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(回答先: 第22回 立花隆の仕事場から知を巡る大冒険へ! (2005/06/27) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 11:30:58)
第23回 “女帝”誕生は是か否か! 皇位継承の原点から考える (2005/06/28)
http://web.archive.org/web/20051231032541/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050628_jotei/
2005年6月28日
いま、内閣府に置かれた「皇室典範に関する有識者会議」の場で、これまで男子のみに限られてきた天皇の位を女性にも認めるべきかどうかの議論がずっとつづいている。
世論調査によると、国民の80%以上が、女性天皇でもいいではないかという意見になっているのに、有識者会議の一部に、強固な男子のみに限るべしの意見があって、なかなか意見がまとまらないと聞く。
「文藝春秋」連載の「私の東大論」最終回を書くために、東京大学の南原繁総長が終戦直後、貴族院本会議でおこなったという、天皇は戦争責任を明らかにするために退位すべきだと述べたという演説を原文でみたいと思って、議事録を探したら、それは、昭和21年12月17日の、皇室典範案を議する審議の中でおこなわれたものだった。
新しい皇室典範に、天皇の退位に関する規定が何もない(現行規定では天皇は即位したら終身在位するものとされている)が、天皇がもし自分からやめたいと思ったときにやめられないというのは、天皇の基本的人権の侵害になるのではないかというところから、南原氏は議論をはじめている。
そして天皇が、自分に戦争責任があることをはっきり自覚していたことは、終戦決断の最終段階で、連合軍への降伏の結果、自分の一身にどのようなことがあろうとも(自分が殺される結果になろうとも)、終戦にもっていくつもりだと語った言葉の中にはっきりあらわれており、この先、東京裁判の判決とか、講和条約の発効といった区切りのいい時をきっかけに自分から退位したいといいだすにちがいないと思うが、そのとき、退位規定がないから退位できませんなどといって、天皇の決意を縛るようなことがあってはならないことだというように、南原氏は議論をすすめていったのである。
そのあたりのことは「文藝春秋」に書いたので、ここではこれ以上述べない。
ここで述べたいと思ったのはそのことではない。その同じ議事録の中で見つけたもう一つの面白い争いである。そこで、いまの日本でホットな議論の渦中にある天皇の地位を男子だけに限ることが正しいことなのか、女子が天皇になることも認めるべきではないか、という議論がすでにこのとき、貴族院でさかんに行われていたのである。
日本国憲法公布直後に議論されていた皇位継承問題
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この問題で質問に立ったのは、京都大学の法学の泰斗氏、佐々木惣一氏だった。
貴族院というのは、いわゆる爵位を持った貴族だけが議員だったのではなく、有力な政財界人、有力行政官僚OB、学識経験者なども勅選議員として議員に選ばれていた。特に、戦争が終わったあと、連合軍による占領がはじまると、戦前国家中枢につらなっていた人々が次々に民主国家にふさわしからぬ人物として公職追放に会い、貴族院議員が足りなくなったので、沢山の学者が学識経験者として選ばれて貴族院議員になった。南原氏も、佐々木氏も、そのようなにわか造りの議員の一人だった。
next: 佐々木氏はこう質問した…
http://web.archive.org/web/20060103023146/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050628_jotei/index1.html
佐々木氏はこう質問した。
おたずねしたい内容の第二点といたしましては、女子に皇位継承の資格を認めないのはいかなる理由によるのかということであります。
これはご存じの通り、現行の皇室典範でも、女子には皇位継承の資格を認めておりませぬ。
しかしながら、皇室典範というものも、その前に基礎として憲法というものを前提としておるのでございます。従いまして、皇室典範がいかなることを規定し得るか否かということは、憲法との関連において考えなければなりません。
しかるに、この点において、帝国憲法と、これからやがて実施さるべき日本国憲法の間には、非常なる差異があるのであります。
このとき新憲法はすでに議会を通って、公布(昭和21年11月3日)されていたが、実施は翌年5月3日まで待たなければならないという微妙な時期だった。
帝国憲法には「皇男子孫」とあり、天皇たる方をはっきり男子に限っているのであります。
しかるに今回のやがて施行されますべき日本国憲法によりますれば、天皇たる方は男子に限るという制限はないのであります。もとより女子でもよろしいとも規定していない。男子たるか女子たるかということは、憲法自身は何等これを規定していないのであります。がしかし、こういうこともいえるのであります。すなわち、女子を否定しておるものではないということはいえるのであります。
この点が従来の帝国憲法と根本的に差異のある点であります。そうなりますと、この問題を従来の憲法と同一の態度で考えるのは適当であるまいと考えるのであります。
ここで佐々木氏が言及していることは、わかりにくいが、天皇制の問題を考えるのに重要なポイントであるから、簡単にまとめておくと、事情はこうだ。
明治憲法では、第二条で、
「皇位は皇室典範の定むる所により皇男子孫之を継承す」
と、男子しか天皇位につけないことが明確に定められていた。
旧皇室典範第一条にも、
「大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承す」
とあり、どう疑いもなく、男子しか天皇になれなかった。
ところが、新憲法では、天皇位の継承については、第二条で、
「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」
とあるだけで、男子にかぎるとも、女子でもいいとも、性別に関しては何も決めていない。
ただ、「皇室典範の定めるところにより」と、皇位継承のルールは皇室典範によるということだけが定められている。そして、皇室典範がこの点に関してどう定めているかというと、第一条に、
「皇位は皇統に属する男系の男子が、これを継承する」
とあり、ここにはじめて、男子にかぎるということが出てくる。
next:“女帝”を認めない皇室典範は簡単に改正できる
http://web.archive.org/web/20050827141208/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050628_jotei/index2.html
“女帝”を認めない皇室典範は簡単に改正できる
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では、天皇は男子にかぎるということがいまの日本国の動かし難いルールとして確立しているのかというと、そうはいえない。
皇室典範というのは、ただの法律であって、憲法のように、改正するには、その発議をするだけで両院の三分の二以上の賛成が必要で、その上に国民投票にかける必要があるなどという特別にきつい縛りがかかっているわけではない。
普通の法律と同じように、簡単に発議ができるし、国会の過半数の賛成によって、その内容を変更することができる。
もし、皇位が男子にかぎるということが憲法に明記してあったら、女子を天皇位につけるためには憲法改正が必要になってくる。しかし、憲法では男子か女子かを規定せず、その点に関しては、ただ、皇室典範によるという規定しかないという現行法の状態では、女子の天皇を持つようにすることは法的にはさして難しいことではない。
皇室典範の第一条を改正して、「皇統に属する男子がこれを継承する」というところを、「皇統に属する男子又は女子がこれを継承する」に変えてしまえば変わるのである。必要なのは国会でその改正案を通すのに必要な過半数の票だけである。
ここで念のためにいっておくと、これは新憲法下の皇室典範についてだけいえることで、旧憲法下の皇室典範はまるでちがっていた。旧憲法下では、皇室典範は最も特別な法で、ある意味では、憲法よりも上位とされる法だった。それはいってみれば天皇家の家内法であるから、天皇家の家長たる天皇が決めるきまりであり、平民が議会の決議などを通して関与できる法では全くなかった。これに天皇以外関与できたのは、皇族会議と枢密顧問官会議だけだった。
しかし、今は、皇室典範は一般の法律と同じただの法律なのである。従って国会の議決だけで改廃可能なのである。ただ、現行法でも、皇室典範をどう運用するか(具体的な皇位継承など)は皇室会議で決定されることになっている。皇室会議がどのようなものかというと、皇族2名の他は、衆参両院の議長、副議長、内閣総理大臣、宮内庁長官、最高裁判所長官及びその他の裁判官1名の合計10名である。こちらはあくまで運用にあずかるだけで、典範それ自体の改廃には参考意見を述べることはできても、特別の機能は何も持たない。
このあたり、天皇中心の明治憲法体制と、主権在民の昭和憲法体制と根本的にちがうところである。
先の貴族院における佐々木惣一氏の質問に話を戻すと、佐々木氏は、憲法では、男子でも女子でもよいとされているのに、皇室典範で男子に限るとした理由は何かと問いただした。
女子には、女子であるが故に、天皇位につくにふさわしくない特別の理由があるのか。新憲法は、男女平等という原則を定め、参政権など、社会生活のあらゆる側面で男女に同じ機会を与えつつある現状にかんがみると、皇位継承においても、男女の差別をつけないほうが、新憲法の精神に合致するといえるのではないか、ということだった。
next: 感情論からすると、男性の側には…
http://web.archive.org/web/20050827000737/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050628_jotei/index3.html
