっ壊す! 小泉首相の後継者選び (2005/10/07) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 21:55:39)
第49回 小泉強権政治がもたらす「自由」と「民主」の末路 (2005/10/11)
http://web.archive.org/web/20051013082052/nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051011_matsuro/
2005年10月11日
さまざまな人が、ポスト小泉について語りはじめている。
「文芸春秋」(11月号)の赤坂太郎は、有力候補として世評が高いのは、「麻垣康三」(麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三)だが、ウルトラCは竹中平蔵ではないかという説を立てている。
「麻垣康三」より竹中平蔵を後継者に!?
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これはありえない話ではないと思う。
小泉首相が本当に宣言通り1年でやめてしまう場合、後継者に本職の政治家をすえると、最初はいくら小泉首相に忠誠を誓い、「小泉改革路線をずっと踏襲していきます」などといまいっていたとしても、首相になってしまったあとでは、いつ小泉路線から外れてしまうか知れたものではない。
政治家はみんな独特の個性を持ち、独特の識見、独特の世界観を持つ存在なのだから、それは当たり前といえば当たり前といえる。
しかしその点、竹中であれば、もともと
「竹中イコール小泉改革そのもの」
といっていいような存在であるから、小泉改革路線から外れるはずがない。
それに、竹中は自分独自の政治力を持っていないから、竹中が首相になったとしても、政治力の面では小泉に頼りきりにならざるをえないから、竹中は小泉首相が最もコントロールしやすい首相ということになるだろう。
竹中は、最初の小泉内閣で経済財政政策担当大臣に選ばれたとき、皆びっくりしたが、その後すべての内閣改造で、金融担当大臣・経済財政政策担当大臣、内閣府特命担当大臣(金融・経済財政政策)と、常に小泉首相の坐右に置かれ、政策面での懐刀(小泉改革のデザイナー)としてその存在感を増してきた。
大臣になりたてのころは、議席も持たない民間人とバカにされ、自民党幹部とも官僚とも仲がギクシャクしていた。
だが、徐々に堂々のやり手ぶりをはっきりするようになり、最近では、ふるまいも政治家らしくなり、態度も自信たっぷりで国会答弁なども堂々としてきて、新しいタイプの政治家として押しも押されぬ存在になりつつある。
竹中なら、元々大学教授だからこの選挙でドッと出現した小泉チルドレンをひきいる教師役としてもツボを心得た指導ができるだろう(チルドレンのほとんどは、竹中の教師時代の教え子の年齢だ)。
そのあたり、うまくやっていけば、小泉チルドレンをひきいる竹中親分として、これからアッという間に大きな政治力を身につけていくことになるかもしれない。なにしろ小泉チルドレンの頭数が多い。全部合わせたら、最大派閥の森派より大きくなってしまうのだ。
というわけで、いずれもクセがありすぎる「麻垣康三」(谷垣はクセがあるというより、妙な“育ての親”=加藤紘一=がついているのでうるさい)よりは、小泉首相が竹中を後継者に選ぶ可能性は大いにあると思う。
next: 後継者候補を次の内閣に入れて…
http://web.archive.org/web/20051013090414/nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051011_matsuro/index1.html
後継者候補を次の内閣に入れて劇場型で競わせる
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「月刊現代」(11月号)の「中曽根康弘『小泉君、数の洪水に溺れるな』」で、ポスト小泉について、中曽根元首相が田原聡一朗とこんな話をしている。
中曽根 彼はまず選挙を劇場型にしましたね。これからの1年も劇場型をつくりだそうと考えていますよ。
田原 どういう劇場型ですか。
中曽根 後継者候補を次の内閣にみんな入れて競わせるという形です。
田原 全員入れちゃうわけですね。
中曽根 うん。その各々の後継者が何を政策しているか、相互の関係がどう変化していくか、あるいはどのグループとどのグループが手を握って日本の政治を動かしていくか。そういう後継者争いもまた劇場型にする。2人の決闘ではなくて、数人の決闘にする。
田原 それはすごい話だ。これはマスコミが取り上げざるを得ない。
中曽根 でしょうね
これまた大いにありうるシナリオだと思う。そうなると、これまでの小泉内閣は、小泉首相が自分以外の政治家が実力をたくわえるのをきらっていたため、どちらかというと粒が小さい政治家がならぶ中軽量内閣ばかりだったが、今度は次あるいは次の次を狙う実力者がズラリと顔をそろえた実力者内閣になるのだろうか。
実力者はみんな消えてなくなった
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ちょっと考えるとすぐにわかることだが、そういうことは考えられない。
なぜなら自民党から、すでにいわゆる実力者といわれる人々、あるいは実力者予備軍的存在であった人々はみな消えてなくなってしまったからだ。
第一にかつてのような派閥を背景とした古典的実力者は、派閥そのものが形骸化・弱体化してしまった今日、なきに等しくなってしまった。
このカテゴリーで残っている人は、宏池会(堀内派)を引きつぐ谷垣くらいといっていいだろうが、谷垣は派閥を背景にしていても、パーソナリティからいっていわゆる実力者的ふるまいをする人ではない。
第二に、派閥をひきいていないまでも、これまで独自の推薦者20人をそろえて総裁選に立候補したことがあるようなグループリーダー的な人も今回の政変(郵政解散・総選挙)の過程で、ほとんど消えてしまった(落選あるいは自民党追放)。このカテゴリーで残っている人は麻生ぐらいだろうか。
実力者とまではいかなくても、自分のグループをそれなりにひきいている人としては、小泉首相のかつての盟友である山崎拓(前副総裁)がいる。またまた小泉首相が妙に山崎に肩入れするようだと、山崎の存在感が増してくるかもしれない。しかし、あまりにも多くの弱点をかかえこむこの人が、次の首相の座を争う一人になるとは私には思えない。
next: 先に引いた「文芸春秋」の赤坂太郎は…
http://web.archive.org/web/20051013090506/nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051011_matsuro/index2.html
先に引いた「文芸春秋」の赤坂太郎は、ウルトラCの竹中平蔵と山崎拓が組む可能性を示唆している。あまり高い可能性とはいえないが、一つの可能性としては、あるだろう。小泉首相に対する忠誠度という観点から、小泉首相がいかにも気に入りそうな組み合わせだからだ。
もう一人、急に存在感を増しつつあるのが、今回、衆院郵政民営化特別委員会の委員長として、今回の選挙の仕切り役の一人にもなった二階俊博総務局長だろう。もともと保守党以来の二階グループをひきいていたが、今回の選挙で手兵(雑兵だが)を増やしたから、これからそれなりに大きな声を出せるようになるだろうが、彼が次の首相の座を狙うというレベルにはいきそうもない。
いずれにせよ、いまの自民党の体制下では、どれほどポテンシャル的には実力政治家になる可能性を秘めた人であっても、自力でその可能性を開花させていくことはほとんどできない。小泉首相から、政府ないし党のしかるべき役職に任じてもらえないと、チョボチョボの政治家で終わってしまう。
小選挙区制ではスケールの小さな政治家しか残らない
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小選挙区制度になってから、政治家の質の低下がいちぢるしい。なにしろ、小選挙区というのは、県会議員の選挙区、あるいは都会議員の選挙区より小さく、それだけに、ドブ板選挙的な活動を一生懸命にやらないと当選できない。バックにする有権者の数からいっても、日常政治活動の水準からいっても候補者のスケールは小さくなるばかりである。
この一点だけをとっても、私は小選挙区制度は失敗だったと思っている。早く中選挙区制度に戻さないと、候補者のスケールは元に戻らないと思う。
今回の選挙で明るみに出た小選挙区制度のもう一つの欠点は、一連の刺客候補のように、総裁権限で落下傘候補をあちこちにバラまき、比例区との重複立候補にして、比例名簿の上位に置いてやれば、どんな不人気、不適切候補でも、当選してしまうということである。
そして、いったん当選してしまうと、その不人気・不適切候補が、その選挙区の支部長になって、その地域の政治活動を取りしきることになるから、自然にパワーを持ってしまう。
今回の選挙が証明した最も大きなことは、こういう制度の下では、党総裁の権力が圧倒的なものになるということである。政治家の死命を制するものが党の公認だから、公認権を握る党の総裁の権力が、絶対化する。
党中央に対する反逆者に対しては、公認を与えないという懲罰を加えるだけでなく、選挙が終わったあとも、党から除名し、支部長職を奪うことで、相手に政治活動のチャンスも与えず、政治生命を奪うどころか、完璧に干枯らびさせ、死滅させることができるということである。
すでに何人かの有力政治家が、見せしめ的にそのような死滅の道をたどらされている。
権力闘争の世界は、最終的には殺し合いになる。競争相手をできるだけ沢山無情にかつ非情に殺せば殺すほど権力者は畏怖され、そのパワーは強大になる。
next: 日本は帝王が支配する専制国家に…
