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(回答先: 東京・中野で元厚生次官の妻刺され重傷、連続テロか(読売新聞) 投稿者 ダイナモ 日時 2008 年 11 月 18 日 22:40:15)
厚生省の元次官や元課長が同時に殺されたが、この厚生省の元高官たちが何万人もの日本人を殺した殺人鬼だったことからすれば、これは暗殺事件というよりないが、それを理解するには園田氏のレポートが必読である。こんな悪党を放置して政府の外郭団体を食い物にするのを放置した自民党や、厚生大臣として無能だった小泉を首相にして、売国好意のしたい放題を許したことは、以下に日本の政治が腐っているかということだ。<貼り付け>
『血に群がるドラキュラ達の因果』
園田義明
(※2008年1月24日出稿)
■薬害肝炎救済法の成立
1月11日、C型肝炎感染被害者の一律救済を目指した「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第9因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法案」が衆参両議院で可決、成立した。
救済法は、慢性C型肝炎の進行による肝硬変・肝がん・死亡に対しては4000万円、慢性C型肝炎に対して2000万円、無症候性キャリアに対して1200万円の給付金を支払うことが柱となっている。
最終的な対象者は原告を含む1000人程度、給付総額は170億〜200億円と見られている。
患者らの約5年に及んだ裁判闘争はようやく終わりを告げたかに見えたが、原告団に加わることができなかった血友病患者らを含め、全国には約350万人のB型・C型肝炎の患者・感染者がいるとされ、大半は救済法の対象とはなっていない。
しかも、最も責任が重いはずの製薬会社側は謝罪や給付金負担への対応を明確にしておらず、原告側は「全面解決要求書」を製薬会社3社に送付し、製薬会社との訴訟を継続する意向を示している。
■731部隊からの因果
製薬企業3社とは田辺三菱製薬(大阪市)とその子会社ベネシス(同)、それに日本製薬(東京)を指す。
この中で田辺三菱製薬こそがあの薬害エイズという「負の遺産」、即ち旧ミドリ十字を引き継いだ会社である。
ミドリ十字は、細菌戦ネットワークの要役として暗躍した内藤良一元軍医中佐を筆頭に旧陸軍の生物戦部隊である731部隊(関東軍防疫給水部本部)関係者が揃って設立した日本ブラッド・バンクを前身にしていることはよく知られている。
そして、薬害エイズ事件で業績が悪化、1998年に吉富製薬に救済合併され、00年にウェルファイドに社名変更、01年には三菱東京製薬と合併し、三菱ウェルファーマとなるが、07年10月に田辺製薬と合併したことで現在の田辺三菱製薬となる。
そもそも、フィブリノゲンもミドリ十字が64年から製造販売したもので、77年に米国が肝炎感染の危険性から承認を取り消しながら、旧厚生省の販売中止指示は10年後の87年にまでずれ込んだ。
この87年の時点ですでに青森県内で集団感染したことから薬害の危険性が指摘されていた。
薬害エイズ事件では、「ミドリ十字」(元社長、松下廉蔵、須山忠和、川野武彦)、「厚生省」(元厚生省生物製剤課長、松村明仁)、「帝京大」(安部英・元帝京大副学長)の産・官・学三ルートで刑事責任が追及されたが、この中で松下の存在が特に気になる。
松下は46年厚生省入省、公衆衛生局企画課長、児童家庭局長などを歴任し、72年6月には薬事行政を統括する薬務局長となった。薬務局長在任中の74年、サリドマイド薬害訴訟の和解が成立した時には「同じようなことが再び起こらないよう医薬品の規制に努力を重ねたい」との談話を発表したこともあった。
薬務局長を最後に、74年11月にミドリ十字など血液製剤メーカーでつくる社団法人日本血液製剤協会の理事長に就任、翌75年5月からは日本製薬工業協会理事長を務めた。
78年3月、内藤に引き抜かれ副社長としてミドリ十字に入社、社長、会長、顧問を歴任し、内藤が発起人となって設立した内藤医学研究振興財団の顧問も務めていた。
その後、薬務局長時代の企画課長補佐や経済課長補佐が相次いでミドリ十字に入社し、業界関係者の間では厚生省と一体化したミドリ上層部を『薬務局分室』と揶揄する者までいた。
■今なお続く産・官・学の癒着
それでは、製薬企業三社のもう一社、日本製薬を見てみよう。
日本製薬は、血漿分画製剤、栄養輸液製剤、殺菌消毒剤、ドリンク剤の製造販売事業に事業領域を特化したスペシャリティファーマとして知られている。
なによりも国内製薬最大手の武田薬品グループであることに注目しよう。
そもそも吉富によるミドリ十字救済合併劇を振り返れば、薬害エイズ問題を製薬業界全体でフォローするとの見方があった。吉富の筆頭株主が武田薬品工業であったからだ。
しかも、『ミドリ十字と731部隊』(松下一成著、三一書房)の「731部隊関係者の戦後の職業」一覧によれば、大連衛生研究所に所属していた2名が武田薬品顧問と武田薬品研究部長になっていたことが分かる。
当時の『週刊エコノミスト』は、「吉富の筆頭株主、武田薬品工業を後ろ盾にミドリ十字の社名消滅を狙った合併だ」とまで書いたが、その背景には自社への飛び火を恐れた武田薬品の思惑もあったのではと勘繰りたくなる。
当然のことながら、厚生省も合併を後押ししたはずだ。
世界に目を転じれば、国内最大手の武田薬品工業といえども売上高は世界17位に過ぎない。厚生労働省が昨年策定した「新医薬品産業ビジョン」は、「00年以降日本発の大型新薬が登場していない」と指摘しながら、「欧米企業との研究開発費の規模の差も拡大傾向」と警鐘を鳴らした。
しかも、外資系大手は大型新薬片手に米国に次ぐ世界2番目の市場規模を誇る日本に攻勢をかけている。
外資を巻き込んだ業界再編が激化する可能性がある時期に、消滅したはずのミドリ十字の社名が薬害肝炎問題で再び紙面を賑わせることになった。
結局、産・官・学の癒着が国際競争に立ち向かおうとする意欲を麻痺させたばかりか、責任者不在による判断の遅れから多数の被害者を生んでしまうという典型的な日本薬害パターンを繰り返すことになった。
とはいえ、多くの日本人はこうした薬害事件を他人事のように見ている。このパターンが老後を直撃する恐怖に、誰もが気付いていないのだ。
■血税に群がるドラキュラ達
厚生省はミドリ十字が経営悪化によって薬害エイズ問題の責任を全うできなくなる事態を最も心配していた。
このため、吉富との合併を「経営基盤の強化が図られる」として評価したのが、当時厚生省薬務局長だった丸山晴男である。
丸山は東大法学部卒業後、68年厚生省入省、環境庁長官官房秘書課長、厚生省大臣官房審議官を経て、96年7月に厚生省薬務局長となり、97年には環境庁自然保護局長、99年からの環境庁官房長を最後に天下った先がなんと年金資金運用基金、そしてその理事に就任する。
年金資金運用基金は01年4月に設立された厚生労働省所管の特殊法人で、その前身は年金福祉事業団である。
61年に設立された年金福祉事業団は厚生年金や国民年金の年金資金を活用して、住宅資金などの融資や年金保養施設(グリーンピア)の設置・運営などの事業をしており、86年度からは年金資金運用事業を始めた。
しかし、運用利回り悪化やグリーンピア事業失敗が問題視され、財政投融資、特殊法人改革の一環として解散、事業は年金資金運用基金に引き継がれた。
その年金資金運用基金も運用方法の透明性が低く、02年度には自主運用部門で6兆円もの累積赤字を出したことなどを受けて、現在は07年設立の年金積立金管理運用独立行政法人に衣替えし、民間有識者らの運用委員会を設置しながら透明性を高める努力を始めている。
それでも07年8月には、年金資金運用基金時代に幹部職員が10年間に約2億5000万円もの裏金を作って飲食費などに流用した問題が明るみとなり、4人を処分するという事件が起こる。
さらに、近年好調な株式市場の影響から06年度末の累積で約13兆円の黒字となっているものの、サブプライムローン問題の影響などから07年度第2四半期(7〜9月)の運用実績が1兆6328億円の赤字となった。
こうした年金をめぐる混乱の中、丸山は年金資金運用基金を去り、現在は社会福祉法人福利厚生センター理事長と財団法人血液製剤調査機構理事を務めている。
90年設立当時の血液製剤調査機構の基本財源は2億円で、日本赤十字社が1億円、社団法人日本血液製剤協会が1億円を負担した。
なんとこの日本血液製剤協会の1億は、化学及血清療法研究所、それに日本製薬、そしてミドリ十字の3社から拠出されていた。
この先、年金破綻がいよいよ現実になった時、731部隊から脈々と続くドラキュラ達の因果に誰もが気付くことになる。
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