感情論からすると、男性の側には、女性が天皇位につくのはどうも好かない人もいるかもしれない。しかし、感情論でいくというなら、女性の側に、女子をそのように差別するのは怪しからんという声もある。この際、感情論はお互いに捨てて、国家のためにはどちらがよいのかを冷静に論ずべきである。冷静に論ずるなら、女性の天皇はどうしてもいけないという理由はないのではないか。
この質問に対して、幣原喜重郎首相は、正面から答えることを避けて、微妙な言いまわしで逃げた。
女子に皇位継承の御資格を認めない理由についての御質問でありましたが、この点は極めて重要な問題でありまして、幾多考慮を要する面倒な問題も含んでおります。すこぶる慎重なる考慮を要する問題でありまして、事実問題としては、さしあたり男系の男子たる皇胤が断絶するというおそれがないのであります。従ってこの再従来の原則をあらためて、女子の方に皇位継承の御資格を認めることを改定することは、少くともその時機ではないと考えたのであります。
要するに、実質的な答えは何もせず、とりあえず、皇統断絶の恐れがないことを理由に問題を先送りしただけの答弁だった。
天皇問題をクリアにする視点は「憲法第一条の尊重」に尽きる
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そしていま進行している事態は、皇統断絶の恐れが具体的に出てきたために、いよいよ、女性天皇を認めるかどうかの議論に決着をつけることが求められはじめたということだろう。
しかし、有識者会議で繰り返されている議論は、すべてこれまでさまざまの形で繰り返されてきた議論の蒸し返しでしかない。一方の極には、歴史と伝統を強調して、皇統は男子に限る(歴史上の女性天皇はすべて中継ぎ役でしかなかった)の議論があり、もう一方の極には、新憲法の男女平等の議論をベースに、女性天皇を容認すべしの声がある。
ここで私は、独自の議論をひっさげて、この大論争に参加する意図はない。
私がこの問題でいいたいのは、たった一言につきる。
野放しにしておくと、百花繚乱どこまでも広がっていくあらゆる天皇問題に決着をつけられる視点は、憲法第一条の尊重という一点にしかないということである。
すなわち、「天皇の地位は、国民の総意にもとづく」という視点である。
いかなる天皇も、国民の総意を離れたら安泰ではいられない。そもそも、国民の総意から離れた天皇など憲法の規定からいって、あってはならないのである。
いかに、歴史と伝統を重視する人々も、天皇をそのような不安定なポジションに置く(国民の総意から離れた位置)ようなことをしてはならないと思う。
next: とすれば、女性天皇の容認問題に関しては…
http://web.archive.org/web/20050827011919/http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050628_jotei/index4.html
とすれば、女性天皇の容認問題に関しては、とっくに結論が出ているというべきである。いかなる調査によっても、女性天皇容認論は、常に一貫して8割をこえているのだから、国民の総意はあきらかにそちら側にあるのである。
それに、天皇の伝統よりもっともっと長い伝統に立てば、女性天皇を認めるというのは、ごく自然な流れである。人類史の大部分の時代、大部分の地において、神とあがめられてきたのは、大地母神であり、女性の神だったのである。日本だって、天皇家の祖先よりもっと古い時代の日本の支配者は卑弥呼と呼ばれる女王だったではないか。
21世紀の天皇は体外受精で生まれる!?
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それより何より、万世一系を問題にしたいなら、人類史において万世一系に何より近いのは、女性だけが遺伝的に受け継いでいるミトコンドリアの流れである。
私は、いまの有識者会議の、有識者の選び方がそもそも間違っていると思う。
有識者の選び方が歴史と伝統を語る人の側に著しく偏りすぎている。この問題で正しい認識に達するためには、もう歴史と伝統の話は十分だから早く、生物学、遺伝学、DNAの立場から、万世一系だの、性の役割を語ることができる人たちを委員に選んで話を聞くことだ。
私は愛子さまのみで十分という立場に立つが、もし皇太子夫妻におかれて、第二子、第三子がどうしても欲しいとお思いになられるなら、早く高度生殖医療技術の利用に正々堂々と踏み切るべきだと思う。自然生殖以外は不自然と考える立場は、いまやアナクロ以外の何ものでもない。
お二人は、自然生殖ですでに愛子さまを得た以上、それぞれの精子、卵子の授精能力、受胎能力は立証されているのだから、正々堂々の不妊治療に踏み切れば、体外受精で第二子目、第三子目を妊娠することはほとんど約束されているようなものだ。
それが21世紀の天皇に育ったら、後世、科学技術創造立国をめざす日本国の象徴たる方として、実にふさわしい生まれ方、育ち方をしたといわれるようになるだろうと思う。
立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
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