http://web.archive.org/web/20051013090506/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051011_matsuro/index3.html
日本は帝王が支配する専制国家になりつつある
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この政変でこれほど沢山の政敵を一挙にほうむった小泉首相は、いまや、帝王のごとく畏怖されている。
最近の週刊誌で、最も印象的だったのは、「週刊現代」(10月22日号)にのった、「小泉が靖国神社に『この秋“凱旋”参拝』という記事の次のくだりだ。
「『総理のお通り〜』
国会内で警備がこう叫ぶと、小泉チルドレンと呼ばれる新人議員たちが通路左右に並び立ち、一斉に平伏して頭を垂れる。その中を得意満面の表情で歩き、SPに先導されながら車に乗り込む光景も見られた」
これではまるで、江戸時代の将軍様のお通りみたいではないか。
この光景を見たベテランの自民党議員が、次のような感想を述べている。
「テレビドラマ『白い巨塔』で、『財前教授のお通り〜』という声とともに大学病院の廊下を闊歩する財前教授の姿そっくりです。全盛期の故・田中角栄元首相に対してでさえ、国会議員たちが国会内でこれほど平伏することはなかった。民主主義国家の日本が、一夜にして専制国家に成り下がった思いがします」
いやほんとに、この人のいう通りだ。日本は帝王が支配する専制国家になりつつある。
この前、小泉首相が施政方針演説をするときの国会風景をテレビで見ていて、何か異様なものを目にした思いがした。
小泉首相が演説を一区切りするたびに、議席の前面にズラリとならんだ小泉チルドレンたち(1年生議員は、党派別に前のほうにならぶことになっているからどうしてもそうなる)が一斉に手を叩くのだが、それが、かつてのソ連や東欧諸国、現在の北朝鮮など、専制主義国家(共産主義国家)の国会にあたる最高人民会議の光景とあまりにもそっくりなので、気味が悪くなったのである。
あれらの専制国家がどのようにしてできあがっていったのかというと、党中央に対する反逆はいっさい許さず、反逆者に対しては、政治的自由を奪い、場合によっては、肉体的生命すら奪うという処刑(政治的あるいは肉体的)を積み重ねていき、恐怖心をあおるために、その処刑を公開の場で行い(あるいはマスコミにかぎって公開)、よき見せしめにするということを積み重ねることによってである。
next: 日本においても…
http://web.archive.org/web/20051013090659/nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051011_matsuro/index4.html
日本においても、それらの専制主義国家の党と友好関係にあった日本共産党においては、党内権力闘争の過程で何度も何度も同じことが繰り返された。党中央に対する反逆を理由として、政治的実力はあるのに、党中央と意見を異にした政治家たちの政治生命が次々に奪われ、やがて、みんな党中央に従順になるとともに、党の活気が失われ、共産党全体が政党として凋落していった。
1945年が日本国民全体に与えた教訓
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私は、日本という国の最大の政党であり、しかも、自由と民主を党是として、それを党名にかかげる自由民主党が、そのような専制主義国家の党と同じ方向をたどろうとしている現状に最大限の危惧を感じている。
小泉首相がこの政変でやったことは、自民党に共産党と同じ組織原則を押しつけることだった。党中央に対する反逆者は絶対に許さず、その命(政治生命)を奪うということである。健全な政治は、政治的な自由(政治的言論の自由。政治的行動の自由)が保証された社会でしか育たない。権力者が強権によって政敵を圧殺することが許されている社会は、いずれ、その強権政治の故に滅びる。
社会が歪んだ方向に走っても、政治的自由が保証された世界は、それがフィードバック装置として働いて、歪みを正す方向に進むことができるが、そのようなフィードバック装置が働かない社会は、いずれ、社会全体が暴走をはじめて、脱線・転覆にまでいたらないと止まらなくなってしまうのである。それが 1945年が日本国民全体に与えた教訓ではなかったか。そこのところに、なぜ一般国民も、自民党のヒラ党員たちも、気がつかないのだろうか。
私は「自民党の共産党化」と「小泉首相の帝王化」を一刻も早く喰いとめないと、日本という国家に取り返しのつかない不幸を招くことになると思っている。
立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
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