★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK55 > 1123.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://www.amakiblog.com/archives/2008/11/21/#001249
2008年11月21日
どうしても裁判員制度導入を強行しようとする司法官僚のプライド
何度でも書くが、私は裁判員制度の導入は、それが来年の5月に導入される前後において、大きな社会問題になるだろうと思っている。
そうならないように、ついに最高裁は税金を使ってテレビ・コマーシャルまで流し始めた。
このくそ忙しい時に、解決すべき経済、社会問題が山積している時に、なぜそこまで必死なのか。
それは司法官僚のプライドのなせるわざだ。
いまさら引き下がれないのだ。
自分たちが正しいと思って決めた事が、後になって問題があることがわかっても、撤回出来ない。
そのような官僚たちの勝手な論理で、これまでどれだけの欠陥政策が重ねられてきたか。
その結果国民が戸惑い、苦しめられ、そして犠牲になってきたか。
官僚たちを批判する時に、官僚の無謬神話という事がよく指摘される。
つまり、官僚たちは、自分たちは間違いを犯さないんだ、という絶対的自信があって、だから自分たちの導入する政策に間違いはない、問題は国民がそれを正しく理解していないからだ、理解する能力がないからだ、だから正しい政策を国民にわからせればいい、国民を啓蒙すればいいだけの話だ、と。
これは違う。
官僚の実態を知っている者として断言するが、そんな立派な話ではない。
官僚にそこまでの自信はない。
それどころか、確信が持てないままに、あるいは思いつきで、あるいは時間に追われて、政策がつくられていく場合のほうが多いのだ。
そして、その法律が出来た後で不備に気づいても、保身やプライドのために、その非を直ちに認めるわけには行かない。ただちに改める事はできない。
何年か経って、法改正や制度改革をする時には改めるが、しばらくは当初の政策にこだわり、宣伝、広報で誤魔化す、そのような事が続けられてきた。
来年5月から導入される裁判員制度が、そのようないい加減な制度であるかどうか、私は知らない。
この制度が、十分に検討を尽くした上で、国民にとって最善なものとして導入されるものかどうか、私は知らない。
しかし、たとえそうであっても、この制度が、数々の問題を内包している不完全、不備のある制度である事は、もはや多くの識者の指摘するところである。
それどころか素人目にもおかしいと映っているのだ。
11月19日の朝日新聞「この人に聞きたい」という記事で、裁判傍聴「霞っ子クラブ」代表の高橋ユキさん(34)の次のような言葉が載っていた。
この「霞っ子クラブ」という組織は、裁判傍聴を通じて裁判所でのやり取りを観察し、その情報を公開して、裁判の実態を国民に知らせようとする勝っ手連的なボランテアー団体である。
・・・人を裁くのは、本当に重いこと。昨年7月、模擬裁判で裁判員役をする機会がありましたが、1日が終わるころには、ヘトヘトでした。「自分にはどうしても無理」と思う人は、辞退できるように(制度を手直し)したほうがいいかも。
殺人などの重い犯罪ばかりが対象になっているのも、どうなんでしょう。「市民の常識を生かす」というのなら、もっと身近にある犯罪も入れたほうがいいと思います・・・
この高橋ユキさんは、おそらく司法官僚を批判する私と違って最高裁判所に協力的な人なのだろう。
その協力的な人でさえ、改善の余地があるといっているのだ。
そんな協力的な人の、しかも私でも賛成せざるをえないようなまともな改善案を取り入れないようでは、はやり今度の裁判員制度は司法官僚の意地をかけた欠陥制度に違いない。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK55掲示板
フォローアップ: