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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20080911-01-1301.html
「政策を競い合う」と称して自民党総裁選挙が始まった。無投票に終わった民主党代表選挙と比較させ、「開かれた政党」を国民にアピールし、その勢いで衆議院選挙に弾みをつける狙いだと言う。メディアは総裁選挙に候補者が乱立する自民党が民主的で、無投票の民主党は民主的でないかのように報道している。まったく民主主義の本質を分かっていない幼稚な議論である。しかしそれに乗せられて民主主義を誤解する国民が増えるのかと思うと、日本の民主主義の未熟さにつくづくうんざりする。
自民党の総裁選挙も民主党の代表選挙も政党の内部の選挙で国民とは関係ない。国民と関係のない選挙をやろうがやるまいがそれは民主主義と関係ない。自民党は3年ごと、民主党は2年ごとに党首選挙を行う事を党則に掲げているが、先進民主主義国の政党は国民が参加する選挙と無関係に定期的に党首を交代させるような事はしない。私的な団体の内側の選挙で権力者を誕生させるのは民主主義に反する行為だからだ。
アメリカは大統領制なので日本と事情は異なるが、大統領は国民の選挙で選ばれ、任期は4年、2期8年までと憲法で定められている。政党が党内事情で交代させる事は出来ない。一方、議院内閣制のイギリスでは首相の任期は終身である。つまり総選挙に勝てば何年でも首相を続けられる。保守党のサッチャーは3期11年、労働党のブレアも3期10年首相をやった。その間党首選挙は行われていない。
イギリスで党首選挙が行われるのは党首が死ぬか、辞任するか、選挙に負けるか、党内から一定数の要求があった場合で、自民党や民主党のように定期的に党首選挙をやるという考えがない。党首は国家の最高権力者になる重みのある存在だから、党内事情でころころ変えることをしない。労働党は去年ブレアが辞任を表明して党首選挙を行ったが、候補者は一人で無風選挙だった。その前は13年間一度も党首選挙をしていない。
自民党が党則で総裁任期を3年2期までと決めているため、日本の総理は私的な団体である自民党の党則に縛られる。これは民主主義の原理からしておかしいとの批判が昔はあった。かつて自民党の総裁任期が2年だった時、「歌手1年、総理2年の使い捨て」と言われ、日本の最高権力者が流行歌手並みの軽さだと馬鹿にされた。また自民党による「政権たらいまわし」でしかなく、民主主義を反映していないと批判された。勿論メディアもそのような目で自民党総裁選挙を取材してきた。
ところが小泉政権以降、メディアは自民党総裁選挙をあたかも国民的イベントに変貌させた。選挙権もないのに国民が熱狂する。観客民主主義と言うのか、とにかくおかしな状況が生まれた。古代ローマは市民を政治的盲目にするため「パンとサーカス」を無料で提供した。「パン」とはセーフティネットの事で、貧しい人々に小麦を無償で提供した。「サーカス」とは見世物の事で剣闘士の殺し合いや競馬を無料でみせた。これで人々を満足させて支配した。
現代の日本国民は貧しくとも「パン」は与えられず、ひたすら政治ショーという「サーカス」を提供されて盲目にさせられている。早く目を覚まさせないと日本の民主主義は滅びると思うのだが、メディアにはそれを認識する知能がない。自民党総裁選挙という民主主義とは無縁の政治ショーを「民主的だ」などと言って評価する。
視聴率第一のテレビの世界は「お笑い」か「おバカ」しか受けない。だから政治家も軽薄であるほど受け入れられる。新聞もテレビも「おバカ」政治家を「民主主義の旗手」と持ち上げるようになった。こうした政治家は「口先芸」で生きているから口先でなんとでもなる「政策」が大好きだ。「政策」とか「マニフェスト」を重視するのが民主主義だと思っている。
しかしアメリカでもイギリスでもリーダーを選ぶ選挙で、政策は判断基準の1つに過ぎない。それよりもリーダー足りうる人物かどうかが重視される。過去の経歴、政治家としての実績、決断力、判断力、誠実さ、思いやりなどがあらゆる角度から調べ上げられる。日本ではそれをやらないから政権投げ出しが起きる。投げ出しを2回も選んだ自民党にリーダーを見抜く能力がない事は証明済みである。
今回の自民党総裁選には総理の資格が疑われる人物ばかりがズラリと顔をそろえた。申し訳ないが「おバカ」総裁選と言わせてもらいたい。メディアは乱立を「民主的」と言うが、これは自滅の始まりである。福田総理は麻生禅譲を臭わせてから辞任したので本命は麻生氏である。これに対して麻生政権の誕生を喜ばない勢力が乱立を促した。決選投票に持ち込んで2位の候補を逆転勝利させるためのシナリオである。しかしそれが本当に実現したら自民党は終わりである。
なぜ本命が当選しないのかに国民は疑問を持つ。潜在意識に浸透した「自民党総裁選挙には2度裏切られた」との想いが国民に甦る。そして自民党内には分裂が始まる。既に町村派の分裂状態は深刻である。それが党全体に及んで下手をすると離党者が出る。民主党に鞍替えする方が当選の見込みがあると考える議員が出てくる。総裁選挙での逆転勝利を槍玉に挙げて民主主義に反すると離党の口実にする。冗談と思ってくれても良いが、民主党は選挙区のいくつかを空白にして離党者を呼び込む工作をした方が良いのではと思う位だ。そんな想像をかきたてる総裁選挙が始まった。
そして民主党の方だが、代表選挙をやらなかったために自民党総裁選挙に埋没して衆議院選挙に負けてしまうなどと思う必要は全くない。「自民党総裁選挙は民主主義を壊す」と批判しているだけで良い。それよりも民主党は民主主義の正道に立って、2年ごとに代表選挙をやるなどという民主主義を無視した党則は即刻やめたら良い。議会制民主主義の母であるイギリスの政党を見習い、代表の任期は選挙から選挙までとし、選挙に勝てば続投、選挙に負ければ代表選挙を行って次の代表を決めるという民意を反映した代表選挙のやり方にした方が良い。その考えを国民に理解させれば、小泉政権以来の「おバカ」民主主義から国民の目を覚まさせる事が出来る。未熟な民主主義から脱皮する機会が巡ってきたと考えるべきなのである。
(田中良紹)
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