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(回答先: 第2回 ニッポン放送乗っ取り劇のミッシング・リンクの在り処 (2005/03/25) 投稿者 ROMが好き 日時 2008 年 12 月 06 日 00:54:36)
第3回 立役者、リーマン・ブラザーズ800億円融資のシナリオ (2005/03/25)
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/0503025scenario/
2005年3月24日
ミッシング・リンクの最も根源的な部分の真相は、将来にわたって、そう簡単に明るみに出てくることはないだろうが、2月8日に舞台の幕が上がり、いま我々が目にしているドラマが始まったときには、基本的なシナリオはできていたのだ。
ところどころことの進行に即応してアドリブで演じられるべき空白部分はあったろうが、あらゆる展開に備えて、ケースワーク別のシミュレーションが徹底的に行われ、これでいけるとなったところで、舞台の幕があがったはずである。
シミュレーションとリアルのはざまで高揚した堀江社長
とはいっても、シミュレーションと、リアルは違う。本当にリアルにことが進行しはじめるまで、堀江社長もドキドキだったようだ。
堀江社長のその前後のブログをまとめて最近出版された「堀江本」(ゴマブックス)では、二月八日の「そのとき」を次のように記述している。
「2005年2月8日(火)、朝6時に起床。朝一の取締役会でCB(37)発行を決議する。これまでの人生で一番大きな意思決定をした瞬間かもしれない。これまでの人生を賭けた勝負になるかもしれない。
その後、同じビルにあるリーマン・ブラザーズ証券で手続き等を行い、結果としてニッポン放送の35%の株式を取得した。
午後ニッポン放送を訪問。社長に業務提携の意思を伝えた後、六本木ヒルズのなかにあるアカデミーヒルズで記者会見を行った。」
「人生で一番大きな意思決定」
「これまでの人生を賭けた勝負」
というところに、堀江社長の高揚した気持ちがよくうかがえる。
この後のほうの記述で、
「(2月17日)その後某投資銀行とミーティング。続いて某社社長が来社。新規プロジェクトについて。ものづくりの交渉は楽しいねぇ。」
「(2月18日)そして某投資銀行来社。ためになるお話。そしてまた面接、またまた投資銀行とミーティング。」
などの記述があり、最近堀江社長が複数の米投資銀行と大変親しい関係に入っていることがうかがえる。
オン・ザ・エッヂ時代に味わった日本の証券会社への失望
そもそも堀江社長と米系資本との関係がどのあたりから始まったのかというと、かなり古い(といっても数年前だが)。堀江社長が初めて証券市場に自社(ライブドアの前身「オン・ザ・エッヂ」)を上場したときには、日本の証券会社P社の世話になったが、そのサポートの仕方に甚だしい不満を持った。
「堀江貴文のカンタン!儲かる会社のつくり方」(ソフトバンク)によると、こうだ。
「P証券との間では公開価格をめぐって土壇場まで争った。(略)
わが社でIPO(新規株式公開)を担当しているのはCFOの宮内だったが、彼は当時、顔を真っ赤にしてはP証券の公開引受部長と大げんかを繰り返していた。
しかし最もひどかったのは、上場後の対応だった。(略)
P証券は、このあたりのサポートは非常に不十分だった。(略)」
「そんな不満もあって、上場後にP証券との取引を解消し、最初に話のあったM証券に乗り換えた。だがM証券と付き合って分かったのは、この会社の担当者は、『自分のことしか考えていない』ということだった。担当した会社と一緒に自分も成長していこうなんてことは、これっぽっちも考えていなかった。担当者は、目前の利益を上げることにしか興味がながったのである。そんなことに落胆し、その後再び証券会社を乗り換えて、現在は外資系証券と取引している。
さすがに外資系の証券会社は非常にアグレッシブだった。大きなリターンを得るために、多少のリスクも顧ないという姿勢が貫かれており、P社のように中途半端に逃げ腰になることもない。今は日本株の半数近くを外国人投資家が買っている時代で、そのような状況の中ではワールドワイドな販売力を持っている外資系証券のパワーは非常に心強い。ここにきて、ようやくまともな証券会社と出合ったような気持ちだった。」
買収されて「社長も社員もみんなハッピー」
上場後のライブドア(この社名は2004年2月からだが、以下その前進も含んでライブドアと書く。正確には2000年4月「オン・ザ・エッヂ」→2003年4月「エッジ」→2004年2月「ライブドア」)の株式時価総額は、最も上がったときは9000億円、最も下落したときは50億円まで下げるなど浮沈を繰り返して今日にいたっている−−現在は約3000億円。といっても、一株当たりの価格が大きく変動してきたし、株数も変動したので、このあたりの数字と同列に並べて比較できる数字ではない。これはあくまで参考資料−−その後の成長過程で、ライブドアは、同業の有望IT企業を次々と吸収合併で呑み込んでふくれ上がってきた。
「ライブドアは成長とともに、さまざまな企業を買収していった。『買収』というと悪いイメージに取る人もいるかもしれないが、そんなことはない。会社が買収されることで、その社長も社員も、みんなが幸せになれるケースというのは少なくない」
と堀江社長は「儲かる会社の作り方」に書き、同書に、「吸収されてハッピー」な体験談を幾つも収録している。
立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌―香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。
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